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1.
眞藤和沙はその日、中学校から帰宅したところで“それ”を見つけた。
田舎らしい大きな家の裏手にある、ちょっとした犬小屋。その主であるおおきな日本犬のしろ──色は赤茶色である──の見事にくるりとした巻尾に、まるでビーズクッションに沈むみたいにしておさまって。
ふんわりとしたきんいろの長い髪。褐色の肌。ずり落ちかけたメガネの奥で、髪とおなじきんいろのまつげがきらめいている。
それは、きせかえ人形くらいの大きさの“ひと”だった。
ひどくデキのよい人形と思えなくもなかったけれど、目をとじて、そのやすらかな寝息にあわせて胸元が上下しているのが見てとれてしまった。なんならときどき口をむにょむにょしている。
ベッドにされたしろの方を見ると、飼い主に助けを求めるような困ったような顔で見上げていた。
「だれ?」
思わず声が出る。
「というか、なに?」
たとえデキのよい人形だとしてもうちの犬のしっぽで昼寝をしている意味はわからないのだけれど、動いているとなればなおのこと。
かずさの声に、“それ”は目をさました。
あらわれたのは、かがやくような碧の瞳。
それがとろりとかずさを見て、
「ああ。おかえり、かずくん」
と、にっこり微笑んだ。
「は?」
「え?」
「おれの名前」
それは、今、たしかにかずさの名を呼んだ。
「うん」
「近所のおばさんみたいなこと言いやがって」
「だって、近所のおじさんだもん」
「はあ?」
新に生じた疑問のまえに、おじさんなのか、と思った。パッと見では男性か女性かあいまいだったけれど、声はたしかに男性のように感じる。
「きみが生まれる前から知ってるからね」
彼はこともなげに続けた。
「──おまえ、なんなんだ」
「ぼくはほら、あれだよ、床下に住んでるこびとさんとかねずみさんとかああいうやつ。ジブリの映画にもあったでしょ」
「泥棒」
「そう言うと身もふたもないな」
「ジブリの映画を知ってんのかよ」
「きみん家で見てたからねー」
「勝手に見たんだ」
「うん。勝手に見た」
「うちの床下に住んでるの」
「うん。このあたりがうちの縄張り」
「白昼夢っぽい」
かずさは、きもちを落ち着かせるように犬をなでた。
「むずかしい言葉知ってるね」
「で、そのこびとがなにしてんの。うちの犬で勝手にくつろいで」
「お昼寝しちゃった。きもちよくて」
「というかのんきにしゃべってていいのか。それこそジブリの映画で言ったら、人間に見つかっちゃいけないとかないの」
「あは。あるねー」
「あるのかよ」
「うん。でもまあ、もう見つかっちゃったからねえ。いまさらあわててもしょうがないじゃない?」
「おれが悪いやつだったらどうするの。捕まって売り飛ばされて実験材料にされたりとか、そういうのあるかも」
「大丈夫。かずくんはそんな悪い子じゃないもの」
「親戚のおばさんかよ」
「うん。だいたい親戚のおじさんみたいなきもちかな。きみがあかちゃんのころからずっと知ってるし」
「は?」
「あかちゃんだからおぼえてないかもしれないけど、一回近くに行ったこともあるんだよ。ぎゅーってしたら、ぷにぷにで、いいにおいがしてた。赤ちゃんって変なところに腕のおれめあるの知ってる? かわいかったなあ」
言いながら彼はうっとりと目をすがめる。
「おい」
「もちろん今もかわいいよ」
「そんなこと気にしてねえよ」
「だからね、見つかっちゃったのはよくないかもだけど、会えて、お話できてうれしいんだ」
そう言って彼は、にっこり微笑んだ。
きれいな顔をしている。まるでとおい外国の美女のような神秘的な美貌だ。
きれいだと感じ入ってしまうのはなんだかくやしい気がしたのだけれど。
「今のかずくんにも、さわっていい?」
「赤ん坊のおれにも許可してないんだけど」
「だめ?」
「──いいよ」
ほんとうにうれしそうに笑う。先の言葉を裏づけるように。目をさましてからずっとそうだった。
むげにすることもできずに、かずさは彼に向けて手を差し出した。
「もうぷにぷにでもいいにおいでもないだろうから残念だけど」
「そんなことないよ」
腕をのばして、そのちいさな手がふれた。
体温がある。
「中学生のかずくん」
かずさの指にそのからだごと寄り添って、抱きしめ、ほおを寄せる。
「おおきくなったねえ」
「あんたよりはずっと大きいと思う」
「そういうことじゃないよ」
わかっている。けれどなんだか照れくさくなり、茶化してしまった。
彼のちいさなからだの体温は、なんだかたまらないような気がした。
「おれもさわっていい?」
「ん。いいよ。やさしくしてね」
「変な言い方するな」
「ふふ」
かずさは、彼の腰の下にもう片方の手を入れて、慎重に持ち上げる。
「わ」
彼はすこしバランスをくずして、触れていた手にしがみついた。
「怖い?」
「だいじょーぶ」
その場に腰をおろし、からだに固定するように抱える。
ふたりの話のあいだずっとじっと様子をうかがっていたしろが、そこに寄り添った。
「思ったより、」
「ん?」
「重たい」
人形を持つよりも、だいぶ重みがあった。
「中身があるからねえ」
「中身って言うな。グロい」
「ふふ」
かずさは、持ち上げるときにすこし乱れた彼の髪を撫ぜた。
やわらかい。彼はきもちよさそうに目をすがめた。
誘われるように、指でほおをさする。傷つけないように注意しながら。
なめらかな肌。
生きているものの脈動。
「そんなにおそるおそるしなくても平気だよ」
「いや、あんただってわかんないだろ。人間の力加減なんか」
「やさしいねえかずくん」
彼がふふと笑うと、振動がつたわってきた。
なんともいいがたい感動があった。
「そういえば、あんたの名前は?」
「ミク」
「それだけ?」
「うん。それだけ」
「ミク」
「うん」
ミクはまたにっこりと微笑んだ。
「かずくんにぼくの名前呼んでもらう日がくるなんて。うれしいね」
「いつからうちにいるんだ?」
「ぼくは、きみのお父さんよりすこし年下かな。ご先祖さまはずっと前からいたよ」
「日本のこびとは日本人と似ているとかじゃないんだな」
「まあだいたいそんな感じだと思うけど、ぼくらの一族はたぶん外国から来た血がまじってるからね」
「そうか」
「きらい?」
「べつに、どっちでもいいけど」
「よかった。かずくんは、さらさらでつやつやの黒い髪でいいよねー。すごくきれい」
「おれはフツーだよ」
「そんなことないよ。自信もって」
「べつに自信なくしてはないよ」
かずさの警戒心が解けてくると、そばにいるしろももうふたりにはおおきく関心を向けず伏して目を閉じていた。
「かずくん、おねがいがあるんだけど」
「なに?」
「おさとうちょうだい?」
「はあ?」
「ながぁいふくろに入ったやつ、あるでしょ」
「グラニュー糖か」
「あれ、ほしいなー」
「あんた、ほんと開き直ってきたな」
「おねがいしたら、泥棒じゃなくていいでしょ」
「まあ、いいけど」
「やったー」
「ひとつでいい?」
「うん。あんまりたくさんは持って帰れないからね」
かずさはミクをそっと地面に置くと、家の中に入っていった。
ミクは暇をもてあまし、しろにもたれかかる。
あったかくてもふもふでこころやさしい彼がだいすきだった。
ほどなくして、かずさが家から出てくる。
「ん」
と、青いラインの入った袋のスティックシュガーを差し出した。
「ありがとうー」
ミクは立ち上がって、それを受けとる。
「持って帰れそう?」
「うん。ぼく、きみが思うよりちからもちだと思うよ」
「そうなのか」
「じゃあねー」
「うん」
おおきく手をふって、グラニュー糖を抱えたミクは帰っていった。
その姿はすぐに見えなくなる。まるで消えたように。こびとのわざだろうか。
かずさはそれを見送りながら、これで最後だと思うとすこしさみしいような気にもなった。
人間に見つかってはいけないおきてだというのだから、もう二度と彼と会うこともないだろう。
妙な経験だった、と思う。
たぶん、一生忘れないことになる。
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