その聖女を怒らせないでください

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「ミライ・ム・スメニバール伯爵令嬢! 君が聖女であるアイハ・ハセイ男爵令嬢を影で苛めていたという噂が立っている。これは本当か?」  王立カシュハイト学園大ホール。時は華やかな学園舞踏会の真っ只中である。紳士淑女の卵たちが、きらびやかな光の中で新たな縁を築きながら絶対的格差を見せつける宴。本来ならその真ん中で一番強い輝きを放つはずだった学園の2人、カシュハイト王国の第2王子であるグレイシス・ラ・カシュハイトとその婚約者であるミライ・ム・スメニバールがなぜか睨むように相対している。  よくある転生ものの舞台のようだ…いや、まさにその通りなのだが。  ミライには転生前の記憶がある。まだ幼い少女だった頃、母の目を盗み繰り返し読んだ母の愛読漫画「カシュハイト-微笑みの聖女-」、そして自身のうっかりで階段を踏み外して一番下まで落ちていった痛い記憶。本を読みながら歩いちゃいけないとしつこく言われてたのに…お母さんに怒られるなぁ…なんて思いながら、途切れた記憶。そうして気がつけば、漫画の世界に転生していたというわけだ。  だが、転生してきた自分がまさかあの漫画のミライだと気がついた時、神は存在するのだと思った。 「噂は‥‥真実ですわ」  ミライはセンスを片手にニヤッと微笑む。 「な‥‥!?」  絶句する婚約者と居合わせた者たち。静寂のち混乱。第2王子の婚約者のまさかの告白に冷静ではいられない。 「違います! ミライ様はそんなことをしてはいません!」  その声は澄んだ一滴の清水のように舞踏会場に響き渡った。 「アイハ・ハセイ‥‥なんで‥‥」  ミライは声の主に顔を向ける。グレイシスの陰から現れたのはミライに苛められているという噂の主アイハだった。儚げな瞳に憂いを帯びてミライを見つめている。 「貴女に降りかかった不幸な事故は、私の仕業である‥‥と申し上げましたのよ? 何か問題が?」 「そんなわけがありません! ミライ様がやったなんて‥‥そんなこと‥‥」 自身が罪を認めているにもかかわらず、なおも食い下がるアイハにミライはイラっとした。  カシュハイト-微笑みの聖女-  ミライが知るこの物語は第2王子グレイシスとその婚約者ミライが苦悩し困難を乗り越え、最後に笑顔でハッピーエンド♪ となる物語である。ミライの前に立ちふさがったこの断罪シーンは【ミライが、グレイシスを慕う聖女アイハに陥れられ婚約者グレイシスと引き裂かれる】である。  本来ならこのシーンでミライがすべきことはグレイシスに疑惑を否定し、縋りつくことだ。しかし、それはミライにはできなかった。なぜなら‥‥ 「私はこの罪を償うために、修道院に入るつもりです。ですので、どうかおふたりはお幸せに」 「ミライ様!?」 「ミライ嬢? 何を言って‥‥」  ざわめく会場。広がる動揺。当然物語とは大きく違う展開である。  物語と違う? それがどうした。ミライの望むのはアイハとグレイシス、この2人をくっつけることだ。理由は簡単。この2人が並ぶと本当に絵がいいのだ。金髪でふわふわパーマで碧眼のグレイシスと少し幼さの残る愛らしい顔立ちに漆黒のストレートヘアのアイハ。この2人がカラーで表紙を飾ったときの美しさにミライは感動すら覚えたものだ。だから、この2人をくっつければ最強のツーショットをずっと眺めていられる。くっつけるためにはミライはさっさと退場すべきなのだ。(私は修道院からこっそり抜け出して見にくればいいもの!) 「み、認めるのかか? あアイハ‥‥嬢を苛めたことをぉ?」  動揺が隠し切れなくて噛みまくるグレイシスは視線を泳がせて誰かに助けを求めている。 「やってもいないことを、認めるとおっしゃるのですか?」 「やったからやったと言っているだけじゃない」 「やってないでしょう!?」  ミライとやった、やらないの押し問答を続けるアイハも次第にイライラとし始めている。というか、何故アイハがイライラしているのだろうか? ミライがいなくなったほうがアイハにとっては都合がいいはずなのだ。アイハはグレイシスが好きなのだから。 「私が! や! り! ま! し! た!!!」  こうなったら押し切る! 力押しで!  天が鳴る。空が光る。地が響く。 「なに!? さっきまでいい天気だったのに嵐!?」  ミライの宣言とともに轟く雷鳴、落ちる稲妻、滝のような雨に揺れる大地。 恐慌と混乱が会場を包む。  ミライは思い出した。この物語の【微笑みの聖女】がアイハだったことを。そして、その微笑みの聖女の由来を。  微笑みの聖女。彼女が喜べば空は晴れ渡り、悲しみに涙を流せば大地は雨に濡れる。彼女の感情は天候を左右するのだ。 「ミライ様、貴女はやってないでしょ? やってもいないことを認めるのは悪いことですよ?」  アイハは笑っていた。でも、その瞳の奥には明らかな怒りの炎が燃えていた。笑ってるけど‥‥笑ってない。 「はい! やってません!」 「それじゃ、グレイシス殿下と仲直りを」  雨が少しだけ止んできた。 「え‥‥」  雨が強くなった。 「はやく、仲直りして?」 「はい!」  ミライは命の危機を感じて、呆然としているグレイシスの手を握った。 「よろしい、仲良きことは美しきかな」  アイハの言葉に、ミライは大きくうなずきながらも、ミライとグレイシスのカラー表紙をべた褒めしていた前世のお母さんを思い出した。 満足げなアイハの微笑みとともに、雨は虹を残して消えていた。
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