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フルネームで自己を紹介するなんて、
どこか違和感もある。
が、『うしみつ』という氏もさることながら、『さや』という、男性では珍しい名は、梅音の耳には不思議と悪意を感じさせない、霞みのような印象を残していた。
─ うしみつ さや ─
一体どんな字を書くんだろう、などと
おぼろげに考えつつ出された手を見つめていると、
「ま、警戒されるのは仕方がないか」
その手は一度大きく開いた後、
行き場のない拳となって再び後ろに回された。
鷹揚な立ち振る舞いからは、これまで訪ねて来た者たちにはない余裕が透けて見えたが、親しみやすく家庭的な雰囲気の竹内よりも、全てを達観しているような、それでいて感情の読めない目つきに梅音は改めて身を硬くした。
─ 気をつけないと。
男から目を逸し、掲示板の引きガラスを閉めて鍵をかける。
「本当に困ります。
近所までうろうろされては」
丑蜜のお節介に抗議して貼り紙を元の位置に戻して貰おうかとも思ったが、それは少し大袈裟のような気もするし、何より人目に触れるところで派手な諍いをしたくない。
ただやはり一言くらいは文句を言わないと、と、貼り直された掲示物を見上げた。
「これも。
貴方は親切でしてくれたのかも知れませんが、管理するのは僕なので、あんな高いとこに貼られたら手が届きません。それに」
男に向き合い、
「親切の先に押し買いが控えていると思ったら誰でも警戒するでしょう。
丑蜜さんは確かリオントラストの役員さんでしたよね?
この際だからはっきりお伝えしておきます。祖父から譲り受けたあの山は売りません。絶対に」
「良いことを思いついた」
「え?」
「我が社からこの町に新しい掲示板を寄附させてもらおう。
背の低い君でも困らないよう、スクロール機能の付いた最新のものを」
冷たく大きな手が梅音の腕を取り、その後丑蜜の腕に絡められた。
足が浮いたかと思うと、そのままゆらり半抱えにされて道路を渡る。
「何を、、、っ」
「ついでに高級住宅街に似合うゴミ専用コンテナも設置させてくれ。
それならば掃除も不要だ」
「いや、あの」
「しかしその前に是非とも見て貰いたいものがある。
家に上げて貰えないならば仕方ない。
打ち合わせも兼ねて車まで来てくれ」
「は、離して下さいっ、
けぃっ警察っ、警察を呼びますよっ」
ずるずるというより、まばらに地面を蹴りながら抵抗していた梅音は丑蜜の腕の中で無理矢理に身を翻した。
その時、前方からやって来る一人の人物に気が付き、はっと目を見開く。
その人物が自分たちを認めたとわかると、梅音は急に動きを止め、声を抑えて丑蜜をすがり見た。
「お願いです。
離し、、、離して下さい」
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