第1話

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暫くして、母さんたちがやって来て、荷物を車に乗せると「潮が迷惑掛けなかった?」と聖一さんに耳打ちされる、のを荻野潮はドアに寄り掛かりながら笑った。 「ははっ。お兄ちゃんと一緒に居れて楽しかったよなー弟くん?」 「潮、本当に佐助くんをイジメてないだろうな?」 「あ、いえ……その、昼ごはん買ってきてくれたので、助かり、ました……」 「そうか? なら良かった」 優しく微笑む聖一さん、から目を反らし頷けば、車で待っててと言われアパートの部屋へと入ってく。 契約会社との話があるんだろう、とその背中を見送ってるとポンと肩に手を置かれる。 「さ、弟くん寒ぃだろ車ん中入ろーぜ」 「え、あ……」 後部座席の方へ押し込まれると隣のシートにどかりと座る荻野潮はそのままドアを閉め、「寒ぃー」と笑いながらスマホに視線を落とした。 それから別に話し掛けられることはなくて、車内に2人きりで隣同士なのが妙に落ち着かなくて足下へと視線を落とす。 この男が義兄になった、ことが実感出来ない。 何ならファーストキスをさっき奪われた、意味がわからない、何で簡単に男にキスが出来るんだ頭がおかしいのか、節操なしってそこまで見境がないのか。 ……初めてキスしたけど、覚えてるのは他人の感触の衝撃と息苦しさと甘いミルクキャンディの味くらいで、不快感が甘さで塗り潰されてると言うか、わからない。 要とキスしてたのを見た時は不快感と嫌悪感がしたのに、いざ自分が同性にされたのに感想が甘かったしかないのは如何なのか。 要、母さんたちが何も言わなかったってことはあのあとすぐに帰ったんだ。と思うと安堵のあとすぐに不気味さに肩が震える。 何か、おかしかった。怖いと思ったし、理解出来ないと言うか、ずっと知ってるはずの要じゃないみたいで怖かった。 「……」 そこでポケットのスマホが震えるのを感じてそっと取り出して画面を確認する、と牛くんからDMが届いてる。 チラ、と横を見れば荻野潮は同じ体勢でずっとスマホを操作してるので僕もスマホを取り出してDMを開くと、『すけくん、卒業おめでとう!』と何気ないメッセージについフッと笑みが零れた。 いつも気を遣ってくれるし気心知れたネットの友だちの言葉に緊張が少しだけ解れた気がして、ありがとうと返す。 するとすぐにレスが来て、『最近忙しそうだけど大丈夫? 何かあった?』と心配してくれてる文に、色々あったばかりなので全部話してしまいそうになった。 「……」 でも、さすがに話せる内容じゃないことばかりで。 新生活の準備とかで忙しいけど大丈夫、と虚勢で返せば『愚痴とか見られたくなかったらオレで良ければ聞くからね』と虚勢はすぐ見破られた挙げ句、優しい牛くんの言葉に揺らぎそうになる。 このままこの話題を続けてたら洗いざらい話してしまっては困る、とふと思い出したのを聞いてみた。 『牛くんの好きなミルクキャンディってどんなやつ?』 『オレの? そこら辺に売ってるやつだよ、牛柄の包装紙でけっこー甘い。美味いよ』 そこでさっき渡されたミルクキャンディを見る、牛柄の包装紙だ……偶然にも牛くんの好きなやつだ。 いや、本当に偶然だ、そこら辺に売ってるって言うんだから簡単に手に入るんだと思う。 『ありがとう、今日たまたま同じのを食べたよ』 『へえ、美味しかった?』 『甘いな、って思った』 牛くんに味の感想を送ってるだけなのに急にキスされたことを思い出してしまい、出来ればあまり食べたくないなと思ったところで『その甘さがクセになってハマってくれたら嬉しいな』と返ってきてしまった。 「ははっ、弟くんすげー顔でスマホ見てどーしたよ?」 「え!?」 急に横から声を掛けられて慌ててスマホをポケットに突っ込んで顔を向ければ、同じ体勢のまま顔だけこっちへと視線を向ける荻野潮に、そう言えば2人きりだったと牛くんとのメッセージで忘れてた自分に衝撃を受ける。 「や、別に……何でも、ないです……」 「へえ。つか、スマホ。お兄ちゃんと連絡先交換しよーぜ? ほらほら、弟くん」 「え、や、何で……?」 「何で。家族だろオレたち、な、しよーぜ弟くん、減るモンでもねーだろ?」 ズイっと前屈みでこっちへと近寄ってくる荻野潮に「や、」と両手を顔の前に翳せば、ガチャとドアの開く音と共に「潮」と言う叱責の声が飛んだ。 「何してるんだ、嫌がってるだろ」 「まーだナニもしてねーつーの、連絡先教えて欲しいのがイジメになんならオワリだろ世界」 「ごめんなさいね、潮くん。佐助、連絡先を教えて貰えるんだからしゃんとしなさい」 「……、……どうぞ」 「ははっ、すげー嫌そー。どーも!」 聖一さんと母さんが前の運転席と助手席に座り互いに実子に注意するので、仕方なくQRコードを見せればすぐに登録したのか見知らぬアイコンからスタンプが来る。 動き出す車内で自撮りかと思ったけどうさぎの写真のアイコンをじっと見てれば、「かわいーだろそれ」と機嫌良さそうな声を掛けられた。 「何か、意外です……」 「そ? ま、オレよりうさぎのが良くね?」 「……うさぎ、好きなんですか?」 「ははっ。つか弟くんってうさぎぽくねー?」 「え?」 「プルプル震えてんじゃん、かーわい」 何言ってるんだ、この男。 適当に「はあ」と気の抜けた返事をする僕に、荻野潮はニヤッと笑っただけだった。 マンションに着いて荷物を運ぶのを手伝って貰いながら部屋に入れて貰えば、聖一さんは「この部屋を自由に使って」と洋室に僕の荷物を置く。 中には机、クローゼット、ベッド、空の本棚が置かれてて「え、あの」と狼狽える僕に「ああ」と聖一さんは頷いた。 「ゲストルームだったんだけどほとんど使わなかったから佐助くんの部屋にどうかな、狭い? シーツと机しか新調してないけど他に何か足りなかったかな」 「や、広いくらいです……それに充分と言うか、僕なんか物置とかで良いのにすみません」 「……私は佐助くんと仲良くしたいけど、急には難しくて仕方ないとは思ってる。潮もあんなだし、好かれるのは難しいか」 声のトーンを落とし、呟く聖一さんに驚いて首を横に振る。 「あ、の……聖一さんは、母さんを笑顔にしてくれる人だしええと僕なんかにも優しくて良い人です、僕がこんなだから気を悪くされたなら本当にごめんなさい」 「佐助くん」 「ごめんなさい、僕は邪魔なのに」 「邪魔なはずないだろう、佐助くん、君も私の家族になったんだ」 そっと肩に手を置かれ、いつの間にか俯いてた顔を上げれば聖一さんは小さく笑った。 「香苗さんも君も、守りたいんだ。だから佐助くんも笑顔にしたいよ」 「聖一さん……」 「ゆっくりで良い、私も父親へ、君も息子へ、ゆっくり歩んで行こう」 この優しさ、包容力が忙しくて余裕のなかった母さんを癒したんだろう、こんなに優しくて懐の大きい男の人もいるのか。 僕には父親が誰だかわからない、元から母さん1人しか親が居ないと思ってた、だから父なんてものを知らない。 けど、もし存在するなら聖一さんみたいな人が理想像と上げられるかも知れない、よくわからないけど、母さんを大切にしてくれるならそれだけで良かったから。 「……はあ」 慣れない広い洋室の真新しいベッドシーツを撫でるように手を置いてから座る、荷ほどきするからと聖一さんが出ていった室内で1人ため息が零れた。 色んなことが起きて、疲れたな。 荷ほどきと言ってもほとんどものはない、少ない服と私物をクローゼットと机に入れ、段ボールを片してすぐに終わった。 ふう、と息をついて、そう言えばまだ制服のままだった、とぼんやり考えながら真新しいシーツに仰向けに倒れる。 ふかふかのベッドにシーツの滑らかな肌触りが心地よく、そっと目を閉じればそのまま意識はフェードアウトしていって。 「……かなめ」 幼馴染みと本当に離れることが出来たんだ、と思ったら嬉しさ、と。 少しだけ、冷たくしすぎたかなと今更本当に少しだけ反省した。
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