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「引力、か」  自分の右手を見つめながら僕はおそらく人生で初めての呟きを漏らした。  こんなことを呟く機会も滅多にないだろう。そう思うともう一度だけ呟いておきたくなって「引力、か」と言ってみたが今度はなかなかわざとらしかった。  右手から視線を離してぐるりと見回す。  僕の行きつけのレンタルビデオ店から自宅までの帰り道。  行きつけと言うからにはもちろん二、三度訪れた程度ではないのだが「たまにはこっちの道から帰ってみるか」と吸い込まれるように見知らぬ脇道に入ると、その光景は別世界のようだった。  この辺りは近くにコンビニもないような住宅地なので見渡す限り家ばかりなのだが、その風景もどこか新鮮だ。  いつも見ているものと同じでも、見る角度によってまるで違うものになる。井の中の蛙どころじゃない。僕は井の中すらろくに知らなかったんだ。 「井の中の、三丁目の蛙」  これまた人生で初めての呟きを漏らしてしまった。  どうして三丁目なのかといえば僕の家が三丁目にあり、今この道はおそらく二丁目であるというからに過ぎない。  そんなことより、ものの数分で人生初の経験を二度も味わってしまったことのほうが問題だ。これほど急激に僕の人生に深みが増すなんて。どうしよう、大人っぽくなってしまう。 「ん?」  踏み慣れない道の先に人影が見えた。  まだ遠くにいるので詳細は確認できないが、どうやら女の子のようだ。僕と同じ高校生くらいに見える。 「やめて」  彼女の声が聞こえた。宙に手をぶんぶんと振っている。  なんだ、と近づいてみると、彼女の頭上に小さい鳥が飛び回っていた。スズメだ。    スズメに襲われるとかあるんだ。  そんなことを思ったが、実際目の前にスズメに襲われている人間がいるからには助けなければならない。しかもそれが女の子なら、男としては尚更だ。  急いで今にもスズメにつつかれようとしている女の子に駆け寄る。なんだか見覚えがあるような気がするが今はそれどころじゃない。  僕は、右手をスズメに向けた。
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