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「私は青、好きだよ!」
小さな膝を抱えて独り。遊園地のベンチで蹲っていた私の頭上から、そんな声が降ってくる。
「……ぇ?」
泣きじゃくって腫れた喉が潤んだ感嘆を吐いた。驚きと困惑をごちゃまぜに。
声の主、当時5歳の夏海の笑顔がそこにはあった。
茹だるような夏の暑い日差しが満ちていた日。幼稚園の遠足で遊園地に来た、楽しくなるはずだったある日。
行きのバスの中で男の子たちにからかわれた。私の名前「あおい」、男の子たちはみな一様に「あお」が入っていることを野次ってきたのだ。
「あお」は男の子の色だと。私は女の子だからそんなのは変だと。
今にして思えばなんてくだらないのだろう。でも当時の私はそれがすごく辛かった。
名を恨み、性別を呪い、「あお」を憎み、そんな自分自身を嫌った。
いっぱいいっぱいの気持ちは楽しいはずの遊園地を灰色にした。私の心を暗く蹲らせるのには十分すぎたんだ。
「私、夏海って言うの!あの男の子たち、懲らしめてきた!」
「…な、夏海ちゃん?」
初めて話す子だった。
彼女はニカッと笑って後方を指さす。その先にはわんわんと泣き喚く男の子たちと宥める幼稚園の先生。
よく見れば夏海と名乗るその子の白い腕には、引っ掻き傷がいくつも走っていた。あの子たちと喧嘩したのが窺える。
「私ね、名前に夏が入るでしょ?」
「……う、うん?…うん」
状況に困惑しながらも、彼女の嬉々とした言葉に耳を傾ける。
「夏って名前大好き!夏ってたくさん青色があるからそれも好き!海も青、空も青、プールだって青!」
「……青」
空を見上げたり、海のように両手を広げたり、忙しなく動く。目に映る青を次々と指さしていく彼女を見て、本当に青が好きなんだなと思った。
「それにね、この木も青色!」
「…木?」
一頻り青を褒めた後、続けてベンチの隣に生える木を指さしてそう言った。
「ママがね、夏は木々が青々としているって言ってたの!」
「……」
枝を広げた新緑を見つめる。当時の私は彼女の言っている意味がわからなかった。
「…木は緑だよ?」
「え、うーん…でもママがそう言ってたし、きっと木も青色なんだよ!」
サァッと夏風がそんな木の葉を揺らす。何倍も大きいその木を見上げた私には、やっぱりそれが緑にしか見えなかった。
「…ねぇ、葵ちゃん!」
「…?」
「葵ちゃんは夏、嫌い?」
通り過ぎた夏風に揺れるブルーのスカート。汗で首元に貼りついた彼女の髪。夏日に映える笑顔。
私の瞳にはそれが全て輝いて見えた。
青い木の下、彼女が差し伸べてくれた傷だらけの手を取って、私は立ち上がる。
灰色だった遊園地が青色に変わる感覚。喧騒の中で私の涙はとっくに枯れていた。
これが…私と夏海のはじめましてだった。
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