三つ子の真実

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三つ子の真実

 ――ガタッ。 小高い丘の住宅地。 長尾美紀が東側の勝手口を開ける。 そこは小さな花壇と畑につながっていた。 左てに見える玄関の脇にある生け垣には、季節ごと咲く白い花の木が植えてあった。 東北にある玄関…… いわゆる鬼門だったのだ。 かなり花びらの散ってしまった雪柳。 そして今は白山吹が可憐な姿を見せていた。 南側窓の下には小さな畑。その向こうには鬱蒼とした雑木林。 それは、崖へとつながっていた。 「あれっ、凄い……」 一瞬固まった美紀。 フェンスの先のある物に目が奪われたのだ。 「ママのごほうびかな?」 美紀はそう言いながらそれを見つめた。 美紀の視線の先にあった物…… それは白い蒲公英だった。 美紀は一瞬我を忘れた。 その時顔を出したばかりの朝日が美紀を照らした。 美紀は慌てて、時計代わりの携帯をエプロンのポケットから取り出し確認した。 美紀は珠希の愛用していた携帯を正樹から譲り受けた。 会話とメールだけ出来れば良かったからだ。 兄弟はスマホを欲しがっていたが、経済上の問題で未だに叶えてもらえないままだった。 何故、その携帯が時計代わりなのかと言うと、この前の生徒会で、携帯とスマホの学校持ち込みが禁止となった。 美紀の兄が生徒会長をしている手前、従うしかないと思っていたのだ。 (――良かった、まだ大丈夫だ) 大きな伸びをした後、眩しそうに目をそらす。 本当はずっと見ていたかったのに……  (――あらっ、何時の間に!?) ふと…… 白い矢車草に目がいく。 「今年も咲いてくれたね」 美紀は懐かしそうに、その花を見つめた。 矢車草には美紀の育ての母・珠希(たまき)との思い出があった。 初めて貰ったお小遣いで、美紀は花の種を買った。 兄弟がスナックを買うのを横目で見ながら…… (――いいなぁ) 確かにそう思う。 (――でもこれなら、ずーっと楽しめる!) 店頭に沢山並んでいた花の種を見ながら、美紀の目は遠い未来を見つめていた。 そう…… 目の前にある種が花開く数カ月先を。  だけど美紀は迷った。 余りに種類が豊富だからだ。 その中から見つけた物。 それが矢車草だった。 前面に描かれた、花火のような絵にひかれたのだ。 珠希がは花火を好きだったことを思い出したのだ。 この家を選んだのだって、此処から見える…… からだった。 遠花火だったけど。 (――どんな花が咲くんだろう? ――きっと何処にもないような花なんだろうな。 ――ママ、喜んでくれるかな?) 美紀は珠希の喜ぶ顔を想像しながら、そっと買った種をポケットにしまった。 美紀は知らなかった。 その矢車草が、本当は珠希のプレゼントだったと言うことを。  矢車草はなかなか咲いてくれなかった。 でも珠希はその花がどんな物なのか知っていた。 だからきっと美紀がっかりするだろうと思っていたのだ。 そこで、こっそり近くで咲いていた矢車草をもらって移植したのだった。 白い矢車草…… それは花びらが色あせたものだったのだ。 最初から咲くものではなかったのだ。 珠希はそれを知っていた。 それでもあえて白くなっていた矢車草を植えたのだった。 美紀を喜ばすためだった。 美紀をがっかりさせないためだった。 珠希は本当に優しい人だったのだ。 今更に気付く美紀。 感謝の心を伝えたい。 でも珠希は五年前に亡くなっていたのだ。  そう…… 矢車草は、大好きな母・珠希へのプレゼントだったのだ。 それは美紀の、純粋な思いだった。 美紀は珠希が大好きだったのだ。 当然父の正樹も大好きだった。 「大きくなったらパパのお嫁さんになる!」 だから、美紀は何時も言っていたのだった。 勿論、珠希から正樹を奪おうなんて考えてもいなかった。 でも本当に、正樹を思っていたのだった。 それは美紀自身にも解らない、愛と言う感情だった。 でも美紀は、それが家族愛なんだと思い込ませていたのだった。 美紀は一生懸命育てた。 玄関脇にある小さな花壇。 その一角をそのために借りて…… でもやっと花が咲いた時、美紀は泣いた。 近所の草むらで何時も見ていた花だったから…… その時珠希は言った。 『わぁ白い矢車草。この花大好きなの』 そう…… 美紀の育てた矢車草には、白い花も混ざっていた。 『美紀……素敵なお花をありがとう』 珠希はそう言いながら美紀を抱き締めた。  可憐な白い小手毬も咲いていた。 小手毬は枝を切らなければ来年綺麗に咲いてくれないと聞いていた。 だから美紀は惜しげもなくその花を摘んだ。 長尾家の庭で一番陽当たりの良い場所にある小手毬。 そのためか枝は四方八方に伸びていた。 (――暫く小手毬だけになるかな?) そんなこと思いつつ…… 花瓶を取りに玄関に入り合掌をする。 美紀は小手毬をそれに入れ、シューズボックスの上に飾った。 その花瓶の横に盛り塩を置く。 白い花と盛り塩…… 鬼門にある玄関の厄除けだった。 それと同時に、珠希への感謝の気持ちの現れだったのだ。 美紀はもう一度合掌をしてから玄関を閉め、勝手口からキッチンに戻った。  此処は長尾家の三畳ほどの台所。 流しの横のスペースにある調理台には玉子の殻とバックが置いてある。 「みんなー! ご飯が出来たわよー!」 美紀がオムレツをキッチンカウンターに並べながら、兄弟達を呼んでいた。 何時ものような一日が始まろうとしていた。 でもそれは少しだけ早かった。 高校で野球部に所属している兄弟のためだった。 朝練が今日から三十分早く始まるからだった。 『明日から早く起こせよ』 一番上の兄・秀樹(ひでき)に言われた。 『お願いだ美紀。俺達は甲子園出場に賭けているんだから』 二番目の兄・直樹(なおき)に言われた。 兄弟は美樹を入れて三人だった。 でも普通の兄弟ではなかった。 同じ日に産まれた三つ子だったのだ。 でも本当は違っていた。 確かに他の二人は一卵性双生児だった。 でも美紀は、正樹の同級生の子供だったのだ。 美紀はその事実を知っていた。 だから尚更嬉しいのだ。 家族として此処にいられることが……  父親の正樹はその声につられて、眠たそうに目をこすりながら手すりのある急勾配な階段を降りて行った。 階段の先には鬼門にある玄関。 そのためにシューズボックス上部には何時も白い花と盛り塩が欠かせない。 白い花と塩は浄化のパワーを持つ。 そう信じられていたからだった。 (――美紀……何時もありがとう) 心の中でそっと呟く。 そして合掌して、まず一礼をする。 ここ5年間欠かしたことのない、正樹の朝一の恒例の行動だった。 階段下から入る和室は壁と襖で仕切られていて、その脇の広いリビングダイニングに続いていた。 正樹の亡妻・珠希の希望でリフォームされた対面式キッチン。 その入り口に掛かる、レース調の長のれん越しに美紀が見える。 朝日を浴びながら甲斐甲斐しく家事をこなすそのシルエットに、正樹は思わず息を呑んだ。 (――珠希!?) ドキッとした。 美紀が急に大人びて見えたからだった。  (――えっー、あー美紀か……。何時の間にそっくりになったのだろう?) 正樹は感慨深げに美紀を見つめた。  「何だパパか」 美紀は正樹の気配に気付きながらも、当てが外れたらしくふてくされるように言った。 「何とは何だよ」 格好が付かないのか、顔を膨らませる正樹。 気まずかった。 娘に見とれる親父の姿を見透かされたかと思った。 正樹はまだ動揺していたのだった。  「違うの。兄貴達今日から朝練三十分早いんだって。今年こそ、甲子園を目指そうって。それなのに」 美紀の話が終わるか終わらないかのうちに、正樹は勢い良く二階に駆け上がっていた。 其処にいることが何となく照れくさかった。 だから正樹は逃げ出したのだった。 正樹はドギマギしていた。 その感情が何なのかは解らない。 でも確実に、美紀を女性として見ていた。 正樹はそれに気付いて焦ったのたのだった。 階段の右。和室の上の北と西の角部屋では、正樹と珠希の長男・秀樹と次男・直樹が二段ベッドで眠っている。 正樹はその部屋の前で呼吸を整えていた。 子供達にあくせくした姿を見せたくなかった。 血の繋がりはなくても美紀は可愛い娘だったのだ。 まさかのトキメキに我を忘れていた正樹。 何とかして親父の顔を取り戻すためだった。 子供部屋に入った途端、直樹と目が合った。 「今日から朝練三十分早いんだろ?」 正樹は直樹を促した。 直樹はハッとして目覚まし時計の上部ボタンを押し、急いで二段ベッドのハシゴから降りた。 下のベッドで手すりから零れんばかりに、大の字になって寝ている秀樹を起こそうとした。 正樹はそれを止めて、直樹を部屋から追い出した。  「コリャー!! 何時まで寝てる!!」 正樹は気持ち良さそうに眠っている秀樹の布団を一気にはいだ。 悪戯好きの正樹は、平成の小影虎の異名を持つ元プロレスラーだった。 何故そのようなニックネームになったかと言うと、苗字が長尾だったからだ。 オーナーが、上杉謙信のような大物になれと言って、名付けてくれたのだった。 正樹は体は小さいが、パワーはダントツだったのだ。 そんな正樹に叩き起こされたら、幾ら寝坊助の秀樹もひとたまりもなかった。 実はコレがやりたくてワザと先に直樹を追い出したのだった。 正樹はそんな少年の心を持ったまま大人になったような人だった。  でも本当は…… 美紀を見てドキドキしている自分のためだった。 いわゆる照れ隠しだったのだ。 「今起きようとしていたのに」 秀樹はぶつぶつ言いながらやっと体を起こした。 目覚まし時計を見ると、まだ鳴っていなかった。 「な……何なんだよ親父?」 それだけ言うのがやっとだった。 秀樹はまだ訳が分からずきょとんとしていた。 「何が、朝練だから、何時もより三十分早く起こせだ」 正樹は秀樹を一括した。 それでもまだ秀樹はポカーンとしていた。 「あっ、そうだった!」 秀樹はやっとことの成り行きに気が付いて、慌てて飛び起きた。 「やべー。目覚ましそのままだった!」 秀樹は急いで直樹を起こそうと二段ベッドのハシゴをよじ登った。 「アホ。もうとっくに起きてるわ」 すかさず言う正樹。 それでも秀樹は、その場にいた。 突然の正樹の襲来に、心が動揺したままだった。 「脅かし過ぎたか?」 「当たり前だよ親父……」 秀樹は頭を掻きながら、正樹の後を追うようにカウンターの席に着いた。  東向きの玄関の前には階段。 風水好きな珠希の妹・有田沙耶(ありたさや)は、この物件の購入を辞めさせようとしていた。 中古住宅。 オマケに鬼門の玄関。唯一の救いは東から入ること。 一番に朝日を浴びられるので、理想的とされていた。 その玄関に直面した階段。 これも凶相だと言う。 対処法は、少しだけでも隠すこと。 のれんでも効果があると言った。 そんな忠告を無視して此処を選んだ理由は、正樹のトレーニングが可能なスペースがあったからだった。 おまけに寝室横に八畳程あるルーフバルコニーがあった。 それが一番の魅力だった。 其処からは、地元で開催される花火大会が見えた。 それが家族を癒やしてくれる。 珠希はそう思っていた。 それにこの場所は高校時代二人が良く通っていた無料のスポーツジムのすぐ傍だったのだ。  スポーツが中心な家族。 その体力と気力作りをサポートするためだったのだ。 食事スペースを邪魔にならないカウンターにしたのもそんな思いがこもっていた。 お腹を空かせて帰る子供達のために、キッチンはコンパクトにまとめられていた。 長のれんをくぐると直ぐにある冷凍冷蔵庫は観音開きで、側面を壁側にしてあった。 左手のドアには食品。右手のドアには手作りドリンクが並べてあった。 練習を終えて帰宅した子供達が、冷蔵庫に回り込まなくても良いようにと考えた珠希の知恵だった。 麦茶、蜂蜜ドリンク、紫蘇ジュース。 それらは子供達の成長を考えて、極力市売品避けた親心だった。 駐車スペースは将来のために、3台分あった。 その残りの庭で家庭菜園もしていた。 其処にはジュースのための紫蘇、味噌汁のための薬味もあった。 家族で育てた新鮮な野菜で作るサラダ。 それも珠希の笑顔と共に元気の素となっていた。  二階には三部屋あった。 階段を登りきった所にある僅か一畳程の廊下に四つのドア。 その一つが、ルーフバルコニーに繋がっていた。 夜は星や花火見物。 昼は洗濯物干場やバーベキュー。 此処は多種多様のイベント会場にもなっていた。 プロレスの試合で体を酷使している正樹のために、くつろげる空間造り。 それが珠希の一番の仕事だったのだ。 その珠希が交通事故で突然亡くなって以来、それが美紀の仕事となっていたのだった。  「どけどけ!」 玄関で秀樹が直樹を押しのける。 二人の何時も朝の出発風景だった。 勢いよく飛び出した秀樹。 それに続く直樹。 ――ガタン、バタン。 秀樹と直樹が慌ただしく自転車で出発して行く。 「自業自得よ!」 美紀は玄関で、二人の背中に声を掛けた。 玄関の横には六畳の和室があり、仏間になっていた。 美紀・秀樹・直樹の三兄弟は同じ日に産まれた三つ子で、その母・珠希の遺影と位牌が仏壇にあった。 「それじゃママ、行って来るね 美紀は仏壇の前に預けていたテニスラケットをスポーツバッグに入れながら言った。 「パパー、戸締まりお願いね」 今度はリビングに向かって声を掛けた。 正樹が其処でトレーニングをしていたからだった。 美紀は自転車の前籠にバックを乗せて出発した。  和室の横から顔を出した正樹は、鍵を掛けるために玄関へとやって来た。 白い花と盛り塩がイヤでも目に入る。 「鬼門の玄関か……」 見る度に呟く。 同じ言葉を何度言ったことか。 その度美紀を、子供達を悲しませてきた。 「自分が運転さえしていれば……」 今日もそれを言う。 子供達の前では絶対言わないと誓った言葉を。 階段下のドアを開けて、仏間に入る。 子供達が登校した後、心静かに遺影に向かう。 正樹と珠希の何時もの会話時間だった。 ――シュッ。 マッチを擦り、線香に火を付ける。 「なあ珠希、この頃の美紀、二人に似てきたと思わないか?」 そう言いながら遺影に目をやる。 二人と言うのは、産みの母の結城智恵と育ての母の珠希のことだった。 「早いもんだな。あれからもう十八年か」 正樹は三人の産まれた日のことを思い出していた。  陣痛が始まり免許取り立ての正樹の運転で病院へ向かっていた。 正樹はそれまで助手席専門だった。 でもそれで良いと思っていた。 プロレスの試合の時は、バス移動だった。 家では自転車。 それで困らなかったのだ。 プロレスのことだけ考えていればいい。 珠希にもそう言われていた。 でも産まれて来る子供達のために取得しようと決意したのだった。 珠希のお腹の中に、複数の命が宿っていると解ったからだった。 病院へもう少しという時だった。 目の前をフラフラと歩く女性を発見して車を止めた。 急いで二人が駆けつける。 でも女性は手を払いのけ、尚も進もうとした。 そして力尽きてとうとうそのまま道路にうずくまってしまった。 女性は息も絶え絶えの中大きなお腹をさすっていた。 すぐに公衆電話を探して救急車を呼んだ。 そして到着を待つ間必死に呼びかけた。  女性も妊婦だった。 何度か病院の待合室で一緒になった、正樹の同級生・結城智恵(ゆうきちえ)だった。 親に捨てられ、施設で育った。 『本当の出身地はコインロッカー』 正樹の前ではそう言って笑ってた。 強がりだと知っていた。 だから尚更守ってやりたかった。 正樹の初恋の相手だった。 だからと言う分けではないけれど、再会した時は嬉しかった。 自分のことのように喜んだ正樹。 やっと智恵に出来た本物の家族だったから。 余りにも正樹が嬉しそうだったので、初対面ではなかったが智恵のことが気になった珠希。 『ねえ。どなたなの?』 と正樹に尋ねた。 『彼女は結城智恵さんって言って、俺の初恋の人だ』 そう、答えた正樹。 『正直者だね』 珠希は笑っていた。 『そう、馬鹿が付くほど』 珠希は独り言を言った。 それは正樹に聞こえなかった。  出産後智恵は息を引き取った。 正樹は智恵の育った施設を訪ね、パートナーが既に亡くなっていることを知った。 身よりのない智恵が産んだ女児を正樹夫婦は三つ子として育てる決意をした。 それが美紀・秀樹・直樹の真実だった。 「やっぱり似てきたんじゃないのかな? ママの仕草と母の顔……」 正樹はそう言いながら涙ぐんでいた。 「態度はママ譲りだよ、間違いなく。やはり傍にいる人に似るんだな。何かドキンとして気まずかったよ今日。美紀がお前に見えて……。お前そのものだったから」 正樹はさっき立てた線香に再び合掌した。 「あっそうか?」 正樹はそう言いながら遺影を又みつめた。 「これか……!?」 正樹は美紀が珠希に見えた理由をその中で知った。 美紀は珠希と同じヘアースタイルだったのだ。 美紀は何時もはツインテールだった。 でも今日はストレートヘアーを下ろし、一つに纏めていたのだった。 「そうか美紀も大切に思っていてくれたのか」 正樹は美紀の心遣いに感謝していた。 今日は正樹にとって大事な日だったのだ。 そう…… その日は何時も美紀は珠希と同じヘアースタイルにするのだった。  ーーーーー わー。 やっと気付いてくれた。 はずよね? そうよ、私がさせたの髪を解かせて一つに結ばせたの。 このヘアスタイルがこれが一番効くからね。 だってダーリン、私のシャンプーの香りにゾッコンだったもの。 私は知っているの。 魂でもいいから添い寝したくて、同じフレグランスを枕元に置いてあるって。 だから、フェロモンビンビンで感じているはずよ。 もう少し…… もう少しできっと堕ちるわ。 だから美紀、その日までよろしくね。 ごめんね、美紀…… アナタが苦しい思いをすることは解っているの。 でも私にはこんなことしか出来ないの。 ーーーーー
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