あいつのささくれ

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六人掛けのテーブルの端っこに、向かい合って座った。窓から射し込む夕日が、新井の頬をオレンジ色に照らしていた。素直に、綺麗だな、と思った。 「俺、家族が良くなくてさ」 「家族が良くない?」 唐突に話し始めた新井の言葉が、いつも通り適当すぎて聞き返す。 「あー、家庭環境が。それで帰りたくなくていっつもここにいるんだけど」 「ああ」 「理想のさ、家族が欲しかったんだよね」 ぽつ、ぽつ、と話す新井は、置いてあったリプトンの容器を軽く振った。 「たぶんさ、リサに、理想の人になって欲しかったんだ」 「ああ…」 こいつは今、俺に別れた理由を話しているんだとやっとわかった。正確には、俺を通して、自分に話しかけているんだ。 「もーーーしわけなくなっちゃったんだよね!」 新井が突然声のボリュームを上げたので、ちらほらと周りにいた人がこちらを見た。あ、スンマセン、と小さくぺこぺこしたあと、「そういうわけでした」と俺に言った。 なんだ、こいつは、まだあの子のことが好きなのか。目の前で俺の後ろにある窓を眺めている新井の顔を見る。透明人間みたいだ、と思った。はじめからこいつには俺なんか、見えてないじゃないか。 新井がだるそうに片手で頬杖をついた。小さな爪と、いくつかのささくれが見える。 「言ってあげれば?」 優しい声が出せた、と思った。でも、自分の声ではないな、となんとなく思った。 「ほら、たぶん、言えば伝わるっていうか…今の状態だと、お互い悲しいじゃん」 「…そうかね」 「うん、言って、それでもやっぱり申し訳ないから別れたいって伝えればいいんじゃないかな」 後半は俺の願いだった。大丈夫、自然に喋れてる。 「そうか…そっか、わかった、うん、そっか」 新井は俺を見て、それから何度か頷いて、決意を固めたみたいだった。 「行ってこいよ、まだいるだろ」 「…おう、行ってくる」 新井は床に置いていた鞄を掴むと、一度ドアの方向を向いてから、こちらに歩いてきて、俺の手を掴んだ。 「ありがと!親友!」 図書館が静かになった。俺は夕日に背を向けて椅子に寄りかかっていた。このまま溶けて椅子になりたいな、なんてことを考えていた。大丈夫、俺は堪えたし、自然だったし、新井は別れる。自己嫌悪はこの際どうでもいい。そこまで考えて、ふと、自分の両手を見た。 親友、という言葉を反芻する。初めてできた親友の手は案外ざらざらしていて、あったかくて、力強かった。左手の親指が見える。結婚会見みたいな新井の姿を思い出したところで、手の平に雫が落ちた。 来週は当番の週だ。俺はいつも通りに振る舞える自信があった。いつも通りに振る舞うから、せめてどうか、俺だけが新井の親友でありますように。静かな図書館に、チャイムの音だけが響いていた。
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