第1話

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荻野姓になってから、新しく変わったことだらけだ。 まず、暮らし。 母さんが早朝の配達と夕方のスーパーの仕事を辞めて昼間帯の花屋の仕事に専念し、辞めるつもりだった夜の飲み屋の方はお客さんや同僚たちが辞めないでと必死だったのでシフトだけ減らすことになったと母さんは穏やかそうに「家事もやるわ」と笑いながら話すのを、聖一さんは「家事代行を頼むのをもうやめられるね」と嬉しそうに応えてたり。 母さんが居る時間が増える、それだけで何だか嬉しくなる。今まで1人の時間が多かった食事とか、そう言う時間に3人とか4人とかで食べることも変わったことだ。 聖一さんがなるべく帰宅するのを増やし、母さんの傍に居て笑い合ったり、僕にも構ってくれるのがむず痒くて与えて貰った部屋に過ごすことが多くなった。 そして。 「おざーす」 荻野潮の存在が未だに慣れない。 2つ年上の荻野潮の制服姿を見た時の衝撃は凄かった、地元の高校に通ってると思ってたのに着てるブレザーは確かに僕が受験した隣町の高校のそれで。 僕が驚いてるのに気付いたのか荻野潮は「ああ」と制服を撫でた。 「オレ、地元のセンパイと仲最悪で仕方ねーから隣まで通ってんの。顔見せたら殺すぞって脅されて怖ぇーの何の」 「脅し、ですか?」 「そ。たかだか中学ん時に彼女に手出したくらいでいちいちうるせーんだよなあ、そんなセンパイばっかのとこ通うのは怖いつーの?」 「……」 人の彼女に手を出す方が問題では、と固まってると、朝食を用意してる母さんが「潮くん、おはよう」と挨拶する。 「あら、その制服、佐助も受験したところなの」 「か、母さん……!」 「へえ、受かるといーな。ま、名前書いたら受かるけど」 「……それは言い過ぎです、真に受けて落ちた1個上の先輩居ました」 「ははっ、マジかよそいつ、バカ過ぎ。さすがに名前書いただけじゃ受かんねーわ!」 「……」 言ってることが滅茶苦茶過ぎる。 ダイニングの椅子を引いて、「いっただきまーす」と手を合わせてから朝食を食べ始める荻野潮は手を止めて、隣の椅子に手を置いた。 「弟くん、飯食わねーの?」 「……あとで」 「香苗さんの手間になるんじゃね、一緒に食おうぜ」 「そうよ、佐助。みんなで食べましょう」 「……」 渋々、荻野潮の隣に腰を下ろすと、「嫌そー」と何故か楽しげに笑うのが理解出来ない。 高校は無事合格して、お祝いしてくれそうな母さんたちに「そう言うの良いから」と断った。 だって、ただ要から逃げたくて受けただけで、高校なんて何処でも良かったから。 部屋に戻り、スマホを取り出して、一応合格したから他に受けなくて良かったと呟くと、仲の良いフォロワーたちが『やったな』とか『高校デビューする?』とか構ってくれる中、牛くんが『すけくんおめでとう!』『お祝いにどうぞ』と動画を送ってきた。 動画を開けば、推しのサーラが活躍するシーンだけ切り抜いた動画で『何これすごい!』と返事を送れば、『この日の為に編集したんだ』と返ってきて嬉しさが込み上げてくる。 『すごく嬉しい、ありがとう』 『良かった。喜んでくれてオレも嬉しいよ』 高校に受かったからってこんなお祝いして貰えるなんて思ってなかった、すごい、サーラを見るのにいつも出てくるまでスキップとかしてたから。 と、そこでコンコンと部屋をノックされ、スマホを机に置いてから「はい」と返事をすると、ドアを開けたのは荻野潮だった。 「よ、弟くん!」 「……何ですか?」 「高校受かったんだって? おめでとうってな」 「はあ、どうも……ありがとうございます……」 部屋にズカズカ入ってくるかと思ったけど、ドアを開けて踏み入れてこないのが意外で。 「祝いの言葉だけじゃアレだからな、物も必要かと思ってほら、これ買ってきたから一緒にやらねー?」 「えっ」 ズズ、と箱を足蹴に見せてきたのは、最新のゲーム機だ。 急なゲーム機に驚いてると荻野潮は「あ?」と僕とゲーム機を見比べて、首を傾げる。 「ゲーム嫌いとか?」 「あ、いえ、えっと……ゲーム機とかうちになかったからあんまやったことなくて……嫌いじゃないです、けど……」 要の家にあったので、遊びに誘われた時にやるくらいだったが最新のは初めて見たので驚いて、「か、買ってきたんですか?」と聞けば「ん」と頷いた。 「親父に、弟くんに合格祝いにゲームプレゼントしたいつったら金貰って買ってきたから、まっオレの金じゃねーけど」 「そ、そうなんですか……ゲーム好きなんですか?」 「今日から好きになる」 「は」 何だそれ、やったことないってこと? 「ゲーセンは行くんだけどな」と箱を持ち上げてからニッと笑いかけてくる。 「来いよ、リビングでやろーぜ」 「え」 「兄弟ってのは仲良くゲームすんだろ」 「……」 もしかして、この男なりに新しい家族に気を遣ってるのかも知れない。 聖一さんも歩み寄ってくれるし、母さんはもう打ち解けてるのに、僕だけ空気を悪くさせてしまってる。 子供の我が儘みたいだと思って恥ずかしくなる。 確かに、節操なしで要にも、何故か僕にもキスしてくる人の彼女にも手を出す意味不明で最低な男だが、1人だった卒業式に迎えに来てくれて面倒見てくれたり、こうして要らないと言っても興味ありそうな物をプレゼントに選んだのは、兄として歩み寄ってくれてるのをわかって。 怖いし嫌だ避けたいと思っても、この親切を無下に出来るほど僕はひねくれてなかった。 「先輩、何のゲームするんですか」 そう近付きながら言えば、荻野潮は一瞬、本当に一瞬だけ目を見開いてからゲーム機の箱を撫でる。 「おいおい弟くん、お兄ちゃんに先輩はねーって」 「……同じ学校に行くんで、先輩じゃないですか」 「ははっ屁理屈だな、まっイイか」 機嫌良さそうな荻野潮がリビングのテレビにゲーム機をセットしコントローラーを渡してきたのを、ソファーに座ってた母さんと聖一さんが微笑ましげに見てるのを見て、むず痒くて堪らなくなった。 まるで仲の良い家族みたいで。 対戦系のゲームを幾つか買ってきた荻野潮に全て負けてしまい、別にオタクだからってゲーム全部得意じゃないし、と思いながら、スマホで攻略を検索したのは余談だ。
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