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エレベーターホールで立ち尽くす瑛里華の腕を掴み自分の方へ向かせると、彼女は泣きそうな顔を見られまいとそっぽを向く。
あぁ、なんでこうなるんだ……あの頃の懐かしい気持ちが再燃し始めた。彼女の本当の顔が知りたかった……ただそれだけだったはずなのに、今は何故かすごく胸がモヤモヤする。
譲さんと結婚するから? いつまでも心を開いてくれないから? そのどちらでもない。だってきっと理由は俺の中にあるんだ。
「なぁ……あの時のキス、返してくれない?」
「それってどういう意味……?」
「こういう意味だよ」
俺は瑛里華の唇を塞いだ。長いようで短いキス。でもあの日よりは確実に深いキスだった。
瑛里華は呆然としたまま、唇にそっと触れる。
「あぁ……こういう感じだったんだ……」
それから頬を染め、下を向いた。その仕草を愛おしく感じて息が出来ない。
「どういう意味?」
瑛里華の髪に触れ、離れて行かないように指に絡める。
「先生と島崎くんのキスを見てからずっと気になってた……キスってどんな感じなのかなって……だって先生、すごく気持ち良さそうな顔してたから……でもやっぱりあの日と同じね。煙草の匂いがした……。まだ吸ってるの? 健康には良くないって言ったじゃない」
あの日のことが脳裏に蘇る。柔らかな唇の感触、甘い匂い……胸が締めつけられ、呼吸すら忘れてしまいそうだった。
考えてみれば、あの瞬間に世界が変わってしまったのかもしれない。いつまで経っても心の中から瑛里華の姿が消えることはなかったから。
「……あぁ、だからあの時持って行ったのか」
そしてあれと一緒に、瑛里華はきっと俺の心を持ち出したんだ。
チンという音とともにタイミング良くエレベーターが到着する。瑛里華は俺の指をすり抜け、エレベーターの方に歩き出した。
「永島さん! あれ、返してくれないかな?」
そう言うなり、エレベーターの扉が閉まる。最後に見えたのは、あの日と同じ、彼女の小さくなった背中だけだった。
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