5 儚い夢は噛み痕と共に・・・

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5 儚い夢は噛み痕と共に・・・

 僕はお嬢さまと会って話をしたことを自分の口から響くんに言うことができなかった。もしも言ってしまって、如月くんとのことを響くん本人から聞くことも僕を利用したのだと言わることもいやだったからだ。  元々響くんがなにを考えていたとしても、終わりはあると思っていたし、こうなってしまってからもそのときがきたら僕は笑顔でお別れするつもりだった。だけど、だからこそもう少し──と思ってしまう。  それに『嘘』──については僕は響くんのことを責められない。  僕は頸のでこぼこを確認するように指先を滑らせる。あれから二週間、ほとんど引っかからずするりと滑る。  あのとき確かに頸は噛まれ、今もあるはずの噛み痕は何日経とうともでこぼことしているはずで……。  つまりは──消えかけている、ということ。  どうやら『奇跡』は二度は起こらなかったらしい。  僕はポンコツΩだ。だから、こうなることは分かっていた。ただ少しだけ希望も持っていて、夢に縋ってしまった。  十四歳でΩだと判定されたけれど、同時にβとも判定されていた。  再検査を繰り返し、最終的にはΩということになったけれど、フェロモンも放たずヒートもない名ばかりΩだった。  だったらβでいいじゃないかと思うのに、その辺は難しい基準があって、僕の場合はΩということになるらしかった。  僕は誰とも番にはなれない名ばかりΩだ。そんなΩなんてαには問題外だと思う。だから僕は響くんのことを遠くから見ているだけでよかったんだ。それなのに偽物でも婚約者になれるなんて、いつか覚める夢だとしても幸せだった。あんなことになったときも、番? 本当に? ポンコツΩの僕が番えるはずがないと思いながらも、もしも本当にそうなったら嬉しいと思っていた。でもすぐに如月くんのことを思い出して──。それでも僕はもう少しだけと縋った。  ぜんぶ、ぜんぶ嘘から始まった夢のような話。  だから少しの間だけ、響くんの言葉の嘘も僕が抱えている嘘も目をつぶって叶わない夢を見ることにしたのだ。  僕の『嘘』がバレて、如月くんに返すそのときまで──。  最近になって、うっすらと思い出したあの日のこと。もしかしたら思い出さないようにしていたのかもしれない事実。  誰もいない教室で待っていた僕を響くんが迎えにきてくれて、響くんがなにかに反応して……、そのなにかは多分誰かのヒートフェロモンだと思う。僕じゃなくて誰かの、ううん、本当は分かってる。如月くんの──。でも、如月くんは逃げたか逃がされたか、走っていく後ろ姿をチラリとだけど見た。それでラットを起こした響くんは熱の行き場を失って、目の前の僕と交わって、そして頸を噛んだ、ということ。その後のことは気を失ってしまったのか断片的にしか思い出せないけれど、それがあの日の顛末だと思う。  あの日僕は絶対にヒートなんか最後まで起こしていない。噛み痕が消えていっていることがそれを証明している。  β相手なら番契約は成立しない。つまりはそういうことだ。名ばかりΩはβと同じ。だから僕と響くんは番えなかった。 「ハハ……」  かさついた唇から乾いた笑いが溢れる。  詳細を思い出せなくても、本当はすぐに言わなくちゃいけないことだった。「僕はΩだけどポンコツだからこうなってしまっても番にはなれないんだ。だから心配しないで、責任なんか感じる必要なんてないんだよ。これはただの事故だから」って。  だけど僕は、少しの間だけだからって響くんを僕に縛りつけた。本当に……ずるい、恥ずべきやり方だ。フェロモントラップがどうのと言う権利なんか僕にはない。  ──僕が一番の悪者なんだから。  誰かと番うことなんて諦めていた。  だけど小さなころ好きになった響くんへの恋心は大切にしようと思っていた。  それだけで僕は充分だった、はずなのに。  あぁ本当に……夢なんて見なければよかった──。もしもこれが悪い夢なら……  早く覚めて。
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