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 私は、私を見つめて呆然と立ち尽くす妻に、正面からすっと歩み寄り。そして、手にした包丁を、妻の柔らかな下腹部に突きたてた。 「うっ」  予想もしなかった激しい痛みに、妻はほとんど声にならない呻き声を上げ。驚いたように、私を見つめた。私はそんな妻を見つめ返しながら、包丁の刃先を更に妻の体の奥深くへと差し込んだ。 「あううう!」  妻はたまらず私から逃れようとしたが、私は左手を妻の首にぐいっと回し、それ以上離れる事を許さなかった。それから、引き寄せた妻の腹に、胸に、二度三度と包丁を突き刺した。鋭い刃先が自分の体に刺さり、そして抜かれる度に、妻は切なげな声で呻き。とめどなく流れ出す鮮血で、着ていた白いブラウスを真っ赤に染めていった。やがて、執拗に襲い掛かる刃から逃れようともがく力が弱まり、妻の体は膝からゆっくりと崩れ落ち始めた。そして、崩れゆく間際、訴えかけるような視線を私に向け。 「なぜ……?」  と、ひと言だけ呟き。妻は、どさりと私の足元に横たわった。それきり何も言わず、もう二度と私と目を合わせる事もしなくなった妻の体を、そっと抱き起こした時。私の両目から、どっと涙が溢れ出した。全身を妻の赤い血で濡らしながら、ただわんわんと泣き続けた。泣きながら私は、妻の体を抱きかかえ、バスルームへと運んでいった。  浴室の白いタイルの上に、妻の体を静かに横たえ。私は妻の、まだ暖かいぬくもりを残した頬に、そっと手を置いた。売れない小説ばかり書き続け、満足な収入さえなかった私に、何一つ文句を言わなかった妻。そして、ついさっき酷い姿に成り果ててしまった私を見てさえも、それを非難するどころか、まず最初に体調の心配をしてくれた彼女。  私にとってあまりに、信じ難いほどに、出来すぎた女房だった。それを今更ながらに実感していた。本当は台所に行って包丁を手にした時に、自分の胸を刺すつもりだった。自分が、自分の内なる欲望がこれから「しようとしていること」を、止めるために。だがやはり、私のヤワな思いより内なる欲望の方が、数段勝っていた。私はもう、この欲望の命じるままに動くしかない、それだけの存在になってしまったのだ……。
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