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12 幸せの甘い香り
私は今日、フェリクス王太子殿下の妃になった。
周辺諸国の王族も招いての祝宴で婚約が発表されてから、半年後のことだった。
私は人生の多くを厨房で過ごしていたので、アダン伯爵の罵った通り、凡そ貴族令嬢らしからぬ野暮ったさが沁みついており、怒涛の花嫁修業でかなり扱かれた。けれどそもそも体力と根性はあったので、半年を無事にやり遂げた。
殿下だけでなく、モンソンの味を懐かしむ国王陛下夫妻も私を応援してくれたので、環境に恵まれていたことが大きい。
「少し痩せたかな」
フェリクス殿下は、顔つきから厳格そうな印象を相手に与えるというのに、とても甘党で、とても優しい。実際、私は少し痩せた。花嫁修業にはダンスが含まれていたので、恐ろしいほど運動させられて、お腹が減った分は夜にこっそりパンを焼いて食べていたのだけれど、それでも痩せたのだ。ただ、一般的な令嬢や貴婦人たちと比べると、まだまだぽっちゃりとしている。
「お陰様で。ですが、今日からは永遠に続く御妃教育が始まりますから、頑張ります」
「なにも心配はいらない。君が幸せに、私と食卓を囲んでくれさえすればいい。あまりにきついようなら私から言うから、隠し事はなしだ。いいね?」
「はい」
「君の厨房は私が死守する」
料理長としてモンソンには誇りがあった。
領主として、祖父には誇りがあった。
私は、人生を愛おしむ人の妻であり、いずれ国を統治する人の妻となった。
命を繋いでいくこと。生きることを、喜ぶこと。それが、私の誇りになる。
「おめでとうございます、殿下」
「まあ、可愛らしいプリンセスですこと。昔を思い出しますわ」
結婚披露の宴では、そのほとんどが挨拶に費やされる。
殿下の隣で祝福を受けつつも、私の体形は殿下の幼い日々を見る人に思い起こさせるらしい事実に、心が和んだ。
大広間に並ぶ、豪華な食事。
一時は共に過ごしたモンソンの弟子である彼らが、今日のために用意してくれた、命の糧。かつてモンソンが、陛下や殿下や賓客たちのために日夜そうしていたように、これからもここで紡がれていく、栄華と命。
彼は、私がまさか可愛いわんぱく王子のうちのひとりの妃になるなんて、想像もしていなかっただろう。私はひとりの、寂しい女の子だった。
叶うなら、この国に暮らすすべての人の心が、甘く優しい香りに満たされますように。そう願わずにはいられない。
「アンバー。見たまえ」
殿下に声をかけられて、その指し示す方を見ると、懐かしい面々が特大の美しいケーキを携えてこちらにやってくるところだった。
まるで彫刻のように美しい3段のケーキは、宝物のように輿に乗せられ、彼らに担がれて輝いている。人々の喝采を浴びながら、彼らの最高傑作が運ばれてくるのだ。
「……っ」
涙がこみあげた。
「これは、聞いていない。彼らの気持ちだ」
殿下がそっと囁き、それから、先頭のバルタサールを迎える。
料理長になったバルタサール、副料理長のベルマン、それにトルネル、ブロリーン、テディ、オットソン、スヴェン、トール。モンソンのレシピを蘇らせた、私の仲間たち。私をここへ招いてくれた、モンソンの愛弟子たち。
かつて孤独だった私は、今、モンソンの優しさによって、愛に包まれている。
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