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一年前のある晩。
山口の父、孝之は仕事帰り馴染の店に寄り食事をした。
酒も相当飲んだらしい。
普段は日本酒をチビリチビリとやるという感じだったのに、その日に限っては呑みつけていない量を流し込むように飲んでいた。
一緒にいた娘婿の亮一は余りにいつもと違う様子に心配で、「大丈夫ですか? 社長」と声をかけたが、「いいんだ。これくらいで丁度いい」
と、不思議な答えが返って来たので更に尋ねる。
「それはどういう意味ですか」
すると孝之は決意を込めた様子で口にした。
「今日、例の部屋で一泊する」
酒に酔って顔を赤らめながら口調は以外にしっかりとしたものだった。
「例の部屋っていうと、首吊りの……」
縊死が続く部屋については既に社内でも気案事項となっており対応が協議されていた。
「そうだ。最近、綾子や忍達がうるさくてな」
連続して首吊りが発生する部屋。気にならないという方が嘘になる。妻と娘達も怖がり、お祓いを受けた方がいいとしきりに勧めてきていた。
亮一も妻の忍や義母から社長に対してそのように働きかけて欲しいと言われている。
「馬鹿馬鹿しい。幽霊なんかいるものか。そもそも、あそこを立てる時に神主を呼んで地鎮祭もやっているんだぞ。これ以上する必要などあるもんか」
「そうですね。でも、流石に三年連続で起きるとなると、何か理由があるんじゃないかと思うのも仕方がない気もしますよね」
「だから、その理由を突き止めてやろうと思ってな」
幽霊などというものは信じない。が、自死が続いているという事実はある。
「理由って、霊の仕業とかではなくですよね」
「当たり前だ。非科学的な事いっちゃいかんよ。君はまさかそんな与太話を信じるのかね」
「勿論、そんなことは考えませんが、では、他に理由となるとどのような事が考えられるのでしょうか」
「例えば音だ。自死を誘発する音があるという話を聞いたことがないか」
「ああ、そういえば聞いたことがあります」
例えば踏切の警報音。
これが、飛び込みを誘発するなどという説があるらしい。
他にも自死を誘発しやすいメロディや音がなどがあるとの噂は何となく耳にしていた。
「では、あの部屋にどこからかそのような音が出ているということですか」
「音かどうかはわからんよ。ただ、部屋の中に何か精神を不安定にさせる要素があるのかもしれない」
「なるほど」
それは音かもしれないし、部屋の窓から見える景色かもしれない。はたまた他の住人とのトラブル? いずれにしても他の部屋では起きていないということは、ピンポイントで理由があることになる。
一度目の入居者はあの部屋にある何らかの要因で自死に至った。縊死を選んだのは偶然かもしれない。
二度目の入居者も同じような理由で精神を病んだ。しかも、この部屋の前に住んでいた入居者の死因をしっていた。それに影響されて縊死を選んだ。
三度目の入居者は殺人だ。男女同棲カップルの内、女性が男性の首を絞めた。
このカップルの初期対応したのは実は亮一だった。
二人共に来店し説明時も内見の時も仲睦まじい姿だったことを覚えている。
だからこそ、事件を知って意外に思ったのだ。
が、あの部屋に人の心を不安定にさせる要因があり、それが原因で不和を起こしたというのであればどうだろうか。そして、極限に達した段階でこの部屋の来歴をしっている女性は首を狙って男性を殺した。
頭の中にそのような妄想が広がる。
説得力があるような無いような説だなと思った。
「いや、しかし社長。それが事実なら危険ではありませんか?」
「とりあえず、今日の夜だけさ。一日目にどうにかなった入居者はいない。まずは私が一夜を過ごしてみて様子見をするんだ」
「お義父さん危険ですよ。どうしてもというのならお供します」
亮一は孝之に対してそれまで保っていた仕事モードを切り離して妻の父親としての態度に切り替えた。
「いや、それには及ばんよ。君も知っての通り、あの部屋では首を吊るのが難しい」
三人目の犠牲者が出てから、とりあえずの対応としてドアのフックやカーテンレール。収納用のポールなど首が吊れるようなものを全て取り外してある。
「それはそうかもしれませんが。一人というのはやはり心配です」
「しかし、三度目の事件は二人居たからこそ起きたんだぞ」
「ま、まさか。私がお義父さんを……」
亮一はその言葉の意味を理解したがそれ以上の言葉を出すことができない。
「そうは言わないがね。ことこれに限っては人が複数人いる事が安全とはいえないということだ」
「なら、私が代わりにいきます」
「はははははは。そんな事したら娘や孫にどやされる」
亮一は今年43歳の厄年。今年中学生と高校生に上がる娘が二人いる。
今が一番大事な時だった。
「老い先短い方がリスクを取る。合理的じゃないかね」
孝之もまだ還暦を迎えたばかり、そのような言葉を口にするのは若すぎる。
が、こういうモードになってしまった義父に何をいっても無駄だ。
「で、では。せめて私も朝まで起きています。一時間置きに安否確認をさせてください」
亮一は少しでも義父の安全を確保する為に精一杯の提案をする。
「君まで夜明かしするというのか。そこまでしなくても」
「いえ、せめてそれくらいはさせてください。何かあったら飛んでいきます。それをお約束して頂けなければいかせません。身体を張ってでも止めさせていただきます」
亮一は学生時代ラグビー経験者でありガッチリとした体格。
本気で止められたら小柄で痩せている孝之は成すすべもない。
「わかったわかった。言われたようにするよ。それで行こう」
そのような取り決めが行われ、程なく二人で店をでた。
ハイヤーを呼びコーポフラワーフォレストに到着したのが21:30。
「……お義父さん、本当に本当に。お気をつけて」
外へ出る孝之に心の底から心配顔を見せて亮一が声をかける。
「ああ。大丈夫だよ。君もあまり無理をするなよ。眠くなったら寝てしまいなさい」
事ここに至って、孝之は亮一の身を心配するそぶりを見せる。
それは敢えて余裕さをアピールしてるかのようにも見えた。
「いえ、お義父さんこそ。連絡忘れないようにしてください。途絶えたらすぐに向かいますから」
「うんうん。頼りにしてるよ」
言って片手を上げてマンションに向かう孝之。
それが生きている彼の姿を目撃された最後だった。
21:45亮一の元に最初の連絡が入る。
「入室した。異常なし」
それから22:00に再び「異常なし」の報告がメッセージで入り、一時間置きに続く。
が、それは4:00に突然途絶えた。
そのまま10分過ぎても連絡がない。
不安になり通話をかけたが出ない。
何度かけても出ない為、亮一は家を出てマンションへ駆けつけた。
ひょっとしたら、寝てしまったのかもしれない。
だから、メッセージも途絶えたし通話も出ないのだ。
そのように思おうとした。
が、その希望は部屋に入った途端に打ち砕かれることになる。
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