第1話

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高校入学式の日の朝、僕はもたつきながら何度もネクタイと格闘しててどうしても上手く結べない。 動画で何度も確認したのに、と諦めてネクタイを肩にかけたまま鞄を持って部屋を出た。 「あら、佐助。似合ってるじゃない」 「……何回か見たでしょ」 朝食を並べてる母さんの言葉にぶっきらぼうに返す、と右の肩に重みが。 「高校生初日に見る制服姿ってのは格別ってやつじゃねー、なー香苗さん?」 「ふふ、おはよう潮くん」 「おざーす。弟くんも?」 「……おはようございます」 重たくて逃げるように肩を引けども体格差のせいか動く気配がない、退いて欲しくて視線を向ければ荻野潮はニヤッと笑って僕の肩を撫でる。 「何ですか」 「弟くん、ネクタイ結べねーの?」 「!」 「あら、本当ね。じゃあ私」 「お兄ちゃんが結んでやろーか、こうやって……やれば、覚えられっしょ?」 背後に回られ後ろから伸びてきた両手がネクタイを持ち、やめてくださいと母さんに助けを求めようと視線を送れば「ありがとう潮くん、頼んだわね」と嬉しそうに笑って背を向けられてしまい、頼みの綱をなくした。 ここで邪険にしてしまえば母さんには怒られるだろうし、……多分、多分これは善意でしかないのだ。 一緒に暮らすようになってからも苦手意識がなくなることはない、でも荻野潮が僕の世話を焼こうとしてるのが何となく伝わってくる、父親になろうとしてくれてる聖一さんとそう言うところは血筋なのだろうか。 「…………、お願いします」 断るより逆に教えて貰って覚えてしまえば良いのだ、そうだ覚えればどうってことないんだ。 「はは、嫌そー。はいはい、じゃあまずは太い方を上にして回して輪っか作るだろ? んでここに差し込めばはい完了ーあとは形整えりゃーオッケー」 「……上にして輪っか……」 「1回やってみ?」 「あ」 しゅるり、と簡単に外されてしまった。 けど動画で見た時よりは分かりやすかったかも、と言われた通りに見よう見まねでやってみれば、不格好だが何とか形になって驚く。 「で、出来た!」 「はいよく出来ましたー」 「あ……ありがとう、ございます……」 すぐに整えられ、ちゃんとよく見るネクタイの形状になったので一応礼を言えば。 何故か頬に感触が。 「……は?」 「どーいたしまして」 するり、と離れ食卓の方へ歩いてく荻野潮の背を追いながら、感触が残る頬に手を当てる。 いや何、は? もしかしてキスされたのか、頬に? 何で? 母さんが居るのに一瞬の隙で何故そんなことを、と信じがたくて震えてると、「佐助、早く食べなさい」と僕が注意される羽目となった。 行ってきます、と出たまでは良かった。 後ろからついてくる男さえ居なければ。 「……どうしてついてくるんですか」 「はは、面白えこと言うじゃねーの。同じ学校の生徒だろ?」 「こんな早い時間にいつも出ないじゃないですか」 荻野潮が登校する時間はいつも8時過ぎ、なので15分ほど早く出たと言うのに。 「今日は初回サービスだよ、嬉しいだろお兄ちゃんが一緒に登校して」 「……はあ」 全然嬉しくない、エレベーターの中に2人で入り、1階を押して下へと動き出すのを早く動けと思ったことは今日ほどない。 「あの……誰も居ないので離れてください」 「んー? 誰も居ないから、の間違いじゃねーの?」 肩に腕を回して引っ付いてくる荻野潮の胸板を押し、「狭いので」と逃げようとする僕の腰にも腕が回ってきてあっという間に抱き締められて「や、やめてください!」と悲鳴に近い声が出る。 「本当に、何なんですかっ、さっきも母さんが居るのにキスし……んんっ!?」 顎を掴まれ上を向かされたと同時にかぶりつくように口を口で塞がれ、何で、と押し退けようと力を加えれば舌が割り込んできてまたコロリと舌の上に甘味が広がった。 「は……っ、何す、るんですか!?」 舌を引き抜いてすぐ離れる荻野潮の胸板を殴るように叩けば、「はは」と笑いながらポケットに手を突っ込み飴を取り出す。 「したくなったからさあ、イイだろ?」 「良いわけないから、……くそ!」 そこでエレベーターが止まり開くドアに言葉を紡げば開いた先に他の住人が居り、「おはようございますー」と挨拶されたので会釈して素早くエレベーターから離れるように早歩きで玄関口へと向かった。 手の甲で口を拭えば、口の中に広がるミルクキャンディの味に、また荻野潮にキスされた事実が追随されるようで噛み砕いてしまおうかと奥歯へ送り込めば、「弟くん」と後ろから声を掛けられゴリッと砕ける。 「高校生になって初めてキスされた気分はど?」 背後から顔を覗かせてくるニヤけた顔の男前の顔面を殴りたい気持ちと、噛んだことで口の中で広がる飴の破片のせいで更に甘ったるい味に舌がおかしくなりそうで頭痛がし、睨み上げた。 「……最悪です!」 「はは、その顔チョー最高」 「何で本当、やめてください……最悪過ぎる……優しいかと思ったのに、こんなことするから、本当に訳わからない」 兄として優しくされたことで油断してた、そうだこの男は誰でも良い貞操観念がおかしいんだ。 警戒してたのに、家族として受け入れたいとか多分意識があったんだ。 「簡単だろ、お兄ちゃんが弟くんを可愛がってるだけなのに」 「兄弟はこんなことしません」 「そんな偏見良くねーよ、かわいいって思ったらキスすんだろ?」 「価値観の相違です」 「カチカンのソーイ、そう言うこともあるわな」 そう言うことしかないんだよ、と更に歩く足を早めようかと動かす、前に腕を掴まれる。 何、と思えば手の平にコロリと包装紙に包まれたミルクキャンディを乗せられた。 「な、んですか……」 「そーいや、入学式には親父来るって張り切ってたな」 「え、ああ……そ、うですね……」 「在校生とかは参加しねーけど、ま、家族が参列して良かったな」 「……」 まただ。 卒業式の時も、1人を気遣われた気がして。 変なことするのに、家族であろうとする。 家族として近寄ってくるのに、キスしてくる。 何なんだ、この男は。全然わからない。 苦手なのは変わらない、のに……嫌いとかじゃない、と思ってしまう僕は、絆されてるのだろうか。 構われたくないし、近寄られたくない。のに、兄として優しくされるのはくすぐったくて変な気持ちになる。 僕の家族は母さんだけで良かったのに、聖一さんの歩み寄りを受け入れたい、から。 距離感が掴めないこの男も家族として受け入れたい、と意識が向いてるのかも知れない。 「……先輩、は……」 話し掛けようと口を開けた、と同時に荻野潮のポケットから軽快な音が流れポケットからスマホを取り出し画面を確認するとすぐに音が止まり、ポケットに仕舞った。 「ん?」 「……いえ、何でもない、です」 何となく、話すタイミングを逃して荻野潮から視線を逸らす。 さっさと学校に行こう、同じ学校でも学年が違うからこの男から離れられるはず。 そうと決まれば、と足を早めに動かした。
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