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彼女と最後に会話をしたのは彼女が死ぬ前日だった。彼女は普段から遊んでいる友達を誘うみたいに僕に声をかけてきた。そこにはなんの予告も予兆も前兆もなかった。
呼び出された場所は寂れた公園で必要最低限の電灯しかないが、それがステージ上に当たるスポットライトのように彼女を照らしていた。
「キミとはもう随分と長い間、友達をやっているね」
その口調は今まで嫌悪に似た感情向けていたのが嘘だと思えるほどに柔らかいものだった。
「友達っていうよりかは、知り合いに近かった気もするけど」
僕が言うと、彼女は困った笑みを浮かべながら自分の頬を掻いた。
「少なくとも、私はずっと友達だと思ってたよ」
弱弱しく呟いた彼女の言葉を夜の冷たい風が攫っていって、二人の間に沈黙が残る。
夜の寒さを紛らわせるように、彼女が口火を切った。
「ねえ、小さい頃に二人で三匹の子豚の話しをした事って憶えてる?」
「憶えているよ。君は狼が死ぬことに酷く怯えていたね」
僕は昔の彼女と今の彼女を照らしながら言った。そこで彼女は出会った時から、今まで一度も髪型の変化がない事に気がついた。昔も今も、毛先が肩に触るくらいの艶のかかった黒い髪型をしている。
「あの時は私も小さかったからなぁ」彼女は過去の自分を恥ずかしがるように言った。そのまま彼女は続ける。「その時に、キミに訊いたことがあるんだけどそれも覚えてくれてるかな?」
「死んだらどうなってしまうのか、だったね」
「今、同じことをキミに訊いたら、なんて答えるの?」
彼女はあの時とは違って震えてはいなくて、真っ直ぐに僕の目を見ていた。彼女の瞳を見ていると、底が見えない深い穴の中に吸い込まれていくような気がした。その穴はあまりにも深く大きい穴で、僕という存在が次第に矮小化していくような錯覚を覚えた。
「──どうなってしまうかは分からないよ」と長い逡巡の末に僕は言った。「死について考えることを諦めているわけじゃない。死んだ後の自分について本気で考えていると、急に脳が支障をきたしたみたいにシャットアウトしてしまうんだ。そこからは前にも後ろにも進めない。それは多分、僕がこれまでの人生で死の淵に立ったことがないからだと思うんだ。だから、僕は死んでしまった後に自分がどうなるかうまくイメージができない」
彼女は僕の目ではなく、僕の手をじっと見つめていた。
今思えば、この時の答えは昔のように彼女の事だけを頭の中でいっぱいにして手を握ってあげることだったのかもしれない。
少なくとも、結果的に彼女の事を突き放すような発言をするべきじゃなかったのだ。
「私は怖いや。死ぬのがとても怖い」
「でも、死が訪れるのは当分先のことだよ」
彼女は首を横に振った。
「そんなことないよ。いつか自分が死ぬことが分かっていながら生きている生物は人間だけなのに、大抵の人は自分がいつ死ぬか気づけない。自分が死とは正反対の位置にいると思い込んでる。──一歩足を進めただけで、目の前を走る車に轢かれてしまうのに」
「そんな間違いが起こらないようにできてる」
僕は感情的になりつつある自分を抑えながら言った。彼女の言っていることを認めてしまったら、彼女がいなくなってしまう気がした。
「死はいつも自分のすぐ隣にいるんだよ」彼女は寂し気に、囁くように言う。「でも、だめだなぁ。こうして最後にキミに会ってしまった」
彼女は踵を返して、出口に向かって歩き出す。
僕が離れていく彼女に声をかけようとしたとき、それを制するように彼女が振り向いた。
彼女は曇り一つない完璧な笑顔を自分の顔に張り付けていた。それは彼女の顔に張り付いて取れない厚い仮面の笑顔だった。
僕はここでようやく彼女が抱えているものに少しだけ触れることができたが、その笑顔の裏に隠されている感情を読み解くことはできなかった。
彼女は最後に一つだけ言わせてと前置きをした。
「私はね、キミのことが大嫌いだよ」
これが、彼女と最後の会話になった。高校二年の時だ。
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