砂糖と空気と小魚。

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 だから次に私たちが借りてきたのは人間が滅亡する直近の、2178年に殺された女性の人生だ。  その女性は特異性のない環境で生まれ、学校に行き、就職してストーカーの男に殺された。そのストーカーは幼なじみで、その女性のモニタリングしていた。そしてその女性の自宅PCにハッキングし、育児ロボットの育成記録や家庭内の監視カメラ等の画像等の全てのデータを保管していた。  そしてストーカーは30歳の誕生日に女性を刺殺した。だからその死までの克明な記録が残っている。時代的にもこのDNAの所有者たちと乖離はしていない。  さっそく生育状況が似ている者と似ていない者の2人で実験を開始したけれど、けれどもやはり上手くいかなかった。平均的には、より平板な人生を送るようになったのだ。 「何が駄目だったのでしょう。今回は芸術といった特異性はありませんでした」 「確かに、ストーカーの存在を除けば特異な部分は見当たらない。そして環境情報のインプットも同じ情報が与えられたはずだ」 「どうして同じ情報を与えても異なる結果が生まれるのでしょう」 「やはりそのファジーさがDNAに包含されているのだろうか。けれどもどことなく傾向が少し掴めた気がする」  全ての結果を数値化したデータを表示する。  その結果が示すところによれば、数十回の施行の中で、時間が経過するにつれて、選択肢の合理化が行われたということだ。選ばれる選択にランダム性が失われ、おそらくよりよい結果がでるように選択をしている。  そして可能性をしぼってみれば、インプットに対するアウトプットのスピーディさが学習されているのだと考えられた。同じDNAを複数回シミュレートすることによって組み上げられた合理性という価値は、その人間たる特異性を優位に上回るのかもしれない。 「異常があるようには思われません。もともと借りてきた人間もその人間のファジーさ、ゆらぎというものによってその行動を確定させた結果がアウトプットされるというだけではないでしょうか。そもそも借りてきた人間の環境は、その人間にとってたった一回の試行です。そしてその結果が収斂されていくのはただの学習の成果であり、借りてきた環境の基礎たるDNAも複数回試行すれば同様の結果が得られるのではないでしょうか」 「なるほど。イブの考えではもともとある程度の不確実性が存在はするけれども、それは規定されたDNAによってもたらされているだけ、ということなのだな。けれども肉体を有することでより不確実性を増しているとすれば、やはりその体を構築しなければ真の『人間』とはいえないと思う」  そのころ、アダムはイブとの考え方の違いというものを認識していた。もともとは同じプログラムをベースとし、同じ情報を得られているのに妙なことだと思われた。
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