家族がバケツから出てきません

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 家に帰り着くと、わたしはダイニングに顔を出さず、すぐさま自分の部屋のベッドに飛び込んだ。  そういえばデートに誘われちゃったなぁ。ネクタイを解きながら今更そんなことを思い返す。ミノル君ってひょっとしたら、なんて自意識過剰なことも考える。  そうしているうちにわたしは眠ってしまったらしく、気が付くと辺りは暗くなっていた。悪い夢でも見たのか全身が汗で濡れている。  時計を見れば夜七時を過ぎており、わたしは慌ててダイニングに向かった。  そこには当然ながらバケツが三つ。  わたしがやって来たことを音で察したのか、明りを点けると同時に『父』のバケツから不機嫌そうな声が響いた。 「千絵子、学校はどうした?」 「何となく早退した」 「悩みでもあるのか? あるなら言いなさい」 「いやいやいや、どう考えてもお父さん達が悩みの種でしょ」  呆れたように応じると、今度は『母』のバケツから声がした。 「そうよ千絵ちゃん。相談に乗るわよ」 「ねえねえ、話聞いてた?」 「あら嫌だ。反抗期かしら」  もはや突っ込みを入れるのも面倒臭い。 「それはそうと千絵子、晩飯はまだか?」  ボケた舅のようなことを父が言う。  わたしは辟易しながらも軽く頭を下げて返事をした。 「ごめん、今から準備する。あ、その前にポチの散歩に行ってくるね」  すると母がわたしを引き止めた。 「ポチは長いこと物音ひとつ立てていないわ。もう散歩はいらないんじゃないかしら。それよりも早くご飯を食べたいわ」 「ちょっとお母さん、物騒なこと言わないでくれる……」  ワンッ。 「ほら、聞いた? ポチが心配になって、わざわざ鳴き声をあげたよ」  その言葉で父と母は黙り込んだ。  わたしはそれを相槌と受け取り、『ポチ』と書かれたバケツを抱えて外に出た。  街灯の照らす道を、バケツを乗せた台車を押しながら歩く。  いつもと同じ散歩コースだけれど、辺りが暗いと知らない道に見える。その所為か、一歩進む度に不安が募っていった。  今日は早めに切り上げてしまおう。そう思った時、突然背後から声がした。 「何やってんだよ」  ピクリと肩を引き上げ、恐る恐る振り返る。するとそこにはミノル君がいた。 「や、やあ、ミノル君、今日は道端で良く会うね。ひょっとしてストーカー?」 「バカ。塾の帰りだよ。で、千絵は何してんの?」 「見ての通り犬の散歩」 「見ての通り犬の散歩とは思えん」 「良く見てみ、バケツに『ポチ』って書いてある」 「いや、書いてあるけども……」  ミノル君は釈然としない表情で首を傾げた。 「千絵、やっぱ最近のお前おかしいよ。今日だっていきなり早退するし、嫌なことでもあった?」 「ないって訳じゃないけど。昔に比べたらマシかな」 「話を聞かせてくれよ。俺さ、お前の力になりたいんだ」 「なんで?」 「それ、わざわざ聞いちゃう?」 「うん。聞いちゃう」  日頃は横柄な態度の彼が突然モジモジとしだす。 「あの、千絵のことが気になるっていうか、まあ、その、好き、なのかな。出来れば付き合って欲しい、みたいな?」  そんなミノル君の緊張が感染し、わたしもモジモジ。 「え? あ、うん、ありがと。凄い、嬉しい……」 「OKってこと?」 「それ、わざわざ聞いちゃう?」  微笑むと、ミノル君は小さくガッツポーズをした。 「じゃあさ! 今朝も言ったけど、週末に遊びに行こうぜ」  魅力的な言葉ではある。でも家族のことを思うと、そう安易に承諾できるものではない。わたしが世話をしなければ、みんな生きていけないのだ。 「ごめん。言ったと思うけど、家を空けられないんだよ」 「どうしてもダメか……」 「わたしの家の状況を見れば一発で納得できると思う」 「あれ? ひょっとして誘ってる?」  思い掛けない問い掛けに、わたしは戸惑った。 「ごめ、わたし誘ってた? あ、でも、別に良いか。これから晩御飯を作るんだけど、食べに来る?」 「マジで? 冗談で言ったんだけど!」  今後、交際をするならば隠し通せるものでもないだろう。わたしは照れながらも大きく頷き、ミノル君に台車を押すよう命じた。
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