交易艇は来るもの拒まず去る者追わず

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交易艇は来るもの拒まず去る者追わず

これもよろしくね、と視界の端に積まれたものを見て、ついため息が出た。さっき洗ったばかりのはずの食器がうずたかく積まれている。僕はいったん立ち上がり、大きな伸びをした。そして水を溜めた桶に食器を入れ、終わりの見えない作業に戻った。あかぎれに石鹸が染みるが、嘆いても仕方がない。 背後から聞こえる喧噪は夜が深まるにつれて勢いを増すばかりだ。朝方まで皿洗いをした後は昼まで寝て、金もないから散歩して時間をつぶしたあとは買出しに走り回り、また皿洗い。故郷にいたころとあまり代り映えのしない毎日に落胆しつつも、低空飛行ながらも安定している生活に安堵している自分がいた。なんとかなる、と自分に言い聞かせて飛び出したものの、なんの技術もない自分はどこに行っても結局は似たようなことしか出来なかった。故郷に帰るつもりもないし、ここでやっていくしかないのだ。地道に生きていけば、そのうち陽の目を見ることもあるだろう。だが、異邦人であることを理由に難癖をつけてくるこの街の人たちとはどうしても馴染めなかった。 今日は大きな交易艇が入港したそうで、市場も新鮮な肉や油、見慣れない工芸品等で溢れていた。そのおかげかうちの店も客の入りが良く、時折り大きな騒ぎ声が響いた。今も大きな団体客が入ったのだろう。一層忙しくなりそうなので、慌てて作業に戻ると、勢いよく裏戸が開けられた。 「おいリック来てみろ、お前と同じような顔した黒髪黒目の女の子がいるぞ!同郷じゃないのか」 僕は手を止めて見上げた。自分と同じ?こんな地球の反対側まで来るような奴だ。僕は運よく辿り着いたが、自力で渡来して来たのだとしたら相当な猛者じゃなかろうか。 「マスター、女の子っていっても、あの海渡れたんでしょう。熊みたいなのじゃないんですか」 うっかり頭の中の言葉がそのまま出てしまった。もう少し建前を覚えろ、と昔からよく言われていたのが思い出された。 「んだとこの野郎!ちょっとマスターそっちいかせろ」 マスターの後ろから聞こえた声は間違いなく女の子のものだったが、言葉遣いからしてやはり逸物なんだと確信させる。どかどかと裏戸から数人が出てきて、僕は驚いた。荒くれものの男に混じって、マスターの言う通り黒髪黒目の女の子が仁王立ちしてこちらを睨みつけた。その女性は大振りの紅型羽織を身に着け、帯刀していた。その二つから確実に同郷、しかも故郷ではそれなりにいい身分なのだろうことは一目でわかった。だが羽織の下には周りの男衆と同じ作業着を着こんでいる。この男たちの一員なのだろうが、どうみても普通の女の子にしか見えない。その口調や勢い以外は。 「テメェこの娘のどこが熊だ!しっかり見やがれ、そしてパンダに訂正しろ!」 その女の子が続けて叫ぶので一瞬混乱した。いやパンダって可愛いからって意味で言ってるんだろうが、それも熊だろ。それに誰のこと言ってんだ。周りの男どもは面白そうに見ているだけだ。彼女は腕組みをしてふんぞり返っている。反応に困っていると、彼らの後ろからまた別の声がした。 「ねぇやめてよイツキ恥ずかしいから。それよりさっきのはあなたのこと言ってると思うんだけど」 イツキと呼ばれた女の子の後ろから、また別の少女が顔を出した。こちらの方は褐色で瞳が碧色だ。なるほどこちらも見目麗しい、しっかりと先ほどの非礼をお詫びしたい。でも黒目黒髪じゃない。こっちの娘は同郷じゃなさそうだが。 「すみませんでした、悪気があったわけでは」 と言いかけたところで飛び蹴りが飛んできた。 「アタシのことかー!っざけんな!」 いや気づくの遅いだろう。なんて突っ込みたいところだったが、そんな余裕はなかった。金塊ででも殴られたかのような衝撃を腹に受けて、蹴とばされた勢いで桶をひっくり返し頭から被った。ずぶぬれになった僕を見て、男どもは膝を叩き腹を抱えて笑っている。突然なんだよ畜生、と愚痴を吐きながら立ち上がると、先ほどの少女が駆けてきた。 「イツキやりすぎだよ、ごめんね、うちの人たち喧嘩っ早くて」 最初に失礼があったのは間違いなくこちらなので謝り返すと、お互いぺこぺこ繰り返す形になってしまった。この感じは確かに故郷の文化に非常に似ている。人種が違うだけで出身はそうなのかもしれない。僕らの謝罪合戦はマスターの一言で打ち切られた。 「なにやってんだお前ら。リックさっさと皿もってこい。お嬢ちゃんも向こう側戻ってくんな」 最後にもう一度頭を下げた後、僕は散らばった皿をかき集めてカウンター裏に運んだ。先ほどの団体は20名ほどだが、それでも全員ではない様子だ。豪快に飲み食いする様子や会話から、船乗りの集団だろうと予想がついた。 「あの客は猟で獲れた獲物を商品にしてる交易隊の一団だ。海じゃなくて空の方のな。この肉も差し入れてくれたぞ」 マスターは上機嫌で大きな肉塊を捌いていた。なんでも、今日は大物が捕れたとかで祝いに来ているらしい。なるほど、今日の繁盛の原因はこの人たちか。さっき飛び蹴りを食らわせてくれた女と仲間は猛烈な勢いで肉を齧っている。気にならないかというと噓になるが。 「ぼさっとしてねぇでこれ裏で漬けてこい」 マスターに山盛りの肉を投げられ、慌てて仕事に戻った。 その日の仕事から上がった後、カウンターで賄いを食べている時にマスターが話を切り出してきた。 「お前、今日来てたあの艇に乗ってみたらどうだ?」 突然の提案に驚き、咽た。 「なにやってんだ」マスターは僕に水を寄越して、さらに続けた。 「皿洗いじゃ今以上に給料なんか出せねぇし、そもそも旅したくて故郷を出てきたんだろ。一つの街で燻ってるよりはああいう手合いに混ざったほうがずっといいと思わねぇか」 「いやいや無理ですよ。あの女めっちゃ強そうじゃないですか。僕やってけないですよ。それに猟艇ってそんな誰でも乗れるもんなんですか」 当然の疑問を述べると、マスターはふふん、と笑って見せた。 「あの艇は特別だ。ワケアリしか乗ってないからお前でも問題ないだろうぜ。奴らは交易隊だが特定の国に所属してない。空を駆けて獲物を捕るなんて楽しいと思わないか」 確かに、ちょっと憧れるかもしれない。だけど所属がないって、それは空賊ってことじゃないのか。 「基本は商隊だ。売り物を自分たちで調達してるってだけで、空飛ぶ店みたいなもんだ。各地の商会には加入してるし他艇を襲うことはない。空賊なんて言ったら今度こそあの娘っ子に斬られるかもしれんぞ」 自分の悪い癖を再認識したところで、席を立った。 「あいつらはごくたまにしか寄港しないが、ひと月くらいは居るはずだ。せっかくのチャンスだ、よく考えろよ」 階段を上がる僕に向かってマスターは続けたが、僕は答えなかった。 マスターに言われたことが頭から離れず、その日の夜はなかなか寝付けなかった。板に数枚の毛布を敷いただけのベッドに寝転がったまま、ろうそくが段々と短くなるのをじっと見つめていた。確かに、このままここで生活を続けていてもジリ貧だ。拾ってもらったマスターには感謝しかないが、今もお情けで与えられた仕事をこなしてるに過ぎず、日々の仕事で恩返ししてるとはとても言えない。それに、故郷と同じような生活を繰り返しているだけだということは嫌なほど理解していた。マスターの言うように、ああいったところに入った方が旅らしいことができるのは確実だ。それでも。 「あんなのばっかりだったら入れないよなぁ」 蹴られていまだに痛む胸部を摩りながら、ろうそくを消し無理やり眠りについた。 次の日は、買出しのついでに港に出かけてみることにした。例の交易隊が昨日卸した商品は一日では捌ききれず、今日も競りをやっているらしい。港に着いたときに、僕はその光景に息をのんだ。 大人二人分ほどの高さの肉の山に数人が登り、長い柄のついたナイフで捌いている。大きなフックやクレーンも使い、まるで工事現場のようだ。分厚い皮や内臓、骨に切り分けられた部位ごとに並べられ、それぞれの前で行列が出来ていた。業者が買い付けているのだろう。昨日見かけた面々もそれぞれ忙しそうにしている。あの乱暴な女は肉に登って切り分けているし、声をかけてくれた優しい少女は行列の前で商談をしているように見えた。肉の後ろには飛空艇が係留されていた。横長の気嚢(エンベロープ)の周囲を、上、中、下層に分かれたデッキが包み込んでいる。 「おうリックいたのか、こっち来てみろ」 呼んだのはマスターで、解体現場で野次馬をしているようだった。 「見るのは初めてだろ。彼らはたまにしか寄港しないからな」 街とはいえ庶民の娯楽は少なく、入港はまるでイベントのようだった。周りをよく見ると出店もちらほら居た。 改めて目の前の塊を見上げるが、大きすぎて何の動物なのかまるでわからない。すでにある程度は解体されているが、この様子だとまだ数日を要すようにも見える。昨日は荒くれに見えた男たちは、器用な手つきで大きな刃物を取り回し、皮を剝ぎ骨を抜いて筋を切り裂いていた。その手際は見事という他なかった。 首を振るのが多少疲れる以外は存外に興味深く、しばらく見ていたら、僕に気づいた人も数人いたようだった。昨日の少女もその一人で、一通り買い付けが落ち着いたタイミングで話しかけてきた。 「結構面白いでしょ。昨日はごめんね、大丈夫だった?」 「おかげさまで」 すっかり忘れていたが、その言葉で胸の痛みを思い出した。人間の感覚なんてこんな感じに雑なものだ。それよりも、気になっていることがあった。 「ところで、二人とも本当に極東の出身なの?」 そうだよ、との返答に一気に興味が沸いたが、別の声に遮られた。 「おまえ昨日のパンダ男じゃないか!あたしのアシマに話しかけんな!」 上のほうで昨日の女が叫んでいた。 「イツキ、パンダ呼ばわりしたのはあなたでしょ!ていうか私パンダじゃないし!ああもう取り合えずこっちきなさい!」 昨日の男たちやマスターは早くも大笑いしているが、アシマと呼ばれた少女はこちらを向いてまた謝った。 「ごめんね、悪い子じゃないんだけど。ちょっと待っててね」 言うなり、イツキの方に駆けて行ったが、すぐに二人で戻ってきた。再び対面したイツキは昨日ほどの覇気はなく、アシマに怒られた様子で、すこしいじけていた。 「また会えたら謝ろうって言ってたの。ほらイツキ」 「昨日は悪かったよ」 わかりやすくぶすっとしていたが、背中を叩かれて嫌々謝られた。だがお互い様なので、こちらもひとしきり謝罪の弁を述べた。そこからは多少ギクシャクしつつも二言三言交わし、 「またお店いくね」 とアシマが言ったところで会話は終わった。僕はマスターと店に戻ったが、解体に関わっていた人たちの顔が輝かんばかりだったのがいつまでも印象に残っていた。 その後も定期的に彼女たちは店に来て、艇での生活について話してくれた。イツキが冒険譚を話し、アシマがその裏の苦労話をしてくれることが多かった。イツキも当初の粗雑な印象は消えなかったが、竹を割ったような性格で、怒らせさえしなければ気持ちのいい奴だった。 空の上はやはり危険を伴う生活らしいが、それを補って余りある冒険譚に僕は一気に心惹かれた。だけど、不安も強かった。乗せてもらったとしても、彼女たちのペースについていけなかったら?どこかの街に降りた際に首になりでもしたら間違いなく路頭に迷うだろう。そもそも、マスターはああ言っていたが、艇の人たちは僕を受け入れる気はあるのだろうか?乗組員を増やすのは場所もお金もかかる。僕が日雇いで稼げているお金なんて、現状の飯代と部屋代で精一杯だった。もし支度金が必要だったら絶望的だ。考えれば考えるほど、不安が募る。いっそ、乗らないかと誘ってくれればとも思ったが、彼女たちのほうから声をかけてくることもなかった。 日が経ち、ついに彼女たちが次の猟に出るという前日、仕事終わりに僕はマスターに呼び出された。 「リック、お前ここに来て半年だろ、いくら貯まった?」 概算を伝えるとマスターは頷いた。 「ほとんどねぇじゃねえか、でもそんなもんだよな。お前に話があるんだけどよ」 また乗艇を勧めてくるとは思っていたが、今日は予想を超えてきた。 「お前の乗艇について話をつけてきた。荷物ももう持ってっといたぞ。明日は早くに出発するらしいからよ、すぐ行かないと間に合わなくなってもしらんぞ」 「ちょちょちょ待ってくださいマスター、今日はなんか強引じゃないですか」 「お前がすっとろいからだろ。あの嬢ちゃんたちの話を目をきらきらさせながら聞いてる癖に、いつまでも腹括らないしよ。とにかく、もうお前の荷物はここに無いんだ、どっちにしろ向かわないと取り返せないぞ?」 無理やり身体を回されて、力任せに背中をたたかれた。心の準備なんてあったものじゃない。とにかく一度向かわないと荷物が回収できない。そして今度こそ、あの艇を見たら、乗ってしまうかもしれない。今と違う日常がすぐそこにあって、あとは飛び込むだけだった。マスターに嵌められたわけだが悪い気分じゃなかった。むしろ、自分は最後の一押しをずっと待っていたことに気づかされた。ここまでお膳立てされて受けないなんて、さすがに僕もそこまで根性なしではないはずだ。玄関に向かう途中で、マスターに振り向いた。 「なにからなにまですいません、お世話になりました!」 「おう、寄港するたびに俺に横流ししろよ。嬢ちゃんたちによろしくな」 マスターの激励を受けて、僕は港に向かって走り出した。今はもう深夜だ。夜はもちろん昇降口は閉じるだろうし、日が昇ったら彼らは出航するだろう。たとえ昇降口が閉まっていても朝まで待つことはできるが、それまでに自分の気持ちがまた揺らがないとも限らなかった。急がないといけない焦りと、先行きの不安、そして話に聞いた冒険譚を体験できるかもしれない希望に、息が切れても胸が詰まっても心は踊っていた。港と、係留された飛空艇が見える。どうにか間に合ったようだ。僕は勢い余って、ドックに転がり込んだ。いや、実際、足がもつれて盛大にこけた。昇降口は開かれたままで、二人の少女が座っていた。 「っはは。おせぇぞリック」 「来ないかとおもったよ」 二人には見透かされていたようだった。もう色々と恥ずかしかったが、僕も精一杯の笑顔で答えた。 「遅くなってごめん。僕も行くよ」 こうして僕は交易隊に加わり、硬式飛空挺レプリカンの一員となった。
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