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「なに見てんの?」
一月十日の朝。隣のデスクでは珍しく早い益坂が携帯の動画を開いてにやけていた。
「ん?お前か。見ろよ、この赤ん坊!可愛いのに超賢いんだぜ」
そういって画面を見せられた。その画面には、一歳ほどの赤ん坊がピアノを軽快に奏でていた。
「確かにすごいけど…この子何歳?」
「一歳と二ヶ月でループだ」
「じゃあ誕生日には十歳ってわけだ。」
「まあな。ってか、そうだった。…そう考えると変な感じだな…」
私が赤ん坊の精神年齢は十歳だと思い出させてやると、未だに精神年齢の凸凹に実感のわかないらいらしい益坂は静かに携帯の電源を落とす。
その携帯の下には無数の書類が乱雑に散らばっていて、もう今から覚えるのか、と工学の書類を睨んだ。
記憶管理局では暗記に優れた人物達が勤めているが、暗記の種類にも人それぞれ違いがある。私の場合は至極簡単にいえば考古学を覚えるのが仕事だ。
「別に益坂、工学得意じゃないでしょ。考古学やりたいって言ってなかった?」
「お前毎年それ言うよな。代わってくれよ。」
「ん、まあ…」
今日は珍しく肯定してやる。すると益坂は優しく笑い、「はは、ありがとよ。だがもう俺は八年のお陰で工学になれちまった。」と資料を手に取った。
長い睫、切れた目、筋肉のある腕、優しい表情。そんな彼に私はどうしようもなく心臓が高鳴る。ドキドキの理由?そんなの、好きだからに決まってるじゃないか。
もちろん、この思いは伝えるわけない。
伝えるには、もう心は年を取りすぎたのだから。
私はもう集中して暗記を始めた益坂はそっとしておいて、静かに隣のデスクでノートを開く。
彼がプリントにメモしたものを読み耽る横で、私はノートに纏めたものを熟読する。
私達の仕事は本当に単純で、紙とペンが十分揃った広い会社に来る。
ワタヌキから六月頃までは覚えたものをひたすらになにかに書き記し、人によるけど、私の場合はノートを、それを利用するお偉いさん方に渡し、十一月と十二月で帰ってきたノートに新しい情報を加え、一月頃には次のワタヌキのために暗記を始める。
毎年毎年、その繰り返し。
世の人間どもは新しい娯楽がないだのが社会問題になっているが、私達にはそんな余裕もない。大好きな考古学の新しい観点…新しい情報も今やもう刺激ですらなく、ただ言葉の羅列だけに見えてくるのだ。
そう、今や私の刺激は…
「あーくそ、ここ去年も躓いてたっけ…」
時折溢す、益坂の不満げな声。たまにそっちを見て、眉間に皺のよったイケメンを眺める。その度にその顔に寿命が縮まる気がするが、もう寿命という概念もどうなったかすらわかっていない。
確かなのは、彼を見れば、考古学だって昔のように何故か一気に楽しくなってしまうことくらいだ。
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