8 レモンケーキ或いはポーク

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8 レモンケーキ或いはポーク

 寝付きが悪いほうだけれど、疲れも溜まっていてぐっすり休めた。  そして目が覚めると、祝宴の慌ただしさに呑み込まれた。  殿下が選んだドレスを着た私は、まるで艶めくレモンケーキみたい。もちろん大振りなという意味だけれど。ものを考える余裕もなく、初めて会うメイドたちに身形を整えられて、気づいたら殿下と並んで歩いていた。きっと私に混ぜられるパン種も、こんな気持ちなのだろう。なにがなんだかわからないけれど、膨らんで焼かれる運命。  招待客を出迎える殿下の隣で慎ましく控えている自分に、我ながら疑問しかない。 「まあっ、どなた!?」 「ぽっちゃりしているわ!」 「妹君……?」 「え? お姫様なんていらっしゃらないはずだ」 「じゃあ従姉妹?」 「なんだか懐かしいですな、わっはっは」  なにを言われても、私は静かにお辞儀するのみだ。  そもそも私より地位の高い方々が列を成していて、私が理解できる状況を越えていた。バルタサールたちが今も働く厨房に戻りたかった。殿下が見せてくれた個室については、完全に忘れていた。 「やあ! フェリクス!!」 「クリスティアン! ようこそ!!」 「お招き感謝します。ところで君、いつ結婚していたかな?」 「彼女はシュガーだ」 「な…………………っ! ふぁああぁぁぁぁぁあああっ!!」  この方がクリスティアン殿下。  煌めく金髪の、神話のような美貌。 「ああ、フェリクス。懐かしい……君たちとの日々を忘れた日はなかった……っ」 「私もだ、ヨセフ。再会できて嬉しい」 「はぁっ、……っ、もう叶わないとわかっているが、シュガーのプティングが食べたいよ」 「叶うさ! 彼女がシュガーの愛弟子だ!!」 「へっ!? ウッヒョアアァァァッッ!!」  この方がヨセフ殿下。  栗毛色の髪に映える、琥珀色の瞳が印象的。   「行こう」 「?」  永遠かに思われた挨拶の時間が終わり、私は大広間に移った。 「まあっ、どなた!?」 「ぽっちゃりしているわ!」 「妹君? 従姉妹?」 「年頃になるまで隠していらっしゃったのね!」 「可愛らしいですなぁ!」  行列の殿下側ではなく陛下夫妻側やさらに奥で構える王太后陛下側を通った招待客は、このときまで私が目に入っていなかったようで、無数の注目を集め俯いて歩く私はまるで屠られるために歩く豚のようだと我ながら思った。    夢の中を歩いているように、足には感覚がなかった。    大広間で、盃を掲げる瞬間でさえ、自分が自分でないような気がした。  そんな中で、ふと思い出した。  そうだ。祖父がいるはずだ。祝宴に沸く招待客の中から祖父を探し出すのは、砂糖に零した一粒の塩を探すようなものだった。そして塩は見つからないまま、気づくと私は3人の殿下に伴う形であの厨房付き談話室に立っていた。  実際、歩きながら気絶していたのかもしれない。 「うわぁ、可愛い部屋だね!」  ヨセフ殿下がステップを踏んで部屋を一周。   「なんてことだ! わんぱく坊やだ!!」  テーブルに用意されていた『わんぱく3剣士のマジパン』に、クリスティアン殿下が中腰になりながら突進。跪いて、こどものように目を輝かせ、匂いを嗅ぎ、そして涙ぐんだ。 「ああ……ッ、シュガー……!」 「……!」  私の中に、かつての光景が鮮烈に蘇った。  孤独な私に、モンソンが毎日、甘くて美味しい焼き菓子を目の前で作ってくれた。私は毎回、感激して厨房の端の椅子から飛び降りた。  殿下と同じ気持ちを、私も知っていた。 「ん? マイ・シュガー?」  喜ぶふたりの友の姿にご満悦という様子だったフェリクス殿下が、私を見おろしたとき、私は絹の手袋を苦労して外しているところだった。 「紅茶が要りますね。それに、ヨセフ殿下に大急ぎでプティングを焼いてさしあげないと」 「まずは座ろう。君は料理人ではないのだ」 「いいえ。生きる事は食べる事。私は焼きます」  言い返してしまった。  出過ぎた真似に、一瞬、肝が冷えた。  けれど、殿下は心打たれたように息を詰まらせ、胸を押さえ、目に涙を溜めて、 「ああ、マイ・シュガー」  と、熱い囁きを洩らした。
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