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「こんなことされたら困ります丑蜜さん」
手にある袋には高級寿司店の名前が入っていて、揺れる度に『経木』と呼ばれる木を薄く削った包装の香りと寿司酢のかぐわしい匂いが鼻と腹とをくすぐっていた。
それだけに留まらず、居間には既に丑蜜と丑蜜が連れてきた雨の匂いがうっすら空気に交じっている。
『風呂だったのか』と声を掛けられた途端、虎太郎はついさっきまでの自身の行為を思い出し、頬を染めた。
丑蜜と目を合わせることができない。
「皿や醤油なんかは適当に探して俺が並べるから、うめね君は先に髪乾かしておいで」
横目でそっと伺うと、丑蜜本人の髪も僅かだが濡れていた。
タクシーか何かを使って来たのだろうか。
にしても、あれだけの箱を抱えては、降りてからここまで傘を差せるはずもない。
高級猫缶 ──
今日虎太郎が抱えてきた分を合わせると
そこそこな量になる。
給料までまだ間があるので、すごく助かるし、缶詰となれば賞味期限も長く備蓄には最適だった。
虎太郎は一度洗面所に引っ込んで丑蜜にタオルを渡した。
「丑蜜さんの髪も濡れてますよ。
拭いたら座ってて下さい、準備は僕がやりますから」
猫缶と寿司と共に、ハンサムではあるが紳士とは呼び難いこの男を追い返しても良かった。
みたらしとの静かな時間を邪魔されるのは困るし、借りを作れば本来の目的である押し買いも断り難くなると分かっていた。
なのに、
「こっちこい、みたらし。
お前ずっと鳴いてたな〜、腹減ってんのか?」
みたらしを抱き上げて微笑む丑蜜に、この時の虎太郎は純粋な好意以外のものを見いだせなかった。
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