それぞれの部活動

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それぞれの部活動

 高級住宅地ではないが、少し高台にある長尾家。 小規模開発地区の名残の建て売り住宅もあったが、注文住宅も存在する地域だった。 傍に地域最大の病院が建設されることが決まって、それに伴って整備された既存宅地だったからだ。 長尾家は注文住宅を中古で買って、生活していた。 山と言うより丘に近い。 それゆえ朝は楽なのだ。 坂道を一気に下ることが出来るから。 その地形は、朝練で体力を使う兄弟には嬉しいことだった。 温存したパワーは、そのまま練習成果に繋がる。 比較的近場に高校があったことと、其処へ入れる学力を付けてくれた両親。 特別な進学塾に行かせた訳ではない。 自宅学習で充分だと思った珠希が、自力で探した教材で楽しみながら身に付く方法を駆使したからだった。 予習復習が基本だった。 それは、授業が理解出来ることが一番だと判断した珠希の知恵だった。 美紀はそんな珠希に何時も感謝しながら、ペダルを漕いでいた。 帰りはこの坂道が、体力アップになる。 この素晴らしい環境は、兄弟達を成長させるために存在していたのだった。 だから珠希は此処を選んだのだった。  風水の本を示して、妹の沙耶が反対した。 でもどんな理由を付けられても、珠希は此処が気に入っていた。 花火だけではない。 メインストリートからちょっと入っただけなのに、静かな環境。 その上、家族が成長出来る要素が此処には溢れていたのだ。 どんなに云われても曲げない精神。 それは、兄弟達を思えばこそだった。 中古住宅。 オマケに鬼門の玄関。 確かに気にはなる。 だから、玄関に白い花と盛り塩を置いたのだった。 その厄除け方法を美紀は受け継いだ。 朝の恒例の行事となったのだった。 一般的に風水では金銭面では西に黄色。 健康面では、東に赤とされている。 余り裕福ではない長尾家。 洗濯物を干す時はこれを取り入れていた。  家の前の道を東に向かえば高校までの坂道。 西に向かってその先を右に折れれば珠希と正樹が体を鍛えた無料のスポーツジムがある。 この場所は家族にとって一番過ごし易い環境だったのだ。 公営の体育館の中にそれはある。 勿論無料で浴びれるシャワー施設も付いている。 偶にはジョギングで其処に行き、一汗かいた後シャワータイム。 そして…… 夜空を眺めながらの帰宅。 それは、より深い絆を家族にもたらす結果となった。  雑木林を切り開いて出来た住宅地の隣には、大病院があった。 受け付けは八時半。 治療開始時間は九時からだった。 そのため、其処へ向かう道路は大渋滞になる。 でも賑やかなのはその駐車場までで、住宅地は静かだった。 混雑する朝に別ルートのある地形は、少し遠回りでも早く職場に到着出来る。 珠希はその立地を生かして快適に生活していたのだった。 家族のために生きた珠希。 それは全て、正樹を愛したことから始まった。 珠希は自己犠牲も厭わないほど、夫にゾッコンだったのだ。  遠目で誰も傍に居ない事を確認した美紀は、校門を勢い良く通り過ぎた。 美紀はそのまま、高校の自転車置き場へと向かった。 スタンドを立てて、時計を確認した美紀。 「まだ大丈夫かな?」 独り言を言いながら、フェンスの先を見つめた。 その向こうにグランドがあり、野球部の練習風景が見えるからだった。 スポーツバッグを前籠から出しながらもう一度見た美紀。 そこへ同級生の羽村大(はむらひろし)が乗り付けてきた。 「あれっ、何してんの? 朝練は?」 「何言ってん。いつもの時間だよ」 そう言いながら、おもむろにスマホを取り出し、時間を確認する大。 「あーあ、いけないんだー。確かこの前生徒会で、スマホと携帯持ち込み禁止になったんじゃなかったけ? あっ、そんなことより兄貴達三十分早く行ったけど。確か甲子園……」 「あーっ、そうだった! 甲子園を目指すために三十分早かったんだ。やべー完全に遅刻だよ」 大はカバンを鷲掴みにすると、慌てて校庭に走った。 それを見送る美紀。 「甲子園か。今年が兄貴達にとって、最後の挑戦だからな」 美紀は改めて、野球部のグランドを見た。  兄弟の通っている高校は、県内では名が通ったスポーツ校だった。 秀樹と直樹は野球部に所属していた。 美紀はソフトテニス部。 国体選手だった母の珠希に憧れて選んだ道だった。 五年前亡くなった珠希は中学で体育教師をしていた。 プロレスラーの正樹のサポートしながら、ソフトテニスの顧問もこなす。スーパーレディだった。 珠希が実の母でないことは知っていた。 だから時々、自分には才能が無いと落ち込む。 でもそこは、珠希の背中を見て育った美紀。 何事にも負けない根性だけは備わっていた。  フェンスの向こうに秀樹が見える。 秀樹はグランドでウォーミングアップをしていた。 美紀は何かが気になり、手招きで秀樹を呼んだ。 口元に血のような物が付いていた。 良く見るとそれは、朝食時に掛けた物のようだった。 「何だよー」 不機嫌な秀樹。 「顔洗った?」 美紀は自分の口元へ手を持っていった。 「秀ニイの此処、ケチャップ付いてる」 「えっ!?」 秀樹は慌てて、口元に指を持っていった。 でも指先には何も着いてこなかった。 秀樹はユニフォームのポケットからスマートフォンを取り出し、ミラー機能で自分の顔を確認した。 「お前がオムレツなんか作るからだぞ全く」 「自業自得よ! ちゃんと起きてさえいればねー。でも、あれっ確か秀ニイ、スマホ持ち込み禁止になったはずじゃなかったっけ」 すかさず言う美紀。 秀樹は慌ててスマートフォンをポケットに締まった。 「いけないんだ。生徒会長に言い付けちゃうぞ」 美紀は不敵な笑みを浮かべた。 「えっー。直樹に」 秀樹は頭を抱えた。 直樹は生徒会長で、野球部のキャプテンでもあった。  「あ、そうだ思い出した。あれは、先生方に対するアピール作戦らしいよ」 「アピール?」 「だから本当は携帯とスマホは持ち込み禁止じゃなくて、授業中に遣らなきゃいいってことらしい」 「えっ、んな馬鹿な」 「それを今日決めるって言ってた気がする」 「私何も知らなくて……。――って、何で言ってくれなかったの!!」 美紀の剣幕に秀樹はたじたじになって、慌てて其処から逃げ出していた。  美紀も部活の朝練に参加していた。 初めにやるのはラン。 簡単に筋肉をほぐした後で校庭を走る。 放課後のロードより軽く全員参加が基本だった。 その後ウォーミングアップしてからラダートレーニング。 ラダーとは縄ばしごの意味で、足下に置いて反復跳びで瞬発力を鍛えることが出来るのだ。 でも美紀はもっと簡単にしてしまった。 それも珠希直伝事のアイデアで、ただ線を書くだけだった。 物を置いて運動した時の躓き事故を無くすためだった。 美紀の基礎体力と応用力は、それらにより生み出されたものだったのだ。 その後初めてコート練習へと向かうことになっていた。 レギュラーと補欠選手には優先的にコート使用が認められていた。 朝は時間が無く、効率の良く成果を上げるためだった。 そのため他の部員達は、素振りと技術を盗むための見学に徹底していた。 でも今日は違った。 美紀の計らいで、新人のソフトテニス部員達に素振りを教えることにしたのだ。 でも、中学時代から本格的にやっていた者が大半だった。 基礎がしっかり出来ていて教えることもなかった。 でも一応決まりとして、基礎訓練は指導しなければいけなかったのだ。  硬式のテニスのラケットより太いグリップ。 持ち手を変えることなくフォアハンドとバックハンドに使える優れものだった。 シューズは底がフラットで凸凹のない物。 クレーコート用、ハードコート用、アンツーカーコート用の三種類がある。 コートに入る時は必ずテニスシューズに履き替えなければいけない。 コートを荒らさなくするためだった。 ソフトテニスの多くのコートはクレーだった。 そのためのブラシ掛けとライン掃きは、終了時に何時も全員参加がルールだった。  ソフトテニスのコートは、大きく三つに分けられる。 ストロークが打ちやすく、ラリーが続けやすい土のクレーコート。 多少の雨でもプレーが可能な砂入り人工芝の通称オムニコート。 摩擦が大きく、カットサービスが有効なハードコート。 又それに合わせたシューズ選びも大切だった。 でも正樹に負担を掛けたくなかった美紀は、常にオールコート用を愛用していた。 珠希の影響もあって、正樹は多少なりとは理解していた。 本当は全てのコートに適したシューズをプレゼントしたかったのだ。  ラケットも二通りある。 前衛が良く使う二本のシャフトタイプで、グリップはやや太めの物。 後衛が良く使うシャフトが一本のタイプで、グリップはやや細めになっている。 珠希は前衛だった。 遺されのは二本のタイプだった。 でも本当はもう一本あったのだ。 それは生徒を指導する時に使用した一本のタイプだった。 美紀はそれをまだ知らずにいた。  ネットを挟んでのラリーは、体力維持のために欠かせない。 以前はバウンドして弧を描き落ちようとする球を打っていた。 今では上に向かおうとする球を攻撃球とする選手も出ていた。 美紀はその球を武器にしようと頑張っていた 。  美紀は部員一人一人のグリップを見て回った。 ウエスタングリップ。 アメリカの西部地方で考案された事から名付けられたグリップて、ソフトテニスでは最もポピュラーな握り方だった。 それ故、このグリップの部員が一番多かった。 イースタングリップ。 アメリカ東部地方で考案された握り方で、硬式テニス用として広まった。 フォアハンドとバックハンドでは別のラケット面を使用する。 流石にこのグリップの部員は居ないと思われた。 でもかって硬式テニスをかじった部員には馴染みのグリップらしく、ラリー中に思わずその握りをしてしまう選手もいた。 イングリッシュグリップ。 イギリスで考案された握り方で、硬式テニスで多く使われている。 ソフトテニスでのグランドストロークとしては殆ど用いられない。 でもツイストサービスやカットサービスでは武器になる握り方だった。 このサービスグリップが珠希の武器だったのだ。 だから美紀もこれをマスターしようとしていたのだった。  でもウエスタングリップもイースタングリップも一長一短だった。 ラケットを持ち替えることなくプレイできるウエスタンは低いボールの処理が難しかしかったり、低いボレーが打ちにくかったりする。 一方イースタンはバックハンドストロークや高い打点での打球が打ちにくかったり、ドライブがかけにくかったりする。 それらを克服するには、やはり練習しかないようだった。  素振りの後はストロークを教える。 「フォアハンドのサイドストロークは、軸足を決め上体を真っ直ぐに立てて左足に体重をかけて、軸として体こ回転と共にスイングしてみて」 サービスを練習しているレギュラーの球を打つ。 それはラインぎりぎりのエースになった。 当然のように新入部員から拍手が起こる。 「バックハンドのサイドストロークはクローズスタンスで打つ」 又エースになった。 「クローズスタンスって解る? 軸足を決めて前足を踏み込む時、かかとから入ると膝が柔らかく使えるようになるから覚えてね」  美紀の解説は判り易い。 その上次々とエースを決めるから、新入部員は憧れの眼差しを送っていた。 クローズスタンス…… ラケットを左腰で押し出すように地面と平行に振りながら膝を伸ばし、右足前方でインパクトする。 重心はバックスイングで軸足にかかり、右足に移動してフォロースルーで右足にかける。 左手でバランスをとることでよりスムーズになる。 アンダーストローク・トップストローク・ロビング・ハーフロビング・シュートと続き、最後にネットに寄ってボレーとなる。 美紀は珠希の指導振りを小さい時から見ていた。 だから的確に教えられるのだった。 美紀はソフトテニス部のエースだった。 でもそれは珠希から受け継いだものではない。 全て努力の賜物だった。 珠希が実母でないと知った時。 余りのショックに立ち上がれなかった。 でも家族が居たから克服出来たのだ。 美紀が一生懸命家族の世話をやくのは優しさへの恩返しだったのだ。 でも、心の片隅では珠希をライバル視して、常に意識していた。 それが美紀の弱点でもあったのだ。  後衛がボレーを出し、練習が始まる。 三球を五回。 そしてスマッシュに繋げる。 三球の内訳は中ロブ、繋ぎのロブ、そしてスマッシュ攻撃だ。 なるべく全員がコートを使う工夫。 キャプテン美紀の真価が問われることも承知の上で采配を決意したのだった。 それは珠希の影響をことごとく受けてきた美紀ならではの素質だった。 それでも美紀はもっと上を目指そうと思った。 珠希の夢を自分の夢とするためにも。 珠希の夢は国民体育大会で県代表として出場すること。 でも一番は…… 正樹に愛されることだった。  秀樹は豪速球を売り物にしていた。 勿論捕球は直樹の担当だった。 『基本はキャッチボールと遠投』 そう新コーチに言われた。 (――その位解ってる) 秀樹は思う。 でも…… 早く変化球を覚えたくて仕方ない。 昨日イヤイヤ、言われた通りキャッチボールをした。 『ストレートもまともに投げられない奴に、変化球が投げられる訳がない!』 投げやりな秀樹の態度を見たコーチに、そう指摘されてしまったのだ。 (――もうー!! 解ってる! 解ってる! 解ってるよ!!) 秀樹はヤケになっていた。 だからついムキになって、カーブを直樹に向かって投げた。 でもそれはすっぽ抜けた。 慌てて直樹がボールを拾った。 「兄貴どうした?」 直樹が心配して、マウンドに駆け付けた。 「いや、何でもない……」 そう、言おうとした。 「もしかして、カーブだった?」 でも、直樹の指摘に言葉を失った。 「カーブは投げ方を誤ると肘や肩に大きな負担がかかるって言われたろう?」 「うん。俺の場合、手首をひねって親指が上に来るから危険なんだって」  「――ったく、しょうがねぇな。解ってて遣るから始末悪いよ」 直樹の言葉に秀樹はグーの音も出なかった。 「コーチが言っていたよ。外に向かって曲がるボールだから、その方向に手首をひねってしまうって。ストレートと同じでいいのにって」 「えっストレートと……」 「だから、まずはストレートなんだって」 「基本か?」 直樹は頷いた。 「トップの位置で手首を内側にロックして、親指が下に向くようにリリースすれば、負担はかなり軽減されるって」 早速ホームベースに向かってカーブを投げてみる。 でも…… 親指を意識し過ぎて、ベースの手前でバウンドした。  (――力不足か…… ――いや違う。基本を忘れていたんだ。――そうかだからキャッチボールなのか?) 秀樹はやっと、コーチの言った『基本はキャッチボールと遠投』の意味を理解した。 直樹に向かって、ただ無心に投げていた子供の頃を思い出しながら。 そして自分の心に決着を付け、やっと覚えたカーブを封印することを決めた。 『あのコーチに付いていけば、甲子園だって夢じゃないよ』 昨日直樹が言ったその言葉を信じてみようと思った。 それは秀樹が少しだけ大人になった瞬間だった。  本当は解っていたことだった。 でも忘れていたのだ。 (――あー、何遣っていたんだろ……) 秀樹はその時、自分を過大評価していたことにも気付いて苦笑いていた。 もう一度マウンドに立って直樹を見つめた。 ありがとうと言いたくて。 「基本はキャッチボールと遠投か」 秀樹はその意味を模索し初めていた。 そのためにもう一度目を閉じた。 無心になりたくて。 「直樹わりー。もう少し付き合ってくれ」 秀樹はそう言うと、子供の頃二人で遊んでいたキャッチボールを思い出していた。 (――最初はグラブなんて無かったな。でもあれはあれで楽しかった) グラブを外し、お手玉のようにボールを上に投げては取る秀樹を直樹は首を傾げながら見ていた。 (――もしかしてキャッチボールか?) 直樹はその答えに満足するかのように、身構えた。 何時ボールが飛んで来てもいいようにと思って。 『体に負担のかからない投げ方は、力のロスをなくし、無駄のないフォームを作る事』 以前カーブを教えてくれた前任コーチが言っていた。 (――果たして今、自分に出来ているのか?) 秀樹はもう一度その意味を考えてみようと思った。 (――力のロスをなくす? いや、出来てない。俺の場合無駄に力んでる。――無駄のないフォームを作る? ――これも駄目だ) 直樹にタイムをかけて一旦マウンドを降りた秀樹。 呼吸を整えてから仕切り直しに又入った。  秀樹はもう一度直樹を見つめた。 直樹が構えるキャッチャーミット。 何も考えず投げられたらどんなに楽か…… 秀樹は再び無心になろうと目を瞑り、セットポジションをとった。 (――この目を開けた時きっと新しい自分に……、俺はこの手で掴みたい。直樹と一緒に掴みたい) 心穏やかに、見えない先の直樹を意識してみる。 (――キャッチボールって相手がいるから成り立つんだよな? 所詮俺の力なんて……、バッテリーによって生かされるんだ。俺はそれを俺だけの力だと勘違いしていたのか?)  やっと気付いた秀樹は胸の高なるのを覚えた。 直樹は双子の兄弟でありながら、心の許せる真の女房役だったのだ。 何時も傍にいたから今まで気付かなかった。 直樹への信頼感。 今はそれがビンビンきている。 魂を球に込めて投げれば必ず受け止めてくれることも承知している。 自分の力を過信しないで素直になろうと思った。 それは秀樹が又一つ大人になった瞬間だった。  『カーブは教えてもいいが……ツーシームを有効に使った方が得策だ』 その時秀樹は、前任コーチの言葉を思い出した。 秀樹はストレートの握りを変えることなく、勝負球になりうるツーシームを新コーチに教えて貰うことにした。 勿論全ての球質の練習はしていた。 でももっと上を目指すために、新コーチに付いていこうと思ったのだった。 でも秀樹は苦笑していた。 無心になりたくて目を瞑ろうとしているのに、余計なことばかり考えてしまう自分の愚かさに気付いて。 今や、ストレートの代名詞になりつつあるツーシーム。 大リーグの球質表示ではストレートと分けて表示されるようになっている。 それだけ、広がりをみせている球質だったのだ。 コーチは秀樹の才能を見抜いていた。磨けばいくらでも光る器在であることも。 でもいかんせんお調子者だ。 誉めれば付け上がると思っていたのだ。  ソフトテニスの練習方法は美紀が中心となって決めていた。 国体の選手だった珠希の工夫を学ぼうと言う提案があったからだった。 でも美紀はでしゃばるのが嫌いで、何時も部員達に気を配っていた。 部員の誰もがそのことを知っていた。 だからこそ美紀は、部員達に頼りにされていたのだった。 珠希は練習過程を六通りに分けていた。 運動に関わる神経伝達を素早く行えるようにするコーディネーション。 相手のショットに素早く反応するために必要不可欠なフットワーク。 狙った場所へボールを打つためのショット技術向上。 試合を組み立てるために必要なストローク。 得点のチャンスを生かすネットプレー。 基本中の基本サーブ。 それらを一つ一つこなした後で総合練習となる。 サーブはボールを二つだけ持つ。 試合形式でリターンを狙わせる。 その処理練習が技術向上へと繋がると美紀も思っていた。  午後の練習はまずロードから始まる。 野球の練習グランドのフェンスの先には川が流れていた。 この川の橋から橋まで一周する。 クールダウンとウォーミングアップ後、それぞれの練習メニューをこなす。 レギュラー陣はまずはコート打ち。 コート一面がそのために用意されていた。 残りのコートは下級生用の練習に使用する。 でも大会が近い時は、全コートが出場選手用になる。 クロスとミドルを10周中4球以上入れること。 前衛を立てて取れないコースを狙う。 前衛が得意な選手か後衛がボール出して、ボレー、スマッシュの練習。 中ロブ。 繋ぎロブ攻撃。 シュートなど。 朝練と同じ練習方法だったが、これが一番良いと美紀は感じていた。 その他にも遣らなくてはいけないことが満載だった。 練習でも、ボールは2球まで使用する。 試合形式で回すためだった。 球を打つ技術だけでは良いプレーヤーとは言えない。 何事にも動じない精神力を鍛えること。 それが一番の課題だった。  前衛の練習は、後衛同士が正クロスや逆クロスのラリーをしている前に飛び出してタイミング図ることから始まる。 ボレーやカットで、ネットギリギリに落とすことを意識する。 勿論スマッシュが決まれば申し分ない。 練習過程を六通りに分ける。 コーディネーション。 フットワーク。 ショット技術向上。 ストローク。 ネットプレー。 サーブ。 それらを一つ一つこなした後で総合練習となる。 一番大切なのはフットワークだ。 イチ、ニィ、サンのリズムでスイングする。 バックハンドストロークも、フォアハンドストロークもイチはその場で軽くジャンプする。 全ては其処から始まるのだ。  バックハンドストロークは、ニィで後ろ足を一歩引いて重心を置く。 つまり左足が後ろ、右足が前に来る。 サンで、前に踏み出しながらラケットを振る。 この時右足が前に来る。 フォアハンドストロークは、ニィで後ろ足を一歩引いて重心を置く。 右足が後ろで左足が前に来る。 サンで前に踏み出しながらラケットを振る。 左右の移動は、どちらにも行ける待球体制をとる。 右へは右足を踏み出してから走り始める。 左へは左足を踏み出しす。 第一歩目で足がクロスして走り出してはいけない。 補球場所への到着が遅くなり、バランスを崩しかねないからだ。 フットワークは第一歩目で体の方向を決めることが大切で、まず左右の足を軽く一歩出してから勢いを付けて走って行く。 それが一番早くボールに追い付く方法だと美紀は信じていた。  試合に勝つ上で一番大事なのはチームワークだ。 野球でもソフトテニスでもそれは同じことだ。 でも前衛と後衛のコンビネーションプレイが要求されるテニスは格別だった。 テニスは確率のスポーツだと言われる。 ボールをしつこく返す。 得意なプレーで押し通す。 弱点を徹底して突く。 攻撃する人を決め集中的に攻める。試合に勝つ確率を上げる。 これが大切なのだ。 でも実力が伴わないとそれは生かされない。 だから練習をする。 美紀は本気でそう思っていた。  放課後。自転車置き場。 美紀はテニスラケットの入ったスポーツバックを前籠に乗せた。 珠希の形見となったラケットをとても大切にしていた美紀。 もし自分が国体の選手になれたらそのラケットで戦おう。 それが珠希の一番の供養になると考えていたからだった。 だから何時も珠希の仏壇の前にテニスラケットをお供えしていたのだった。 自分は昼間使わせてもらっている。 だけど夜はそれで楽しんで欲しかったのだ。 「ママ。力を貸してね。もうじき試合があるの」 他力本願はいけないことだと、自分自身が一番分かっている。 でも美紀は、親子でインターハイに出たいと思っていた。 秀樹直樹の甲子園同様、美紀も珠希の夢・国体の選手を目指して頑張っていたのだった。  ソフトテニスは軟式テニスと言っていた頃とはルールが違っていた。 前衛と後衛に分かれる。 それは同じだった。 大きく違うのはサーブだった。 一人だけから二人の共同作業になったのだった。 前衛は守りのみだった。 スマッシュやボレーの腕を磨くだけで良かった。 珠希はその前衛だった。 中学高校で培った力を全面的に否定されたようで最初は慣れなかった。 サーブは後衛に任せっきりだった。 珠希は全くサーブの練習などして来なかったのだ。 だから人一倍悩んだのだった。 でもどうせ遣るなら、誰にも打てない物を。 そう思って、初めたイングリッシュグリップ。 自然にサーブも決められるようになるために珠希は死に物狂いの努力を自分に課せたのだった。  その頃、それは新ルール・国際ルールとも呼ばれていた。 軟式テニスは、ソフトテニスとして大きく羽ばたいこうとしていたのだ。 珠希が戸惑ったのはサービスだけでは無かった。 一番はジャッチだった。 練習中に審判を置かないでプレーするとどうしても、自らアウトコールをしてしまう。 でも試合中につい出てしまうことも度々あった。 『アウト』 などと思わず言ってしまうのだ。 でもルール改正数年後に、その行為が反則に加えてられたからだった。 それは数人でプレーす団体にとっては致命的だった。 そのジャッチ行為を無くすことが第一と考えた珠希は、どんな時でも審判席に座らせることにしたのだった。  それはやがて一石二鳥の効果を及ぼすことになる。 練習中に全ての部員達が審判力を付けたからだった。 珠希はやはりスーパーレディだった。 だから美紀は愛して止まないのだ。 その珠希の経験は、美紀の部活指導にも生かされていた。 美紀は積極的に部員達に自分の身に付けた物を残そうとしていたのだった。 それはやがて、美紀の夢にもつながることだった。 美紀の夢…… それは珠希の後を追うことだった。 国民体育大会に県民代表として出場すること。 でも今のままではいけないと思っていた。 美紀は更にソフトテニスを極めたいと思っていたのだった。  フェンスの向こうでは大が球拾いをしている。 「それって、三年生がすることかい?」 大は突然聞こえてきた美紀の声に驚いて、持っていた球を落とした。 呆然と美紀を見つける大。 「何遣ってるの。ほら早くしないと 」 美紀は笑いながら言葉を掛けた。 その言葉に大はハッとして周りを見回した。 大慌ててボールを拾う姿は美紀には滑稽に写った。 「これでレギュラーだって言うんだから呆れるね」 「イヤなトコ見るなよ。これはなー、秀と直のサポートだよ」 大はそう言って、グランドに目をやった。 秀樹と直樹のバッテリーが、新入生に豪速球を披露していた。 「エースだからな秀は」 自慢げな大。 拾った玉を抱えグランドに戻った。  秀樹はようやく、判りかけていた。 コーチの言った。 キャッチボールの意味が。 それは、チームだった。 幾ら凄いピッチャーが居たとしても、それを受けてくれるキャッチーが居ないと、ナイン全てが居ないと成り立たないと言うことが。 それに気付いたプレゼントとして、豪速球を披露する場を与えられたのだった。 野球部の要として育って行く秀樹と直樹。 美紀の自慢でもあった。 もっと見ていたかった。 美紀は後ろ髪を引かれながら、自転車に乗った。 でも美紀はその時気付いていなかった。 大が美紀に見とれてしることを…… どうやら大は美紀に恋をしてしまったようだ。  ーーーーーあちゃー。 大君、貴方はお邪魔よ。 美紀は、違った私はダーリン命なのよ。 だから幾ら言い寄っても美紀はなびかないわよ。 お気の毒様。 でも…… 良く見りゃ結構イケメンだわね。 大君って、二枚目の顔した三枚目なのよね。 うーん、女心が擽られるわ。 いえ、ダメダメ。 やっぱりダーリンが一番よ。 ダーリン愛しているわ。 美紀がその気にならなければ良いのだけど。 いくら私が美紀に憑依しているとしても、心まで支配は出来ないものね。 まあ、大丈夫だと思うけどね。ーーーーー
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