6 愛しい天使を手に入れる方法 ① @山野 響

1/1
146人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

6 愛しい天使を手に入れる方法 ① @山野 響

「お帰りなさいませ、坊っちゃま」  帰宅するとメイドたちが整列して同時に頭を下げた。列の前列に如月の姿も見えた。僕は頷き、「ただいま」とだけ。そしてすぐに自室へと向かう。その後を追うようにしてついてくる如月。その表情は飄々としていて、普段と変わらない様子に、今回もヒートトラップを仕掛けたΩの処理が問題なく済んだのだと分った。処理と言っても別段非道なことを行うわけじゃない。Ωは如月によって隔離され、常に持ち歩いている即効性の高いヒート抑制剤を使うだけだ。その後は大量の抗議文と一緒に家へときちんと送り届ける。そこまでが一連の流れで、その後こちらからはそのことで特別になにかを言ったりやったりはしない。それでも充分牽制になり、二度とばかなマネはしなくなる。  如月は元々は我が家で働く住み込みの使用人の子どもで、同い年ということもあり幼いころから兄弟のようにして育った。如月の二次性がβ()だと分かって、フェロモン関連への対応を期待されて俺の護衛(・・)にと望まれ、本人もそれを承諾した。俺としても気心が知れた如月が護衛をしてくれるのは本当に助かっている。 「──で、首尾は?」  部屋に入るなり態度を変える如月。それは俺も同じで、一気に力を抜いてベッドに倒れ込んで突っ伏した。 「うまくいった──とも言えるけど、失敗だったとも言える」 「そうなのか?」  俺はあの後のことをかいつまんで如月に教えた。 「──そりゃ好きな子と番えたのは嬉しいさ。だけど、襲っちゃうのはなぁ……。しかも教室だし。初めてだぞ? 番だぞ? もっとこう、ロマンティックな雰囲気作りとか色々あるだろう? それにいまいち真琴さんが俺のことを番になってもいいくらい愛してくれてるのかも分からないし……。嫌われてはいないとは思うけどさ……」  番になったのだから当然するべきご両親への挨拶も真琴さんはさせてくれなかった……。それってどういうことなんだろう? 「ふむ。番ってもヘタレは治らないのか」 「うるせ。それだけ愛してるってことだろ……」 「へいへい。βの俺には分からない世界だ。まぁでも番ったんだから大事にしてやれよ?」 「当然だ」  俺のその答えに満足したようにニッと笑うと、如月は部屋から出ていった。  パタンとドアが閉まり、足音が小さくなっていくのを聞きながら俺はため息を吐いた。 *****  俺は幼いころから誘拐や色々な犯罪に巻き込まれそうになることが多かった。もちろん全部未遂に終わったが、俺の心はどんどん疲弊していって、冷めた子どもになっていた。笑わない、怒らない、起伏のない感情。  傍に如月はいたが、それでも如月も俺も外側がなんであれ中身はただの小さな子どもだ。如月にも誰にもどうすることもできなかった。そんなころだった。母に気分転換にと勧められた音楽教室で天使と出会ったんだ。  俺の世界は暗闇から一瞬で光溢れる世界へと変わった。  その子は俺よりひとつ上の、とにかく可愛くて、ふにゃりと笑った笑顔がとても印象的だった。俺はすぐにその子のことが好きになったが、突然の初めての気持ちに戸惑い、声をかけることすらできなかった。  その子に会うためだけにその音楽教室に通って、ピアノを上手に弾いて見せたりあの子にいいところを見せて、いつか絶対に仲良くなってやるって思っていた。  なのに、その子はすぐに教室をやめてしまって会えなくなってしまった。俺も元々音楽に興味はなかったから、あの子がいない教室なんて意味がない、とすぐにやめてしまった。音楽教室の先生には残念がられたけど、引き留めるならあの子を引き留めてくれればよかったのに、と思う。そしたら俺だってやめたりしなかった。  あの子と離れ離れになっても俺の世界は再び閉じることはなく、あの子を想っているだけでなんとか普通を保てていた。あの子への想いを知る、ずっと傍にいてくれた如月の存在も大きかったと思う。泣き言も後悔も、あの子への想いもぜんぶまるっと受け止めて、ときには揶揄われたりして。  良家のαはとにかく狙われやすく、Ωにフェロモントラップをしかけられることが多い。護衛としていつも傍に如月がいてくれたが、俺はあのとき(・・・・)まで、どんなフェロモンにも心も身体も少しも反応しなかった。俺の心にはもうずっとあの子しかいない。  十年という長い年月をもってしてもあの子への想いは薄れることなく、どんどん強くなっていくだけだった。  そして偶然? いや、運命だろ。俺は高校に入学して、あの子との運命的な再会を果たした。それなのに変だ。なにかがおかしい。あの子も俺に気づいているはずなのに目が合わないのだ。避けられてる気さえする。  どうして? あの子は俺に運命を感じなかった? それとももう既に他に相手が?  想いが強すぎて、ストーカーにでもなりかねないところまできていた。長い長い間腹を空かせていた犬の目の前にご馳走(あの子)が現れたのだから、仕方のない話だと思う。いくら厳しく訓練されていても死ぬほどの飢餓感には勝てな──、いや、うちの力丸(響の飼い犬)なら命令は絶対か。ということは俺が駄犬だったということか。  ぐちゃぐちゃとそんなことを考え、なかなか行動に移せない俺に如月は呆れ顔だった。 「声をかけてみたらいいじゃないか」  俺たちは本当に小さいころから一緒にいたから主人と護衛というよりも、仲の良い友人、兄弟のような関係だ。もちろん如月の仕事ぶりは信用できるし、公私はきちんと分けている。こんな風に気安い態度を取るのは、ふたりきりのときだけだ。 「そんなの恥ずかしいじゃないか……。本当に俺のことなんとも思ってなかったら──俺、立ち直れない……」 「はぁ……。じゃあこういうのはどうだ?」  それは幼馴染みである姫花を巻き込んだものだった。ちょうど姫花も付き人である立花さんとのことをご両親に認めてもらうにはどうしたらいいのか、と悩んでいるから協力してお互いの恋を成就させては? というものだった。  俺は姫花を巻き込むのは嫌な予感しかしなくて他の方法を探そうとした。  あの子への告白だって、最初はきちんと番うことを前提とした付き合い、婚約者になって欲しいと告げたのだ。ちょっといきなりすぎたかもしれないが、俺としてはもうずっと思っていたことだったし、遅いくらいだった。  だけど、あの子が戸惑い、断りそうなそぶりを見せたから、俺は少しでも時間が欲しくて如月の案を思い出し、すべてはフリなのだと告げた。  Ωに言い寄られる話は嘘ではないが、幼馴染みではある姫花のフェロモンなんて嗅いだこともない。心の中でごめんと謝りながらも、長年求め続けていた天使だ。どんなことをしてでも繋がりを持って、いずれは自分のものにしたいと願ってしまう。  愛しいこの子を手にいれるために俺は必死だった。  大事で、大切で、誰よりも愛しい天使。俺だけの天使。  そのときついた嘘が後に大切なこの子を苦しめるとも知らずに、俺は頷くこの子との未来を思い浮かべ、ニヤついてしまうのを見られないように片手で口元を隠すのに必死だった。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!