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優秀な保育士
そこで、サンクスリット語と日本語の自動翻訳アプリを開発して傍に置いたがそこからまた一週間何事もなく経過してしまった。
まぁ、研究とは得てして不毛との戦いなのだが毎日赤ん坊と向き合うだけの生活が続くと自分が研究員なのか保育士なのかわからなくなる瞬間がある。
とは言え、よくよく観察すると赤ん坊も不思議な存在だ。
例えば言語である。
赤ん坊はその国の言葉を両親から教わる。
反復による習得である。
しかし、彼らは何故それが言語である事を理解できるのか?
ママが自分をママという。
これが、ママと言った人の固有名詞である事を知る事は論理的に不可能に思える。
ママが言った他の言語がママ本人ではなく、ママのみがママであるとの認識はどこから来るのか?
例えば「あれは何?」という質問がある。
これは、アレというものが位置を指していると言う事と、何?が疑問を示してる事を理解してようやく発する事ができる。
アレと言ったもの全てがアレという名前である可能性をどこで修正したのか?
更に何か?という疑問系が問いただす意味を持つ事を赤児に教えたのは誰か?
勿論、キッカケを作る事は出来ても言語という概念すら知らない状態でたまたま聴こえて来たものが何らかの意味をなす事を理解するのは奇跡の技である。
けだし簡単に説明する方法があるにはある。
つまりテレパシーだ。
超感応能力が赤ん坊の頃に存在していればそれらの謎は解ける。
そして、言語と引き換えにそれらの能力は眠りにつくとしたらどうだろう。
荒唐無稽なと思われるかも知れないが、人類が文字を発明し書き記すという文化が起こるまではとてつもない記憶力を持っていたと言われている。
つまり文字で書き記す事ができる様になった事で膨大な記憶力は要らなくなったわけである。
進歩と退化は常に同時に起こってるのかも知れない。
この赤ん坊がふしぎな言語を話すのは母親が言語ではないコンタクト方法を取ろうとした事で本来眠って居た筈の何かを呼び覚ましたと考えられないだろうか?
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