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門扉の前に立ち止まり、ざっと見うる限りの庭木を眺めた後で、丑蜜はここへ来るまでに目を通した梅音の個人情報を頭の中で反芻した。
── 名は梅音 虎太郎。
二十歳。
高校卒業後、自宅近所のホームセンターでアルバイト。
両親は幼少時に他界。
十八歳まではこの夏に逝去した祖父を後見人とし共に暮らしていた ──
大学進学をせず、企業への就職をも選ばなかった具体的理由は不明だが、亡くなった祖父から今回のターゲットである山林と目の前に構える結構な広さの平屋を相続しているあたり、恐らく
『学歴も職歴も必要ない生活』の目処が既についており、アルバイト収入だけで暮らしてゆける金銭を手に入れていると想像するのが妥当だろう。
故に特に焦って山を売り払う必要は無いのだろうが ───
『金は人を動かす』
若干三十を越えたばかりの丑蜜であったが、これは社会に出る以前より得ていた真実である。
───
「本人は在宅しているんだろうな?」
「はい。
何しろ次期最高経営責任者の時間を頂くのですからね、ちゃんと調べてあります」
腕の時計を見ながら確認する丑蜜に竹内は自信をもって頷いた。
「ですが我々がすることは警察のガサ入れではありません。
くれぐれも穏便に、御自分が今おられる立場を念頭に置いて頂いて」
ここへきて竹内はわざと恭しい敬語を押し付けてみせる。
それは先程丑蜜が開発部全員のレイオフを宣言したように、時に非情な一面を見せるので社内において丑蜜派を支える部下としては今後控えるトップ争いの障害とならぬよう、慇懃なる言葉遣いで上司の暴走に抑止をかけるより他ないのだった。
「わかっている」
「たかだか山一つのことで最高経営責任者の椅子をフイにしないで下さいよ?
契約を無理強いしていると認めた場合はこの竹内、腕ずくで止めに入る覚悟でいますからね」
言ったところで手を緩めるような男でないことは同期で入社し、共に昇進を重ねてきた竹内自身が一番解っている。
それでも念を押さずにはいられない慎重さが、皮肉にも熾烈な出世競争において丑蜜に敵わなかった理由かも知れない。
「早くしろ、呑気に表札を見学している暇はないだろ」
「はいはい」
古家にしては最新式のセンサー、カメラまでが取り付けられているインターホンを、竹内は慣れたように押し鳴らした。
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