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序章 3
「えっ、若林くん彼女いないんですか」
反射的に涼音が訊いて来た。
「いない、いない。今いないんじゃなくて、生まれてこの方ずーっといない。こいつ奥手だから女に声かけられないんだよね。俺から見てもそこそこだと思うんだけど、本人がこんな風だからさ」
智司が答える前に、大輔がぺらぺらと喋ってしまう。
「ガッコの時もこいつの事好きな娘いたんだけどさ、こいつったら涼音ちゃんに夢中で結局噛み合わなくって、そのまま流れちゃったんだ。この純粋な恋心分かってやってよ」
怜子の発言を受け、涼音が真っ赤になって俯いてしまう。
「マジお前らいい加減にしろ、前島さん気分害しちまってるだろ。俺を応援してくれるのは嬉しいけど、彼女のことも考えろよ。最初っから遠慮なさすぎだぞ、昔からの仲間じゃないんだから気を付けろ」
智司が二人に喰ってかかる。
「い、いいえ、違うんです。わたし気分害してなんていません、だから若林くん怒らないで」
小さな声で涼音が訴える。
「でも前島さん──」
「あのね若林くん、わたしも彼氏いないんです。生まれて今日まで、ずーっと」
「ええーっ」
その場の四人全員が、揃って驚きの声を上げた。
「だ、だって高校の時だってサッカー部のエースと、バスケ部のキャプテンが涼音ちゃんを取り合ってるって噂になってたぞ。あれ結局どうなったの」
雄太が昔を思い出しながら、興味津々に質問する。
「そ、そんなこと知りませんでした」
おずおずと涼音が答える。
「一時期学校一の悪の、シンジの女になったっていう噂もあったよな。近隣の学校のヤンキーの頭と、涼音ちゃんを巡って決闘しただとかしなかっただとか。俺、当時から気に掛かってたんだよな」
大輔が遠慮がちに訊く。
「ああ、シンジ君は親戚なの。小さい頃から一緒に遊んでて、街で変な人に絡まれてた時に助けてくれたことはあったわ」
なんでもなさそうに涼音が笑う。
「し、親戚? なあんだ、親戚かあ・・・」
気が抜けたように、大輔の顔が緩んだ。
「じゃあ、生徒会会長の高坂から結婚を前提に交際を迫られた件は、国会議員の息子の高見沢に家へ呼ばれたっていう話しは、英語教師の井上も涼音ちゃんに気があったって聞いてたし」
大輔は学生の頃に気になっていた事を、いっぺんに訊きまくる。
それを聞いて、涼音は目を丸くした。
「あ、あのわたし色々と噂されてたんですね」
言われている本人が、一番驚いているようだった。
しかし、当時の〝前島涼音〟に対する噂は、この何倍もあった。
それほど涼音は美しかったのだ。
「真実はどうだったの? よければ聞かせてくれない」
怜子が真顔で涼音を見詰める。
「全部初めて聞くお話しばかりです、真実と言われても答えようがありません。とにかくわたしは、いままで彼氏なんか一人も出来なかった所か、お付き合いした人も居ないんですから」
その表情、口振りから、嘘を言っているようには思えなかった。
「なあんだ、全部嘘だったのか。やっぱ本人に聞くのが一番だな、これで胸のつかえがスッとした」
お気楽な雄太はすっかりと納得して、店員を呼びつまみを注文している。
「いや、男の方はみな本気だったと俺は思うな。ただそれに涼音ちゃんが気が付かなかっただけだ、なんて気の毒な野郎どもなことか。青春、ああなんと残酷な季節なのか──」
大輔は両手を組み合わせ、目を閉じて祈るように呟いた。
「で、涼音ちゃんは好きな人いたの。そりゃいたよね」
怜子が核心をつく。
「す、好きな人? ううーん、好きな人っていうか、気になってた人はいました」
恥ずかしそうに口籠る。
「誰なの、言ってみなよ。もう8年も前の事だよ、時効じゃん」
「えっ、で、でも恥かしい・・・」
そう言って、隣に座っている智司をチラッと見上げた。
「ま、まさか智司! 噓でしょ、そんなことあり得ない。嘘、嘘、絶対にあり得ないって」
「やだっ、恥ずかしくって顔見せられない」
涼音は掌で顔を隠し、テーブルに突っ伏してしまった。
そのうちに、ヒック、ヒックという声がし始める。
泣いているらしい。
「なにぼーっとしてんの。あんた男でしょ、なんとかしなさいよ。この色男め」
怜子が肘で智司をつついた。
「あ、ああ」
智司がわけの分からない声を返す。
そうは言われてもどう接すればいいのか分からない智司は、あたふたとするばかりで一向に埒が明かない。
「涼音ちゃん、トイレ行こう」
怜子は堪りかねて、手で顔を覆ったままの涼音を立たせ強引にトイレへと消えた。
残された三人の男は、しばし無言の時間を過ごした。
「なんか凄いことになったぞ」
やはり初めに口を開いたのは、お気軽な雄太だった。
こんな時は、こういった性格のやつが役に立つ。
「ああ、まるでラブコメ的展開だ。現実にこんなことが起きるなんて、考えてもいなかった。どうすんだよ智司、お前の気持ちはどうなんだ」
恋愛経験豊富な大輔が訊く。
浮気性の大輔は、いままで離れたりくっついたりを怜子との間で何度も繰り返していた。
すべて原因は大輔の浮気である。
「どうするったって、どうしよう?」
「馬鹿、俺が訊いてるんだよ」
「そりゃ嬉しいに決まってんだろ、ずっと憧れてたんだから。今日だって顔を見ただけで昔を思い出しちまって、胸はどきどきだよ。彼女さえいいんなら付き合いたい」
「よし、こっちの話しはまとまった。俺がなんとかしてやるから任せろ、きっとお前に人生最初の彼女を作らせてやる」
どこから来るのか分からないが、大輔が自信満々に胸を叩く。
比喩表現ではなく、大輔は実際に自分の胸をドンと力強く叩いた。
「た、頼むぞ大輔」
智司が縋りつく仔猫のような目で、親友の顔を見ている。
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