背徳と闇の帷ー01

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ジュウジの喘ぎ声は、普段の姿からは想像出来ないものだ。 ギシ、ギシ、と一定のリズムでベッドが軋んでいる。 聞こえちゃうでしょ、とミドリが囁いたのだろう。甲高い呻きの後、その声は小さくなった。 アキノはその兄弟の部屋の扉に寄り掛かる。 情事の様子を聴きながら、目を閉じ情景を妄想していた。 官能小説家として、その兄弟の様子はインスピレーションを掻き立てられる。 勿論、ユウリとの交いが一番だ。 だが、色んな場面を吸収する事は、確実に小説の解像度を上げた。 なるべく静かに、と荒くなる呼吸を抑えつつ、聴き入る。 そんなアキノを一階から見て、悪趣味な職業だと、ミオは改めて思った。   背徳と闇の帷 2.燻んだ花   ミオは黒いヒールを履き、とんとんとつま先を正す。 玄関の扉を開けると、秋に映える金色が立っていた。 その赤はじとりと男を見る。 しかし水宝玉の眼は、真っ直ぐに燻水を射抜いていた。 「ミオ!!!帰って来てくれ!!!」 「嫌です」 そうきっぱり言いミオは通り過ぎようとする。男は節張った手でその手首を掴んだ。 「ミオ!!!!」 「だから嫌って言ってるでしょ!!」 ミオは力強くその手を払い、足早に駐車場へ向かう。 「ミオ!」 「しつこい!!轢くぞ!!」 あのミオの男の声を聞き、たまたまリビングに居たユウリは驚く。 「ああ、サユウさんまた来たんだ」 ユウリの隣に座り、慣れた様子でカルアミルクを呑みながら聞いていたアキノはそう呟いた。 車ドアを開き閉じるバタンという音の後、軽自動車にしては豪快なエンジン音を響かせミオの車は去っていく。 余りの取り付く島の無さにユウリは哀れに思うが、いつもの事だよとアキノはフォローした。 「何故だ!!何故ミオは帰って来てくれない!!!!」 金色は独り言で怒鳴る。そしてそのまま流れる様にユウリの向かいに座った。 アキノが麦茶を出すと、サユウは一気に煽る。 「君もだアキノ!!いい加減屋敷に帰ってこい!!!!」 「いやそれが嫌だからこのシェアハウスに居るんだけど」 状況が飲み込めない、という顔のユウリに、サユウはやっと気付いた。 「君は…」 「紹介する。彼は帝国院ユウリ。二週間前から此処に住んでる。こっちは遊鳥都サユウ。俺達兄弟の従兄弟でミオの元カレ」 「僕は元カレじゃない」 あんな態度とられてまだ脈が有ると思っているなんて大物過ぎないか、とユウリは言いたかったが、初対面でそれは失礼過ぎると思って口を閉じて会釈だけした。 「帝国院って…名家じゃないか。その家系の子がなんでこの灰色荘に…?」 「まあ、色々有りまして」 ユウリはその経緯を隠しているわけではないが、説明が面倒だったのでその一言に纏めた。 遊鳥都家は、茶道と花道の名家で、有島家はその分家だ。 だから、ミオとアキノはその屋敷に住んでいた。 幼馴染の従兄弟であったミオとサユウは本当に仲が良く、なんなら“良過ぎた”。 その関係は中学校まで続いたが、ミオとサユウは高校で別れた。 サユウはそれが意外だったらしかったが、ミオをよく知るアキノからすればそれは自然な事だと思う。 ミオは縛られなかったのだ。家系にも、風潮にも、その性別にも。 サユウは家に従い高校を選んだ。 ミオは私服でスカートが履けるかどうかで高校を選んだ。 ただそれだけの事だ。 しかしサユウはそれに納得いってなかった。 まあ、普通に考えればそうだろう。ミオは成績も良く、サユウが進んだ高等学校にも行ける偏差値だったから。 サユウは、ずっとミオを愛していた。 それは大人になっても変わらない。だから、ミオもずっと愛してくれている、と頑固に思い込み続けているのだ。 「まあ、それに関しては間違ってない」 サユウに聞こえないくらいの小声で、アキノはユウリに呟いた。 ユウリは頭が回るので、それで大体を察する。 「何故ミオは僕が来る時に限って出掛けるのだ」 サユウは心外とばかり掴んだコップを見つめた。 「まあ、仕事だからね」 アキノの一言でサユウはきょとんとする。 「ミオは此処の大家だろう」 え、と今度はアキノがきょとんとした。 「あ、サユウさん、ミオがモデルやってるの知らなかった?」 え、とサユウとユウリは声を揃えた。その様子に、まだユウリにも説明していなかったのを思い出す。 「『夕刻華』のモデルをたまにしてるんだけど」 ゆうこくか?と声を揃えて言われたので、アキノはリビングにある本棚から雑誌を何冊か持ってくる。 「クロミさんとハクミさんのファッションブランド。言ってなかったっけ?」 ユウリは直ぐに、あぁあの二人の、と理解する。サユウはまだ首を傾げるので、此処に住んでる人達、と説明した。 目の前に置いた中で、サユウはミオが表紙の雑誌を取った。 そのグラビアを凝視している。眉間に皺を寄せページを捲りながら、綺麗だ、と呟いている事に本人は気付いているだろうか。 「というか、黒美…?」 サユウは首を傾げた。 「この黒い方のデザイナー、結川クロミかい!?」 素っ頓狂な声で訊くのでそうだと答えると、水宝玉の眼を丸くする。 「僕とミオが中学で一緒だった!そうか…あの結川がファッションデザイナーになるなんて…」 感慨深そうに頷くので、アキノは何故か小さく笑ってしまった。 「スタジオ行ってみる?」 サユウがあまりにも熱心にページを捲るのでアキノは軽い気持ちで誘う。 え、とユウリまで声を揃えた。 「ミオが忘れ物したからどうせ行かなきゃだったから」 アキノは雑誌と一緒に棚から持って来ていたポーチを手に取る。それはミオのメイク道具入れだった。 「い…いいんだろうか…」 と言いつつそわそわと指遊びをしながら水宝玉の眼を泳がせる。行きたいという意思がだだ漏れだった。 「いいじゃんいいじゃん、行こうぜ」 ユウリも無責任に乗ってくる。じゃあ行こう!!とサユウも決心がついた様に立ち上がった。 その花屋には、向日葵が売られている。 それは普通の事の様にも思えるが、その店は冬にも置いていた。 一人店長のミドリは向日葵が好きだった。 何故なら、幼い頃に弟がくれた花だからである。 兄さんにはこの花が似合うから、と差し出してくれた花。 自分の背丈より高い向日葵を、一生懸命取ってきてくれた。 ミドリは、その時の事を胸に留めていたから、今まで生きてこられた。 どんな酷い目にあっても、 その時の向日葵とジュウジの笑顔に、救われていた。 「いらっしゃいませ」 ミドリは金髪水眼の男に声を掛けた。 「何か入り用ですか?…って、アキノとユウリの友達?」 サユウの後ろに居た赤とアメジストに気がつく。 「友達っていうか、従兄弟」 アキノがそう言うと、ミドリは、ああ、と合点がいった。 「貴方がサユウさんか。僕はミドリ。灰色荘でミオさんにお世話になってます」 そう自己紹介すると、サユウは、え、と声を漏らす。 「ああ、女性だと思った?だったら灰色荘に入居出来ないもんね」 豊満な胸を見れば誰だって女性だと思うから、そんな反応には慣れていた。しかしサユウの理解しきれていない顔が面白くて、ミドリは小さく笑う。 「そんな話はさて置き、どんな花をお探しですか?」 サユウは瞬きをしてから、ええと、と買い物の事に頭を戻した。 「桔梗の花束を作ってほしい」 桔梗…ね。とミドリは並んでいる切花に寄る。 「プロポーズですか?」 「いや、相手が好きな花なんです」 素敵ですね、とミドリは笑った。 慣れた手付きで蒼紫の花束を作り、サユウに差し出す。サユウはありがとう、と受け取り、代金を払った。 ミドリの挨拶を背に、三人は店を出る。それにすれ違う形で、黒い三つ編みの少女が花屋に入って行った。 「あ、またか」 その思い詰めた表情を見て、アキノは小さく呟く。 「また?」 サユウが訊くと、赤は頷いた。 「あの子ミドリに告白するね。なんかそういう子ちょいちょい居るけど、振られちゃうんだから可哀想だよ」 「ミドリさん、弟とラブラブだからね」 ユウリも補足する。サユウは複雑な表情で相槌を打つ事しか出来なかった。 そのスタジオは、灰色荘から私鉄で二駅の住宅街に在った。 一階はカフェが入っていて、2階が丸々夕刻華の事務所になっている。 スタジオの扉を開ける前から、カメラのシャッター音が聞こえてきた。 「お疲れ様でーす」 アキノがドアを開けると、中に居た人間達は一斉にこちらを見る。 そういうコンセプトのブランドだから当たり前なのだが、女性の様な雰囲気を持つ人物が多かった。 男性の風格が有るのは、レフ板を持っている男だけだ。 「げ、サユウ」 黒を基調にした白い縁のドレスを着てカメラに撮られているミオはそう顔を険しくした。当然それも収められる。 燻水は苦虫を噛み砕いた顔だが、スタジオに居た五人はアキノ達を歓迎した。 アキノがメイクポーチを渡すと、ミオは礼を言う。 その場に居た全員が少し微妙な空気になっていた時、また扉が開いた。 「飲み物買ってきましたー…って、あれ」 入って来たオレンジ色は、そのアメジストの眼を丸くする。 「…飲み物足りるかな…」 そのサズマの呟きに、場は和んだ。 撮影は一旦中止になり、八人は休憩にとスタジオの隣に在る部屋で寛ぐ。 「じゃあ自己紹介になるのかな?」 小さな春はそう提案した。 「そうだね。そこのフランス人形は知らない人だらけだろうから」 クロミがそう茶化し、水宝玉の眼は険しい目を向ける。 「俺は結川クロミ。アーティスト名は黒美だ。ミオとサユウ…そこのお人形さんな。とは中学で一緒だった。まさかまた会えるとは思わなかったよ」 黒がそう言うと、まあそれは同感だ、とサユウは頷く。 「ハクミとは双子の兄弟で、一応俺が弟らしい。でも似てないだろ?幼少期に親の離婚で離れてから高校まで会ってなかったからな。環境が違えば双子だって変化が有るっていう良い例だ。んで今はハクミと二人でこの『夕刻華』をやっている」 クロミはそこで自己紹介をやめた。そう、と次に言葉を発したのは白だ。 「俺は佐伯ハクミ。クロミと苗字が違うのは、クロミが言った通り親の離婚の所為だ。夕刻華では白美で通してる。ミオとは高校からの仲で、今は兄弟で良くしてもらっているよ」 ハクミは自分の白髪で出来た三つ編みを触った。次は紫のポニーテイルを揺らし、春が喋った。 「僕は青山コハル。職業はカメラマンだよ。と言っても、ほぼ夕刻華専属になってるけどね。あ、依頼が有ればいつでもどうぞ。以前は灰色荘に住んでいたから、その繋がりで仕事をさせて貰ってるね。あ。で、こっちはカレシのキリオさん」 コハルに紹介され、ガタイの良いその男は照れた笑みを浮かべる。 「富地キリオです。普段はジムのインストラクターをしているけど、たまにこうしてコハルさんの手伝いをしています」 キリオとコハルはちらちらと目配せをしていた。 「富地の方か」 この辺りの名家に詳しいサユウは、直ぐに合点がいったようだ。 「俺は帝国院サズマ!ユウリにーちゃんの一つ下で、立派なスタイリストになるために夕刻華で修行中です!あ、これ内緒です!」 サズマは口に人差し指を付けてウィンクした。 「俺は帝国院ユウリ。アキノの彼氏だ。今は灰色荘でのんびりやってる」 アキノはユウリを小突いてから話を拾う。 「一応言うか…。俺は有島アキノ。まあ説明要らないよね?ちょっとした小説家やってます」 「一応私も。有島ミオです。灰色荘の大家をやってます。あとこうして夕刻華のモデルもたまにやらせていただいてます」 そうして全ての眼がサユウを向いた。 「…遊鳥都サユウだ。職業は小説家、花道家。ミオとアキノは従兄弟になる。結川とは中学も一緒で…その…そのくらいだ」 サユウは目を泳がせる。しかし全員、人物像を把握した。 撮影を再開する為にミオが着替えている間、アキノはベランダに出た。 先客の春は柵に寄りかかりながら、既に煙草を咥えている。アキノもその隣に立ち、メタリックブルーの機械を取り出した。 「電子に変えたんだ」 コハルに言われアキノは頷く。 「ユウリが部屋に入り浸るから。それに灰が出ないのが思ったより楽で」 「うん。その方が良いと思うよ」 そうは言うがコハルは甘い香りの毒煙を吐いた。アキノも青い機械に専用の煙草を挿す。 ふう、と息を吐いてもコハルの様な煙は出なかった。 外の風が少し冷たい。 「どうして煙草って無くならないんだろうね」 暇潰しの様にコハルはぽつりと言った。 その様に問う時は自分の意見を言いたい時だと知っているので、コハルさんはどう思うん?と問い返す。 「人生の逃げ道なんだろうね。非行とまでは言わない、世の中への抗い。今時煙草を吸う人間なんて、そんなもんじゃない?」 君は未成年だしさ。と春は続けた。 「そうなの…かな。俺は最初ミオの真似だったから、そんなつもりは無かったけど」 今じゃこうして手放せなくなっている。明確な理由など、この行為には無意味な気がした。 「止める気は無いの?」 「うーん…止めた方がいいんだろうけどね…コハルさんは?」 コハルは笑う。 「止めてやるもんか。全部世間への反旗だもの。煙草も酒も女装も男色も、この仕事も」 その笑みは自分への嘲笑に見えた。 普段優しいコハルが見せる心の牙は、鋭い。 この甘い香りの銘柄は何だっただろうか。 「で、最近どう?」 ユウリとの事なのは察せた。 「落ち着いてる。灰色荘に来てからユウリは泣かなくなった」 その愛しい人が談笑しているのが背中で聞こえる。 「なら良かった。でも、油断はしないでね。ああいうのっていつぶり返すかわからないから」 コハルのアドバイスにアキノは頷いた。 「コハルさんはどうですか?」 「ん。僕も変わらないよ」 「ならね。平穏が一番ですから」 「そうだね」 青紫のポニーテールが風に遊ばれる。秋に揺れる春の横顔は、未成年にも熟年にも見えた。 低めの身長をヒールで底上げしているので、本当に男なのかも怪しく感じる。 仕事着の今日はシャツにスキニーパンツという、男装だというのに。 ただその肩やふくらはぎのラインは、骨張って硬く思えた。 「あ、海の事、本当にありがとうございます」 コハルは蒼眼を赤へ寄越す。 「確かにコハルさんが言うように、海は洗い流してくれました」 春は、そう、と頷いた。 決意を打ち明けたあの日。 海に行ったのはコハルの助言からだった。 海は何でも包み込んでくれる。 その助言は、正しかった。 「僕もね、よく海に行ったんだ」 そこで言葉を切る。 腰まで浸かった時、キリオに抱き締め連れ戻された事も有ったな、とコハルは思い返した。 その思い出は誰にも言った事は無い。 ガラス戸の向こうから悲鳴が聞こえる。 アキノが振り向くと、長身のクロミに抑えつけられハクミにメジャーを当てられるサユウが見えた。 「あ、洗礼行事だ」 コハルはクツクツと笑う。 大丈夫だから!ちょっとだけだから!とがっちりホールドするクロミに、サユウはパニックを起こし暴れていた。 その身体をハクミは測り、彼の読み上げる数値をサズマが書き取っている。 それはこのスタジオに足を踏み入れた人間全てが経験する事だった。 ユウリとキリオは自分達の時を思い出して苦笑いをしている。 測り終え開放されたサユウは椅子にぐったりと座り込んだ。 採寸を計られ解放されたサユウはぜえはあと息をしながら椅子に座る。そんな金を他所にファッションデザイナー達は既にデザイン会議を開いていた。 「何で急に計るんだろうな。一言ことわればいいのに」 ユウリのツッコミは確かにそうなのである。しかし何となく皆それを言い出せなかった。 それを横に置いて撮影は続く。 パシャパシャというシャッター音とコハルの掛け声の中、ミオはくるくるとポーズを変えていた。 その慣れたモデルの仕草を、サユウはずっと見ている。 ミオはその視線を無視し、撮影は問題無く進んだ。 「ちょっとサユウ」 クロミの低い声にサユウはビクッと跳ねる。何だい?と問う声はトラウマを感じた。 「さっき撮った写真、見てくれよ。お前の選美眼を参考にするから」 「う、うん。任せてくれ」 美しいものが好きなサユウは、ノートパソコンに並べられた写真を選別する。その手際の良さに夕刻華の二人は感心した。 次々と現れるミオの写真を見て、サユウは内心見惚れる。 その姿は、カメラ越しの見た事の無い表情だった。 「やっぱりミオは美しいな…」 そんな本心の呟きは意外と大きな声で、白と黒の双子だけでなく、ミオの耳にも届く。 それを聞いて、ミオの顔は少し翳った。 春はそれを見て、笑顔笑顔、と嗜める。ミオは一つ咳払いをして、またモデルの顔に戻った。 日の光がベランダから入る。 その光が橙色になり、今の時刻を知った。 「じゃあ今日はこの辺で」 ハクミの白い手がぱんと鳴る。お疲れ様です、と全員で言った。 片付けの間、すぐ戻るからとサユウは部屋を出ていく。片付け手伝えよ、とツッコんだのはクロミだった。 こういう時に、力の有るキリオは有難い。 いつもコハルのアシスタントに居るから大体の作業も任せられた。 「あの二人も不思議だよな」 ユウリはこそ、とアキノに言う。 「キリオさん、全然“それ”っぽくないのに」 ユウリが言える立場じゃ無い、とアキノも声を潜めて言った。 「ゴスロリ姿のコハルさんに一目惚れしたらしいよ。なかなかの趣味だよね」 「へえ、そりゃなかなかの好きものだな」 此処に居る全ての人間が言える義理では無いのも事実だが。 片付けが終わり休憩の流れになった時、金は帰って来た。 手にはミドリの花屋で買った花束を持っている。 「ミオ、お疲れ様」 サユウは燻水に桔梗の花束を差し出した。ミオは赤眼を丸くしたが、それを受け取った。 僕達も疲れたんだけど。とコハルが言うとキリオがまあまあと宥める。 「さあ、一緒に帰ろ 「絆されてもそれだけはしないわよ」 キッパリと断られても、水宝玉の眼は燻水だけを見つめていた。 「なんで、そんなに拒むんだ」 ミオが黙り俯くと、白が言う。 「これを機に話し合いなよ」 ミオは赤眼を泳がせ、溜息を吐いた。 「…私は、愛される資格がないのよ」 え、とサユウは言葉を漏らす。 「サユウは遊鳥都家の為にちゃんとした人と結婚しなきゃいけないの。私みたいな低層と会話する事も許されないの」 サユウはてい…そう…?とショックを受けた顔になる。 「ミオは、低層じゃないよ」 「違うわ。私は分家で、貴方は本家。それ以前に、私はサユウと子をもうける事すら出来ない」 皆まで言わせないで、とミオは視線を逸らす。 「君は僕を愛していないのかい?」 「ううん、愛してる」 「相思相愛なら、それでいいだろう?」 「だから!!!!」 ミオは珍しく大声をあげた。それに皆驚いていると、ミオはぼろりと泪を流す。 「私は貴方を愛してはいけない。サユウも、私を愛してはいけないの」 「そんな事あるものか!僕は君しか愛していないんだ!!!」 サユウの真剣な眼に、ミオは馬鹿!!!と暴言を吐いた。 「それに、私は他に好きな人が居るの!!」 その発言に場に居た全員が、え、と声を揃える。 「もうやだ!!顔も見たくない!!」 ミオは、青紫の花束を抱き締め、眼を閉じた。 「はいはい、もう解ったでしょ」 二人の間に春色が間に入ってくる。 「サユウ、君はもう過去の男なんだよ」 青紫の眼が帰れと言う。 ショックを受けたサユウの背中をアキノとユウリは振り向かせた。 「サユウさん、今日は帰ろう」 アキノが優しい声色で言う。ユウリがその背を押し、夕刻華のスタジオから三人は出て行った。 コハルはさめざめと泣く燻水を座らせ、その背を摩ってやる。 サユウの分からず屋、鈍感、馬鹿、と悪態を並べつつも、ミオは腕に抱いた花束は放さなかった。 「でも、そんな彼を愛しているんだよね」 春の様に暖かい声で宥める。 「そうよ、サユウ以上の人なんて居ない。だから、嫌いになりたいのよ」 ミオは鼻を啜った。 「でも変わらないの。あいつも、私も、大人になっても、見た目が変わっても、何も変わらないの」 そうなんだね。とコハルは頷く。 「どうしたらサユウを嫌いになれるの?どんどん、自分の事ばっかり嫌いになるのに!」 そうねえ、とコハルは考える。 「きっと嫌いになれないよ。でも、だから自分を嫌いになる必要も無いよ。いいじゃない好きなままで。僕だって前の人、好きなままだよ」 その発言に、え、とキリオが反応した。コハルは悪戯っぽくキリオに視線を送る。 「それで、いいのかしら…?」 「うん、今はね」 白と黒も頷いた。 サズマは、大人って難しいなあと思う。 「もう、馬鹿ばっかり」 「世界は馬鹿ばっかりだよ」 ミオはやっと少し笑った。 その青紫の花束を握りしめたまま。 燻水は呟いた。 幼い頃は騙されていた、と酒の席で言ってしまった事がある。 しかし、ミオは愉快そうに少し笑った。 その時の話をぽつりと言いつつ、サユウは駅へ向かって歩いていた。 赤とアメジストはその呟きを聞きつつ隣を歩く。 部活でマネージャーをしていたミオの様子や、その言動。人気の無い道でこっそりと手を繋いで歩いたり、夏休みに遊園地でデートをした。 サユウが地面を見たまま思い出を途切れなく語るのを聞いていると、本当に愛してる事がわかる。 アキノは、なんとなくユウリの小指を触った。 夕陽は世界を赤く染める。 とぼとぼと歩く背中は、行き道より小さく 見えた。 アキノもユウリもその背中に掛けられる言葉が無かった。 二人とも、愛する人と強制的に別れさせられる苦しみを知っている。 今はこうして一緒に居られるけれども。 金は呟いた。 「桔梗の花言葉を知っていますか」 「桔梗の花言葉を知っているかい」 「気品」 「誠実」 「変わらぬ愛」 「永遠の愛」 「僕達にぴったりだと思わないかい」 「私達に似合わないと思いませんか」 その呟きは重なるが、その事に気付く者は居なかった。 桔梗は青紫色をしている。 夕陽が沈めば、闇の帷が訪れる。
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