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6 愛弟子の正体
「ああっ、最高だよ……マイ・シュガー。私をメロメロにさせたな」
殿下に喜んでもらえたのは嬉しいけれど、喜び方が少し、予想の斜め上をいっていて戸惑う。
殿下は頬を薔薇色に染めて、目を潤ませ、鼻にかかった甘い声で私を褒める……ようでいて、私の焼いたジンジャークッキーを絶賛しているのだ。彼の感激や賞賛は、言葉通り私が受け取っていいものではない。
「光栄です、殿下。お褒め頂いたことはすべて、天国のモンソンに捧げます」
「ん~……うぃじふぁしぃ(いじらしい)」
殿下の噛み砕いたのが、わんぱく王子3人の誰の頭かはわからない。
高貴な顔立ちを崩し、屑を撒き散らしながら、喜んで食べてくださっている。
「楽しみだよ。クリスティアンとヨセフも大喜びだ」
ほかふたりの王子も祝宴に招かれている。
私は緊張のために手を揉み合わせて、零れ落ちるジンジャークッキーの屑を眺めながら、知らず知らずのうちに微笑んでいた。やっぱり喜んでもらえれば嬉しいし、モンソンの功績を蘇らせることができて誇らしい。
「実は、今お召し上がり中のクッキーの3年後を描いた『わんぱく三剣士のマジパン』というレシピを発見致しました」
「おお!」
「殿下と、お友達の王子様に、ぜひ召し上がって頂きたいと思います」
「おおお! 神よ!!」
こうして殿下に焼き菓子を食べて頂きながら、私は忙しい準備期間を過ごした。
再現したレシピは私たち9人がただ作ればいいというものではない。祝宴に向けての取り組みなのだから、その規模で用意しなければいけない。
手分けしてほかの料理人やメイドたちに教えなければならなかった。そして、彼ら彼女らにも完璧に再現してもらわなければならなかったのだ。
「アンバー。こっちは任せて、あんたはプリンス・ベイキングを頼む」
後半はバルタサールが気を利かせてくれて、私は殿下のための焼き菓子と、殿下たちのための焼き菓子の試作に専念することができた。
そうしてわずかでも余裕ができると、殿下が庭園の散歩などに誘ってくださり、息抜きのようでいてそうでもない忙しさに見舞われてしまった。とても光栄だった。
忙しいと、月日が経つのはあっという間だ。
しかも祝宴の準備という現実的な忙しさも相まって、気づいたら前日を迎えていた。食材の搬入から段取りまで担うバルタサールは、戦場を支配する指揮官のように威厳と迫力を湛えている。
そこへ、ここ最近の恒例である殿下が訪れた。
「アンバー。来てくれ」
「いけませんよ、殿下。今夜ばかりはアンバーは貸せません」
バルタサールも本気。
けれど、殿下のほうも本気だった。
「いや、アンバーを貸し出していたのはこちらのほうだ。彼女は料理人ではない。我らの英雄シュガーもといヴィリアム・モンソンの愛弟子は、ボンフィス伯爵令嬢なのだ」
「え……っ!?」
「!」
厨房は動きを止め、別の緊迫感が漂い、やがて騒然となった。
「そういうわけだから、彼女には彼女の準備がある。私が彼女を招き、彼女は私の私的な友人としてふるまってもらう。料理人が食材と香辛料を吟味するように、ドレスと宝石を吟味するのだ。アンバー、来たまえ」
私は木べらを握りしめた。
この厨房で、仲間たちと、最後まで駆け抜けるものだと信じ込んでいた。祝宴で令嬢として殿下の隣に立つなんて、考えたこともなかった。望んでさえ、いなかった。
幸い、マジパンは、保存のきくものなので、完成している。
ただ、完成しそうだった友情が、今、砂糖菓子のように崩壊した。
トルネル、ブロリーン、テディ、ベルマン、オットソン、スヴェン、トール、そしてバルタサール……誰も、もう私と目を合わせてくれなかった。
戸惑う私を、殿下は忍耐強く待ってくれた。
そして、ついにバルタサールが口を開いた。
「お世話になりました、アンバー様」
「……!」
胸が張り裂けそうだった。
実際、私は粉塗れの手を胸にあてて、涙を堪えた。
「行こう」
殿下が優しく、囁いた。
私はもう、シュガーではなくなってしまったのだ。
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