第1章.兆し

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〜サウスダコタ州ブラックヒルズ 〜 サウスダコタ州とワイオミング州の州境に存在する山地で、山肌に刻まれた高さ 18 メートルに及ぶ4人の歴代アメリカ大統領(ジョージ・ワシントン、トーマス・ジェファーソン、セオドア・ルーズベルト、アブラハム・リンカーン)の顔の彫刻が有名である。 4cf9a934-a9d4-4a11-af01-6ad7550abc9b ここには紀元前7000年頃から、インディアンたちが散在した。 アリカラ族、シャイアン族、クロウ族、カイオワ族、ポーニー族が住み着き、その後スー族(ラコタ)が18世紀にミネソタから来て、他の部族を追い出した。 自然崇拝のスー族は、ブラックヒルズを偉大な精霊の宿る聖地として崇めた。 1868年に白人側は、『ブラックヒルズ一帯は永遠にスー族のものであり、白人の立ち入りは禁止する』との条約を確約した。  しかし、1874年にカスター将軍がブラックヒルズに金鉱床を発見し、ゴールド・ラッシュが巻き起こる。 以来、白人は条約を無視し、聖地ブラックヒルズを守るスー族と、激しく長い戦争が続いた。 双方に大勢の死者を出した結果、条約は、『ブラックヒルズは、太陽が光り輝き、草が生える間はスー族のもの』という、曖昧で抽象的なものに書き替えられた。 更にアメリカ政府は、これを都合良く解釈し、豪雪地帯であるブラックヒルズの冬は曇天で、『太陽は光り輝かず』、大地は深雪に覆われて『草は生えなくなる』と主張し、半世紀を超える法廷闘争を続けた。 1980年に米国最高裁判所は、条約違反を認め、スー族に土地価格1750万ドルと、103年間の利子分1億500万ドルの支払いを連邦政府側に求めた。 連邦政府はこれに応じる姿勢だが、スー族は断固拒否し、利子額は累積し続けている。  ブラックヒルズは、最高裁も認めた白人による不法占拠地なのである。 一月前。 その地に、再び白人の欲が突き立てられた。 採油や採鉱に始まり、次世代エネルギー開発を手掛ける、ダグラスコーポレーションである。 衰退を続けるアメリカ経済。 それを立て直すことを名目に、新たな金鉱脈を見つけ、大掛かりな採掘事業が開始されたのである。 自然が豊富で、多くの観光客が訪れる州という華やかな面がある一方、全米で最も経済的に貧しい地区とされ、その貧困を極めるインディアン居留地は、サウスダコタ州の大きな問題となっている。 そんな彼等に抗う力はなく、聖地は完全に破壊されたのである。 スー族は、戦争で死んだ亡骸を、敵味方関係なくその聖地に埋葬した。 採掘作業で、大量の人骨が発見されていた事実を、社長のバズミール・ダグラスは、最近になって知らされた。 工事の中止を懸念した業者が、闇に葬るところを、マスコミが嗅ぎつけたのである。 バズミールは、その業者を切り捨て、即刻会見を開いて、ブラックヒルズの先住民と国民に謝罪し、インディアン居留地の環境整備を約束した。 しかし、時すでに遅し。 1人娘のルナは20歳の大学生である。 最初はただの風邪程度に軽く見ていた。 しかし容体は2日で急変し、理解不能な言葉や汚い言葉を発し、看護師や医者をも襲い、鋭く伸びた爪で傷付けた。 「バズミール、本当にすまない。まさか墜落するとは…今代わりの神父を探しているのだが…」 「スミス大統領、あなたももう関わらない方がいい。後は自分で何とかしてみるよ」 携帯を切った。 「旦那様、お嬢様が!」 家政婦のリンダが慌てて入って来た。 2階の部屋へ急ぐバズミール。 「ルナ!」 「パパ…」 正気に戻ったルナ。 たまに正気を取り戻し、豹変した記憶はない。 「ルナ…なのか?」 「何を言ってるの?私よ。パパ、腕と足が痛いわ。顔も…私…どうなってるの?」 手錠を手足につけ、ベッドに縛り付けてある。 手首と足首には、リンダが包帯を巻いた。 しかし、豹変した時の暴れ方は激しく、血が滲んでいる。 「ルナ、ごめんよ…パパのせいでこんなに…」 膝をつき、自らの爪で傷付けた、ルナの顔にそっと手を添える。 「必ず治してあげるからね。どんなことをしてでも必ず…」 涙が溢れ、ベッドを濡らす。 「パパ、私を殺して。もうこんなの耐えられない。お願い、私を…殺して❗️」 「バカなことを言うな!諦めちゃいけない」 妻を病気で亡くし、家族はルナ1人である。 薬で楽に…と、考えもしたができなかった。 「必ず、必ずパパが治してあげる」 「もう嫌なの!お願い…殺して。私を殺して…殺し…て…殺…せ。お前の手で…殺せ…」 声が…変わった。 「旦那様、離れて❗️」 異変に気付いたリンダ。 バズミールの体に手を回し、引き離す。 「ルナ❗️」 「ざぁ…ごろぜ❗️ヴァッハッハ。ごろぜ❗️」 それはもう、完全にルナではない。 目は赤く血走り、不気味に微笑む。 「ルナ!」 「ダメです、旦那様!」 リンダが目一杯の力で引き止める。 「ルナ…」 変わり果てた娘を見つめながら、床に崩れる様に座り込むバズミール。 すかさずリンダが、ルナの体に乗る。 暴れるルナであった。 「ヤメロ、このメスブタ❗️」 抗う体を力で押さえつけ、ポケットから出したケースから常備している注射器を取り出す。 「ヤメロ、ハナセ❗️」 抗い、折れそうな腕を片手で掴んで押さえ、強力な睡眠剤を投与した。 「クソッ!ゴノメスブメ❗️」 「ルナ様、ごめんなさい…」 涙を流しながらも、押さえつける。 やがて力が弱まり、眠りについた。 ゆっくりベッドから下りて、毛布をかける。 バズミールの携帯が鳴った。 力なく条件反射で電話に出る。 無言で話を聞く。 「そうか…また1人…よろしく頼む」 秘書から、訃報の連絡であった。 呆然と床に座ったまま、眠る娘を見つめる。 ブラックヒルズの採鉱に携わった者が、また1人自殺した。
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