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カフェを出ると、予想外の夜の冷たさが待っていた。もう夏は目の前だというのに。
空模様のままならなさに苛立ちを覚えるようになったのは、いつからだろうか。この頃は何かにつけて、寒いとか暑いとか疲れたとか、無感動な所感ばかりを口にしている気がする。
ひんやりとした夜風が首筋を撫でて、私はぶるりと体を震わせた。
「みししっぴ!」
「え? ミシシッピ? 川?」
突然の私の声に、彼が目を丸くする。
「……今の、くしゃみ」
「特徴的なくしゃみだな」
「いやぁ、お恥ずかしい。遺伝みたいで」
「くしゃみって遺伝するんだ」
照れ隠しに鼻をすすっていると、ふわりとした感触が体を覆った。彼が、着ていたカーディガンを私の肩に掛けてくれたのだ。
「貸すよ。僕の家、すぐそこだし。来週、返してくれればいいから」
心の奥に穏やかな火が灯る。じんわりとした幸福感が体を包んでいく。
「……ありがとう」
「じゃあ」
「うん、また来週」
私たちは踵を返し、家路につく。
歩きながら、ふと、こうやって同じ様な七泊八日をずっと繰り返していくのかなと思った。
所詮、全部借り物なんだ。名作の映画も、優しい言葉も……この体温も。
不意に感じたトキメキだって、目まぐるしい日常の波に乗って、知らぬ間に自動返却されてしまう。そしてそれを、当たり前のものとして受け入れてしまう自分がいる。
いつから、こんなに臆病になってしまったのだろう。心が求めるものから目を背ける人生なんて、ただ生きているだけじゃないか。
「ねえ!」
私は彼の背中に向けて言った。彼がキョトンとした顔で振り返る。
「君の家に遊びに行っていいかな? たまには映画、一緒に観ない?」
私は言った。
「今から?」
「うん、今から」
「かまわないけど……。急にどうしたの?」
「だって」と私は言った。
「一週間も経ったら、消えちゃうじゃない」
せっかく君が貸してくれた、この体温が……とまでは流石に言えなかった。
代わりに私は彼の腕に両手で抱きついて、ぬくもりの正体をゲットする。心をキツく縛っていたリボンが解けたように、軽やかな気持ちだ。
私たちはどちらとも無く笑い合い、歩き出す。夏を受け入れない不器用な夜空の下。目減りするばかりの有限な時間の中で。
自由や永遠。そんな使い古された言葉にほんの一時でも縋って、返すあてのない幸せに手を伸ばしてみるのも悪くないと思う。
いつもと違う七泊八日が始まる。
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