序章 1

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序章 1

「おい、やっと灯りが見えたぞ」  ステアリングを握っている若林智司(さとし)が叫んだ。  眠りこけていた同乗者たち四人が、一斉に目を開き前方を見詰める。  かなり遠くにだが、明らかに電灯だと思われる光点が見えている。  街灯一つない道をヘッドライトだけを頼りに、一体どれくらい走っただろうか。 「やっと人家のある所を見つけたな」  助手席に座っている別当大輔が、ロードマップを片手に後部座席を振り返りながら笑顔を見せた。  コクピットのデジタル時計は、20時18分と白色の数字を浮かび上がらせている。 「もうっ、八時回ってるじゃない。六時頃にはペンションに着いてる予定だったじゃないの、今頃温泉に浸かって晩御飯も食べ終わってるはずじゃん。どんだけ迷ったのよ、あのドライブインを出てからずっと迷ってんじゃないの。そう言えばあの店の人って凄く怪しかったよね、それに気味悪いトンネルもあったしさ」  派手目な顔に不満の色をありありと浮かべた嵯渡怜子が、助手席から振り返った別当大輔をにらんだ。 「大体カーナビが壊れてる車なんてなぜ借りたのよ。信じらんない」 「しょうがないだろ、ミニバンはこれしか残ってなかったんだから。コンパクトカーならあったのにお前がそんな狭いの嫌だってごねたんだろうが」  別当大輔が嵯渡(さわたり)怜子に言い返す。 「あんた地図ちゃんと見れんの、あんたがちゃんと案内しないからこんな事になったんでしょ」 「文句ばっか言いやがって、それじゃお前が地図を見てナビゲータやればいいだろ。まっ、お前に地図なんか見れないだろうがね」  嵯渡怜子は別当大輔の言葉など意に介した風もなく、ポケットから取り出したスマートフォンの画面をタッチした。 「何なの、まだ圏外のままじゃない。どんだけ田舎なのよホントに。おまけにネットも繋がらないし、サイアク」 「ホントだ怜ちゃん、私のスマホも圏外のままだ」  嵯渡怜子の隣に座っている前島涼音(すずね)が、やはりスマートフォンの画面を見ながら応えた。  スマホの画面に照らされた、整ってはいるがどこか儚げな顔が不安の色を湛えている。 「とにかく電話を借りて、予約していたペンションに連絡しなきゃな」  三列目のシートに座っている川口雄太は苛々した様子も見せず気楽そうな顔でスマホをいじっている。 「やっぱり俺のも圏外の上にネットも使えねぇ」  川口雄太が銀色の筐体をポケットにしまいながらつぶやく。 「大体さぁ、誰がこんな田舎に行こうって言いだしたの。そうだ、大輔あんたよね言い出したのは。どう責任取るのよ、ったく」 「うるせぇなぁ、みんな賛成しただろうがよ。怜子お前だってなんか面白そうって乗り気だったじゃねえか。それを今更ごちゃごちゃ言いやがって」  別当大輔が文句を言う嵯渡怜子に怒鳴る。 「ごちゃごちゃって何よ、あんたっていつも都合が悪くなるとすぐに大きな声出すんだから。そんな子供みたいなところ直しなさいよね」  嵯渡怜子も負けずにわめく。。 「おいお前ら、痴話げんかはやめろよ。狭い車の中で聞かされる俺たちの身にもなってくれないかな」  いつもの口喧嘩に辟易した顔で、川口雄太が相変わらずの気楽な声で二人の言い争いに口を挟んだ。  その時、 「おい、もうすぐ灯りのあるとこに着けそうだぞ」  車のスピードを落としながら、運転手の若林智司が皆に告げた。  前方の闇の中にヘッドライトに照らされた一軒の古びた民家が、まるで忽然と浮かび上がるかのように現れた。。  東京を出発して既に八時間近く経とうとしていた。  若林智司の勤める会社は、JR池袋駅西口から徒歩十分程のオフィスビルの六階にあった。  午後の西陽が斜めに机の上を照らしている。  今年のゴールデンウィークは、この先二度と巡って来ないかもしれない大型連休となっていた。  なにせ怒涛の十連休である。  有給休暇も使わずに、十日間もの休みなど仕事が一番の日本にあって奇蹟のスケジュールである。  オフィス中が明後日から始まる長い休暇の話題で、仕事所ではない雰囲気であふれていた。 「いやぁ、金ばかりかかって家庭サービスも本当に大変だよ」  普段であれば部下の私語に、気難しそうにあからさまな視線を送る課長の重田でさえ、家族四人でオーストラリアに行く事をさも面倒くさそうにぼやいているが、顔はニヤニヤと嬉しそうに緩みっぱなしである。 「絶対に彼氏をゲットしてみせるからね」 「きゃぁー、遥香ったらやる気満々じゃない。でも暮のセブ島の時もそういって収穫ゼロだったよね」 「るっさい、あたしは悠希みたいに現地の男と行きずりの恋なんて簡単に出来ないタイプなの」  同じ課の二十代半ばであるOL三人組は、プーケットへ行きイケメンの男漁りだと大はしゃぎしていた。 「バブルの頃じゃあるまいし、あいつら浮かれすぎだろ。そう思わねぇか大島。しかし、俺と給料変わらねぇくせにどうしてそんな金あるんだろ、不思議だよな。あいつらパパ活でもしてんじゃねえか、ところでお前なんか予定あるの」  若林智司が左横のデスクに座っている男に話しかけた。 「母から新幹線のチケットが送られて来ちゃったもんで、帰らないわけにもいかなくなっちまって。なにせ正月も帰らなかったから、顔を見せろってうるさいんですよ。明日の夜の切符なんで定時には上がらせて頂きます。おまけにお見合いまがいな事をさせられるみたいで、参ってるんです・・・・・」  自分と同じ予定なし組だと思っていた一つ下の後輩である大島は、気弱そうな顔に作り笑いを浮かべて頭をかいている。どうやら実家である新潟へ帰省して見合いをするようである。  しかし、若林智司には何の予定もなかった。彼女もいなければ金もない。ないない尽くしの三重苦である。  実家は今住んでいる練馬区から電車で三十分もかからない埼玉である。何も帰省するというほどの距離じゃないし、少なくても月に一度、多ければ二度三度と帰っているから連休の予定という感覚にもなれない。 「まぁ、しょうがねえから二、三日は帰るとするか」  親父とお袋、それに女子大生になり急に生意気になった妹・美加の見慣れた顔が頭に浮かんだ。  そして、三年前に突然恋人と一緒に失踪した四歳年上の兄〝慎一郎〟の優しく力強い面影が脳裏をかすめた。 「いきなり兄貴のことを思い出すなんて・・・・・」  若林智司は頭を振って兄の幻影を振り払った。  事務の雑事に紛れて、そんな兄のことも一瞬のうちに頭から消え去った。  退社時刻の三十分前頃になると事務処理も大方片が付いた。  特にやる気も起きないまま、どうでもいい過去の集計表をモニターに映し、うつろな瞳でスクロールさせていた。  休みがあり過ぎて困るなど、学生の頃には考えられない現象であった。 「マジで何にもする事がないとはね・・・・・」  若林智司は心の中でしみじみとつぶやいた。 「せめて夏のボーナスの後であれば俺だってハワイくらいは・・・・・やっぱ無理か」  史上最高の盛り上がりを見せ、普段の二倍以上の価格にハネ上がった海外旅行など、安月給の若林智司には夢の中の世界である。  デスクのパソコンのモニターに映るチカチカと目を刺激する数字を眺めながら、どうやって明後日からの十日間をやり過ごそうかとぼんやり考えていた時に、胸ポケットの中の私用のスマートフォンが振動した。  高校からの悪友である別当大輔の名前が画面で震えていた。  暇なら明日の夜飲まないかという誘いの電話であった。  他にも何人か声をかけてみるという。  暇も何もこれから十日間ずっと予定なしである。  否も応もなく若林智司は誘いに乗った。
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