2 人助けのつもりだった ①

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2 人助けのつもりだった ①

 僕と彼は、最初から名前を呼び合っているところからも分かるように、まったくの他人というわけではなかった。かと言って、よく知る相手というわけでもない。僕たちは最近婚約者として振る舞っていたけれど、本物の婚約者というわけでもない。こうやって事実だけを並べると、なんだかなぞなぞみたいだけど本当のことなのだから仕方がない。  もう少し分かりやすく順を追って話すと、ことの起こりは今から一週間ほど前、彼、こと山野 響(やまの ひびき)くんからあり得ない頼み事をされたことから始まる。  山野くんと僕は、小さなころに少しだけ同じ音楽教室に通っていただけの関係だ。しゃべったこともなかったし、僕には音楽の才能がなくてすぐに教室をやめてしまったから、それっきりになっていた。だから一方的に僕だけが山野くんのことを覚えていると思っていた。万が一山野くんの方も僕のことを当時は知っていたとしても、さすがに十年も経てば忘れてしまっているはずで。だから僕は山野くんが同じ高校に入学してきたと知ったときも、声をかけたりはせず遠くから見ているだけだった。  音楽教室に通っていたとき、山野くんは他の子たちとは違って見えた。僕のひとつ年下で、教室では最年少なのに他の誰よりも上手にピアノを弾いたし、容姿もすごく可愛かったけれど、そうじゃなくて。なにができるとかできないとかじゃなく、山野くんの存在そのものが僕にとって特別だったんだと思う。山野くんを見ているだけで心がふわふわとして、お誕生日やクリスマスにプレゼントをもらったときのように嬉しくて。  当時は分からなかったけれど、多分あれは恋だったんだと思う。僕にとっての初恋。だけど叶わなくなってしまった(・・・・・・・・・・・)恋。  なのに十年の時を経て山野くんと再会を果たし、突然山野くんが僕に声をかけてきたのだから『奇跡』が起こったのだと思った。その上山野くんからのあり得ないお願いに僕は完全に舞い上がってしまった。  なんと、僕と番うことを前提とした付き合い、つまりは婚約者になって欲しいというものだったのだ。本当に嬉しくて泣きそうになったけれど、僕はすぐに我に返って断ろうとした。  だって山野くんは完璧なαだから僕とは────。  だけど結果的に断ることはできなかった。山野くんがなにかぼそぼそと呟いて、「突然すぎてびっくりしましたよね。実は……」と、僕でも納得するような理由を教えてくれたからだ。 *****  山野くんは良家の跡取り息子でαだから、ものすごくモテるらしい。本人はこんな風には言っていなかったけれど、誰もが知る事実だ。それで普段は言い寄ってくるΩ(ひと)たちを丁寧にお断りしていたそうだけど、今回ばかりは簡単な相手じゃなくて困っているという話だった。山野くんの家とも繋がりのある上位Ωのお嬢さまからの婚姻の申し込みで、あちらがひどく山野くんに執着しているらしく断りづらいらしい。そのお嬢さまは美人で性格も悪くはないらしんだけど、どうしても受け入れられない、『合わない』のだそうだ。「なにが?」と訊いてみると、「フェロモンが……」と言われれば納得するしかなかった。僕たちαやΩにとってフェロモンは一番とも言えるほど大事な問題なのだ。番ともなればほとんどの時間を一緒に過ごす。む……睦合ったりもするわけで、常時フェロモンを嗅ぐことになる。それが合わないとなると、拷問に近い。だから理由としてはなり得るんだけど、たとえそうだったとしても本人にフェロモンが合わない(くさい)、とはなかなか言いづらい。αもΩも自分のフェロモンを大事に思っているから、最大級の侮辱と取られるだろう。今回はたまたま山野くんはお相手のことを臭いと感じてしまったけれど、それをいい匂いと感じる相手もいるはずで、好みの問題なのだ。山野くんからしたら自分勝手な理由で無駄に傷つけることをよしとしないのだろう。  だから苦肉の策として、山野くんには両親も知らない意中の相手が既にいて、お嬢さまからの話を受けて慌てて報告した、ということにしたいらしい。  それでなんとか辻褄は合うだろうけれど、そのお相手がなんで僕なのかは分からなかった。山野くんならそういう相手はいくらでもいそうなのに。  正直にそのことを口にすると、なんと僕のことを山野くんは覚えていて、昔馴染みの僕なら安心(・・)できるということだった。満足に口も聞いたことはなかったはずだけど、それほど僕を信用してくれているなら、と僕は頷いた。  僕なんかがどこまでやれるか分からないけれど、少しでも山野くんの役に立てるなら頑張りたいと思った。 「力不足かもしれないけど、僕でよかったら頑張るよ」  恋心は別にして、そのときの僕は純粋に人助けのつもりだった。
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