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1 ポンコツΩ ①
『番うことを前提とした付き合い、俺の婚約者になってくださいませんか?』
彼の夢のような申し出に僕は────。
突然煩く鳴り響く音に、さっきのはやっぱり夢だったのだと急速に理解した。
実際に起こったことではあるけれど、僕は返事をしているし、現実の彼はあんなに熱っぽく僕のことを見つめてはいなかったはずだ。だってあれは──。
今も続く『音』がそれ以上の思考を邪魔する。
あぁ、早く止めないとお母さんに怒られちゃう。
僕はいつものように目覚まし時計に手を伸ばした──。
だけどあるはずの場所にないのか何度も空ぶってしまう。それにベッドに寝ているはずなのに、やけに硬く冷たい。
あれ? 部屋に寝て──ない? 僕、なに──してたっけ……?
そこまで考えて、やっとこの音が目覚まし時計のものではないことに気がついた。
寝起きのせいか未だぼんやりする頭でも、今の状況が普通じゃないことだけは分かった。僕は跳ねるように飛び起きて、現状を把握しようと辺りを見回してみた。薄暗くてよくは見えないけれど、どうやらここは見慣れた教室のようで、誘拐やその類のものではなさそうだ。よかった、とホッと息を吐いたけれど、すぐに場所なんて関係ないのだと気づく。問題は別にあるのだ。
教室の窓から見える外は真っ暗で、床に無造作に脱ぎ捨てられたひとり分にしては数が合わない制服と、本来そこにあるはずのない白い──が視界に入る。
なんで? どうして? こんなの──。
バクバクとあり得ないくらい速く、激しい鼓動。
不安から逃れるように近くにあった自分の衣類を手繰り寄せ、抱きしめてみても少しも効果はなかった。全身はベトベトと気持ちが悪く、あちこち軋むように痛いし頸はピリピリと痛む。そして急に動いたことで後ろからとぷりとなにかが溢れ、こぼれ落ちるような感触が太ももを伝う。それらが示す答えは──ひとつ。
現実を受け止めきれず固まっていると、僅かに空気が動く。
焦ったような気配と、ヒュッと喉が鳴る音が僕のすぐ近く、背後からした──。
振り向かなくても分かる。僕のほかにもうひとり──彼、だ。彼の吐息ひとつ、間違えようもない。
*****
この世界には基本性である『男』『女』の他に二次性である『α』『β』『Ω』の三つ、合わせて六つの『性』が存在していて、優位性はα、β、Ωの順になる。能力の高さからαが頂点なのは言わずもがなで、次がβなのは普通であることが理由で、Ωよりも優位とされた。
Ωは基礎能力が低いこともあるけれど、αと番うことができる唯一の性だ。
人類の頂点であるαと番い、守られる性。そう言うと特別な存在に思えるかもしれないけれど、それはΩの優位性を示すものではなく、むしろ番うために必要な発情期があることで一番の劣等種とされた。今は抑制剤もいい物があって、うまくコントロールができていたらβとあまり変わりがないけれど、それでもやっぱりΩはその特異性からか男女問わず性的に狙われやすく、下に見られがちだった。それ故の最下位であり、無理矢理ヒートを起こされ襲われたり、ヘタをすると望まない番にされることだってあるのだ。
僕はそんな『Ω』だけれど、ほとんどβだと言ってもおかしくはない名ばかりのΩ、ポンコツΩだ。それでも両親からしてみたらΩはΩだから、暗くなる前には絶対に帰るように言われていたし、フェロモンに関してもαである父が毎朝クンクンと匂いを嗅いでチェックしてくれる。そんなことしなくても僕なんか──と思わなくもない。それでも両親の心配も分かるので、両親の言いつけはきちんと守っていた。
なのに僕はなんで夜の教室にふたりでいるのだろうか。しかも裸な上にもうひとりがαだなんて、なんの冗談だって思う。おまけに誰が見たってなにがあったのか一目で分かるようないくつもの……残滓。
気のせいだとか勘違いだとか言えるレベルの話ではない。
僕はどうしていいのか分からなくて助けを求めるみたいに、いつまでも鳴り続けるスマホの通話ボタンをタップした。
『やっと出た! なにかあったの? 真琴、大丈夫なの??』
母の声に思わず「助けて」って言いたくなるけれど、それは彼から──ということではなくて。
もしかしたら僕が母になにかを言うことで、彼を追い詰めることになるかもしれない。そんなのは絶対に嫌だから。だからなにごともなかったように、いつもみたいに。
「うん。ごめんなさい。大丈夫だよ。すぐ帰るから、心配しないで」
僕の声、震えてないといいけれど……。
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