6人が本棚に入れています
本棚に追加
序章 2
2019年4月26日金曜日、午後6時20分。
若林智司は池袋西口の居酒屋チェーン店内にいた。
駅直近の繁華街の雑居ビル二階にその店はある。
別当大輔から言われた約束の時間少し前に店へはいると、すでに大輔と川口雄太は一杯目の生ビールを飲んでいた。
つまみはまだ頼んでいないらしく、半個室の六人掛けのテーブルにはお通しの枝豆だけが載っている。
〝今日のメンバーは、多くて六、七人か〟
智司はそれを見ながら、人数を予想していた。
「よお久しぶり」
「なんだその声は、もっと楽しそうに言えないのか」
無愛想な智司の挨拶に、大輔がすぐに突っ込みを入れる。
「お前ら相手に、必要以上に元気になれるか」
「そりゃねえだろ、暮れの忘年会以来だぞ。少しは懐かしそうに出来ねえかな」
学生の頃と変わらない、やる気のなさそうな態度で雄太が笑う。
「やっぱりお前も来ると思ってたんだ、予想が当たったな」
「そういうお前もなんの予定もなかったんだろ、哀しい独身者め」
智司と雄太は互いに、彼女も妻もいないことを揶揄い合う。
「雅和も来るんだろ? どうせあいつも一人だ」
雄太の横に座りながら、智司が大輔に訊く。
「あれ? お前知らなかったっけ。あいつ海外勤務になっちまってるぞ、場所はペルーだ。三年は帰って来れないらしい」
大輔がまだ伝えてなかったっけと言う風に応えた。
「でーっ、それ本当か。聞いてねえよ、一体いつだよ」
「三月の下旬だ。急な話しだったらしく、出発まで一週間なかったらしい。俺に電話して来たのも、成田のロビーからだったくらいだ」
「雅和が海外勤務か、あいつ大丈夫かな」
「まあ気楽なやつだから、どうにかやるだろ」
「お前が気楽なやつなんて言うか?」
智司は仲間内で、一番お気楽な雄太を睨む。
四か月ぶりの飲み会は、始まる前から盛り上がっている。
「久しぶりだね、智司も雄太も相変わらず馬鹿そうでよかった」
男三人で騒いでいる所へ、いきなり辛辣な台詞が聞こえた。
「怜子! いきなり馬鹿はねえだろ、相変わらず口が悪いな」
派手なメイクと服装の女が立っていた。
やはり同じ高校に通っていた、嵯渡怜子である。
高校生の時から大輔と付き合っているため、怜子は当然のようにその横に座る。
「しかしいつ見ても派手だなお前、ちっとは清楚な恰好出来ないのか」
「あんたにファッションを語って欲しくない、生まれて一度も彼女いないくせに。あんたこそもう少し服装に気を付ければ」
遠慮会釈なしに、怜子が雄太にきつい言葉を投げる。
「大輔、少しは注意しろよ。お前の彼女口が悪すぎだぞ」
「今さらどうにもならねえよ、こいつ学校の時からこうだっただろ。まあそこが好きなんだけどよ」
大輔の惚気に、怜子が満更でもなさそうに身を寄せる。
「お前らみたいなのを、バカップルって言うんだぞ」
「ほっとけ、もてない男」
怜子が舌を出し、アッカンベーをする。
「あ、あの、お邪魔していいでしょうか──」
小さくか細い声がする。
「あ、忘れてた。今夜のゲスト涼音ちゃん、みんな会うの卒業式以来だよね」
そこに立っていたのはその名の通りに涼やかな、腰の所が紐で絞られた真っ白いワンピースを着た美人であった。
髪は肩より少し長く、さらさらでキューティクルがふんだんにありそうに艶やかだった。
「みなさんお久しぶりです、前島涼音です。覚えてますか?」
小首をほんの少し傾げて、微笑んでいる。
このグループは、高校のクラスメートで編成されている。
みな大学へは進学せずに、社会人になった者ばかりである。
初めの内は大学に行った者とも交流があったが、いつの間にか疎遠になり気が付けば今のメンバーで固定されていた。
これに海外赴任の小田島雅和と、一昨年急な病で亡くなった吉崎錠一が居ればベストメンバーのはずであった。
高校を卒業してから8年、もうみんな二十六歳になっている。
「涼音ちゃん幼稚園の先生なんだよ。どうよ、可愛くって清楚で言うことなしでしょ。先月偶然再会して、連絡先交換してたんだ。昨日電話したら連休の予定はなにもないっていうから誘ったの」
「お友達でもないのに来てしまって、ご迷惑じゃなかったですか」
おずおずとした仕草で、下を向いている。
「怜子、俺はお前が大輔の彼女でよかったと、これほど思ったことはないぞ。さすがは怜子だ良い仕事をするな、見直した」
さっきとは打って変わって、雄太が怜子を褒めちぎる。
「調子いいな雄太、お前のために連れて来たんじゃないっつーの。あたしは智司にどうかなって思ってんだから、余計なちょっかい出すなよ」
怜子の言葉に、智司と涼音はどう反応していいのか分からず固まってしまう。
「さあ涼音、遠慮しないで座りな。ほらあんたら少し席を詰めなよ」
「おっ、おお──」
怜子に言われ、智司と雄太はぎりぎりまで広く席を空ける。
「あんたら馬鹿か、誰がそんなに広く空けろって言ったんだよ。それじゃあんたらが狭すぎて飲み食いも出来ないだろ」
あまりにも極端に席を詰めた二人を見て、怜子が呆れてしまう。
そのやり取りを見て涼音も、おかしそうに声を上げて笑う。
「ど、どうぞ」
「すいません、お邪魔します」
智司に促され、涼音が腰をおろす。
涼音の髪から流れて来た香りが、智司の鼻をくすぐった。
それだけで智司は、天にも昇る気持ちになる。
前島涼音は智司にとっては高校時代の、憧れの存在だった。
物静かなのだが決して目立たない訳ではなく、清楚さの中に華やかさを持った美少女だった。
学生時代は、ほとんど言葉を交わしたこともない。
ときどき挨拶をするくらいで、接点は皆無だった。
それでも二年のクラス替えでその存在を知ってから、卒業までの間ずっと好きであった。
卒業文集で、将来は幼稚園の先生になるのが夢で、そのために専門学校に通うことが記されていたのを智司は思い出した。
「夢を叶えたんですね」
智司は思い切ってそう訊いてみた。
「えっ?」
なんのことか理解できずに、涼音が訊き返す。
「あっ、その、幼稚園の先生──」
その瞬間、涼音の顔がぱっと明るくはじけた。
「はい、卒業文集を覚えていてくれてたんですか」
満面の笑みで嬉しそうに応える。
「は、はあ。まあ、はい」
智司がしどろもどろに口ごもる。
「智司はね、高校のときずっと涼音ちゃんに恋してたんだよ。気付いてなかったでしょ、だって涼音ちゃんは綺麗でモテモテだったもんね。こんな地味なやつ眼中になくって当然だよ」
「ほんと、こいつ前島さんに夢中だったんですよ。でも気が弱いから声も掛けられなくって、片想いで卒業を迎えちまったけど。こうして再会できて、きっとこいつ舞い上がってますよ。なあ智司」
怜子と大輔に高校時代のことを暴露され、智司は顔を真っ赤に染めている。
「す、すいません前島さん。こいつら勝手なこと言って、気にしないで下さい八年も前のことなんか。お前らもいい加減にしろよ、せっかくこうして来てくれてるのに変な話しするなよ」
「だって本当だろ、今夜こうして再会できたんだ。言っちまえよ、あのころ大好きでしたーって。どっちみち昔のことだ、その方がすっきりするぞ。なに遠慮してる、この恥ずかしがりめが。だから彼女の一人も出来ないんだ」
〝そんなこと言えねえよ、だって今でもまだ好きなんだから〟
八年前と少しも変わっていない涼音の姿に、智司はあの頃の気持ちが再び湧いて来るのを止められなかった。
昔の思い出になど出来るはずはなかった。
最初のコメントを投稿しよう!