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清輝と小娘が天守閣タワマンにて欲情の趣くままに互いの身体を貪り合っているその頃。
ヒロポン禿はその隠れ家へ、恰もゴキブリの如く逃げ込んでいた。
這々の体で隠れ家へと逃げ込み、漸く安堵の溜息を吐いたヒロポン禿。
脂汗を湛えヌラリと光るその禿頭の中には様々な思いが過ぎっていた。
これまで上々であったヒロポン団子の商いが潰えてしまったことへの悲しみ。
手塩に掛けて育ててきた数多の部下達を喪ったことへの無念。
土壇場にて裏切った小娘に対する恨みの念。
追い詰められた挙句に己の拠点を爆破せざるを得なかったことへの悔しさ。
そして。
己の全てを奪った清輝への身を焦すかのような怒り。
然れど、このヒロポン禿が清輝に対して抱いていたのは怒り、或いは憎しみだけでは無かった。
清輝を恨めしく思うその一方で、彼の頭を彩っていた艶やかなる丁髷に強く心惹かれてもいたのだ。
このヒロポン禿とて何も好きで禿となり果てた訳では無かったのだ。
ヒロポン禿の齢は四十五歳、中年の域である。
彼とて若かりし頃は丁髷に憧れてもいたのだ。
けれども、哀しきことに生来の縮れ毛故、丁髷を結うことは叶わなかったのだ。
陰毛の如くチリチリなその頭髪は、いくら鬢付け油を付けようともチリチリのままであり、髷を結うに至らなかったのだ。
そのことはヒロポン禿のガラスハートに深々としたトラウマを与えていた。
丁髷を結えぬことは、彼の心に深々としたコンプレックスを刻み込んでいたのだ。
そして、その齢が四十歳を過ぎた頃だった。
その陰毛の如き縮れ毛な頭髪は、次第に薄くなり始めたのだ。
怖れに駆られた彼は、ありとあらゆる育毛剤に手を出した。
古の毛根復活秘儀である『紫電改+』にすら手を染めたのだ。
けれども、哀しいことにあらゆる努力も実を結ぶことは無かった。
頭頂部の縮れ毛は次第に薄くなり、何時しか部分的な禿となった。
程無くして頭全体の髪の毛がその姿を消し、まごう事なき完全なる禿となった。
ヒロポン禿は何時しか自分自身に言い聞かせるようになった。
丁髷など実に醜き前時代的なものであると。
艶やかな丁髷をひけらかして町娘の欲情を唆ろうなどとするのは実に浅ましき所業であると。
そう、彼がヒロポン団子の密売に手を染めたのは、実利を求めてのことだけではなかったのだ。
彼が胸中にて抱く、丁髷が持て囃される社会全体に対しての儚きレジスタンスといった意味合いもまたあったのだ。
彼が根深く抱く「丁髷コンプレックス」の代償とも言える行為だったのだ。
隠れ家にて一息ついたヒロポン禿は気が付いた。
その左手に艶やかな丁髷を握り締めていることに。
その丁髷はあのヒロポン団子倉庫から逃げ出す際、清輝から「餞別」として投げ渡されたものだった。
ヒロポン禿はその丁髷を右の掌へと載せる。
その丁髷をしげしげと見詰める。
丁寧に鬢付け油が塗られた丁髷は、まさに輝くかの如き艶めいた色合いを放っていた。
丁髷を為す髪の毛が湛える色は、まさに緑為す黒髪といった趣きであった。
それは、つい先程目にした清輝の若々しく溌剌とした様を思い起こさせるものだった。
まるで何かに取り憑かれたかのようにして、ヒロポン禿はその丁髷へと見入っていた。
彼の心の中に、とある欲望が形を為しつつあった。
それは、彼が見入っているその丁髷を自分の禿頭に乗せてみたいという欲望であった。
この艶やかな丁髷を自分の頭に乗せれば、心の奥底にて密やかに抱き続けてきた「丁髷コンプレックス」が氷解するのではという思いが彼の心を占めつつあったのだ。
まるで何かに取り憑かれたかのようにして、ヒロポン禿はフラフラと隠れ家の洗面所へ足を向ける。
薄汚れた鏡の前に立ち、そこに映る自分の禿頭を見詰める。
それは実に見窄らしく、哀れ極まりない無惨な禿頭であった。
ヒロポン禿はその清輝から投げ渡された丁髷を禿頭の天辺へと置いた。
そして、再び鏡を見遣る。
知らず知らずのうちにヒロポン禿は嬉しげな微笑みを浮かべていた。
自分の頭の上に艶やかな丁髷が載っている様、それはまさしくヒロポン禿が長らく夢見続けてきた情景であったのだ。
ヒロポン禿の胸中に暖かな喜びが込み上げる。
これでもう、「丁髷コンプレックス」に苛まれることは無いのだ、と。
そして、ヒロポン禿はこう考えた。
明日はネオお江戸に行ってみよう、と。
町娘たちにこの艶やかな丁髷を見せつけてやろう、と。
何せ、あの清輝から受け取った丁髷なのだ。
きっと町娘たちは夢中になるに相違あるまい。
ヒロポン禿の胸中が歓喜と欲情、そして希望とで満たされ始めたその刹那。
彼の視界は唐突に生じた輝きにて満たされた。
そして、ヒロポン禿の意識はふっつりと途切れた。
清輝がヒロポン禿に投げ渡したもの、それはスーパー自爆丁髷であったのだ。
清輝からその丁髷を受け取った者がその艶やかさに魅入られて己の頭に載せた時、丁髷の中に封入された高感度センサーは脳波を感知する。
そして、同じく丁髷の中に封入された高性能多機能信管を作動させるのだ。
作動した高性能多機能信管は0.5秒の間に丁髷の髪の毛を電気分解する。
電気分解によって発生した窒素などの物質からTNTを主成分とする高性能爆薬を生成する。
そして、その高性能爆薬を炸裂させるのだ。
高性能爆薬は極めて微少であり、それが炸裂した場合の被害半径は精々半径五センチメートルといったところだ。
しかしながら、それが人の頭の直上にて炸裂した場合は致命傷となってしまうのだ。
古の諺に「三寸斬り込めば人は死ぬのだ」とあるが、それが頭上である場合には二寸足らず、即ち六センチに満たずとも十分な致命傷となるのだ。
また、発生した爆風は爆発によって生じた頭蓋骨の破孔から一気呵成に侵入し、その脳を内部から木っ端微塵に粉砕してしまうのだ。
こうして、ヒロポン禿はその生を終えた。
死因は『丁髷の爆発』であった。
けれども、その生が終焉を迎える刹那、彼の心は希望と幸せとに満ち溢れていた。
艶やかな丁髷でその禿頭を彩ることができたその刹那、ヒロポン禿はまさに幸せの絶頂にあったのだ。
これまで抱き続けて来た「丁髷コンプレックス」から解き放たれたその刹那、彼の心は歓喜と共にネオお江戸の空に羽ばたいていたのだ。
丁髷とは爆発なのだ。
そして、生の煌めきなのだ。
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