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7 王子様と私
そう悲しんだのだけれど、そうとも言い切れない事実が明かされた。
祝宴の準備で忙しないのは厨房だけではない。
宮廷内も当然、大勢の使用人たちが徹夜で働いている。
衣装室へと案内される道すがら、殿下は言った。
「急かしてすまない。だが、明日はぜひ友人たちに会ってもらいたい。君の身元を偽るわけにはいかなかった。どうか、わかってほしい」
「はい」
相手は王太子殿下。
従わないという選択は、最初からないのだ。
私は義務だと考え、既に『わんぱく3剣士のマジパン』が完成していることを伝えた。
「中は保存のきく砂糖漬けにした果実のケーキですし、焼きたてより寝かせたほうが美味しいですから」
「そうなのか。ありがとう」
「焼きたてのほうが美味しいものや、プチフールについては、厨房のメイドたちが完璧に再現できます。ご安心ください」
「さすがだ。ところで、君に贈り物がある」
そう言って殿下は扉を開けた。
ずいぶんと可憐に整えられた、談話室に見えた。
「これは前菜。メインは奥だ」
さほど広くはない一室には、テーブルと4脚の椅子、それに長椅子と安楽椅子が整えられている。窓の外は、美しい庭園だ。
衣装室に向かっているものとばかり考えていた私は、殿下が続きの間の扉を押し開ける瞬間まで、そこには私の体形に合わせたドレスが用意されているのだと思っていた。嬉しさより、恐れ多くて汗が止まらない。
「さあ! マイ・シュガー!」
「……!」
そこは、小ぶりな厨房だった。
ちょうど人ひとり立ち回れるほどの、真新しい厨房。
「君への贈り物だ」
「……殿下、これは……っ」
喜びと混乱の渦に飲まれつつ、私は殿下を見あげた。
殿下は、煌めくような笑みを浮かべ、優しく私を見おろしている。
「こっそり改築したのだ。君の腕は素晴らしい。だが君は、やはり料理人ではない。しかし、君が素晴らしい特技を持つ伯爵令嬢であるならば、なんら問題はない。ここで心ゆくまで焼き給え」
「あ……ありがとうございます!」
感激だ。
私は小躍りするような足取りで中に入り、あれこれと触って確かめた。すべて素晴らしかった。いちばん奥の小さな扉を開けると石の階段があり、庭園に出る事ができる。食材や石炭を運び込むのにちょうどいい。すぐに取り掛かれるよう、厨房と同じものが既に用意されている。
ついさっき仲間を失ったばかりという悲しみも忘れ、有頂天になった。
思い出させてくれたのは、ほかでもない殿下だった。
「それと、父上と協議の上、バルタサールを料理長に決めた」
「え……?」
木槌と甕のあたりにしゃがみ込んでいた私は、我に返って殿下を見あげた。
殿下は、少し、しんみりとした口調で眉を下げた。
「埋め合わせになったかな」
唐突に私の正体を明かした事を、気に病んでいるようだ。
「彼は、立派に務めます」
「ああ。そうだろう。あの男も君同様、素晴らしい功績をあげた」
「ありがとうございます」
舞い上がった自分が恥ずかしくなって、ゆっくりと立ち上がり裾を直した。
「君がここで腕をふるい、私たちは向こうで待っている。時には手伝わせてくれてもいい。君の思うがままだ。4人で甘く濃密な熱いふわっふわでサックサクな夢のような素晴らしい時間を堪能しよう」
「4人……」
なるほど。
前菜の可憐な談話室は、そういう趣旨の部屋のようだ。
殿下がキリッと表情を変えた。
「さあ、衣装室へ」
「はっ、はい!」
時間がない。それもまた事実だった。
殿下の背中を小走りに追いかけながら、戸口で今一度、私の厨房をふり返る。
「……」
素晴らしくて、涙が出そう。
心の中で、モンソンへの愛を叫んだ。
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