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猫という生物は、気まぐれだ。
そのしなりとした歩き方を見て、俺は本当にあれだったのか、と不思議に思ったりもした。
タダノブという猫
相沢タダノブは、猫だった。
それは比喩ではなく、前世がそうだったそうだ。
そして、矢野クロスケはカラスだった。
それも比喩ではなく、前世がそうだったらしい。
前世の話など眉唾物であると思うが、その実タダノブにはその記憶が有る。
タダノブはナアという仔猫で、クロスケはガクシャと呼ばれるカラスだった。
不思議な話だが、タダノブはそれを事実だと信じていた。
ぽかぽかとした日差しの中、タダノブはその三毛猫の後ろ姿を追いかけている。
暖かい気候に猫は比較的ゆっくりしていた。ひょいと塀に登り、追って来ていたタダノブを見下ろす。
タダノブは声を掛けるわけでもなく、尻尾を振り見下す三毛猫を観察していた。
何故そんな事をするかと言うと、クロスケが
「君は猫ではなくなったのだね」
と少し寂しそうに言ったからだ。
別に猫だ猫だと可愛がられたい訳ではないが、自分が猫みを身につけていれば彼は喜ぶかもしれない。
恋人であるのだから、クロスケを喜ばせたいという気持ちはしっかりあった。
三毛猫は欠伸をして目を閉じる。
タダノブがガン見している中、眠ってしまった。
「おや、何してるんだい」
それも好きポイントである落ち着いた声に振り返る。その黒ずくめで丸眼鏡の、手提げ鞄を持った青年に、タダノブは、ああ、と答えた。
「猫の観察」
短く答えると、クロスケはそうかいと相槌を打つ。
「今日はもう上がりか」
仕事の状況を問うと、黒い彼は頷いた。
「あの先生は締め切りを守ってくれるからね」
そう雑誌の編集部で働くクロスケは続ける。
手提げ鞄には原稿が入っているのだろう。それの校訂と打ち込みは在宅でやっていた。
「昼飯は食ってきたのか」
「うん。ファミレスで」
そうかい。と返すと、ごめんね、と何故か謝られる。
「じゃあ僕はアパートに戻ってるね」
そう言ってクロスケは通り過ぎた。
その黒い姿が見えなくなるまで見守ってから、タダノブは熟睡してる猫に瑠璃の眼を戻す。
背中で感じる太陽の光は、優しく暖かかった。
タダノブは、猫だが“ネコ”ではなかった。
それはあのカラスの男が“ネコ”だったからなのだが。
それは何となく奇妙で、少し滑稽だと思うような事実だ。
実際あの男は抱きたくなる色気が有った。組み敷き喘がせるのは、中々に興奮する。
だからタダノブは、未成年であるがそんな自分と成人したクロスケとの関係に犯罪感を感じてはいなかった。
いや、18歳以下が性交をしている事は犯罪なのだが。
盛りやすいのは前世が猫であるからだろうか。
そう考えると、自分はわりと猫なのかもしれなかった。いやタチだが。
塀の上の三毛猫を観察していると、にゃあと声がした。
その足下を見ると、白い仔猫が足に纏わりついていた。
何故かタダノブは猫に好かれやすかった。クロスケは逆にすぐ逃げられる。
興味を持たない相手にこそ懐くのは、動物の不思議だと思っていた。
タダノブが抱き上げると、仔猫は大人しく収まっている。宝石の様な水色の眼の、美人さんだった。
「お前は長生きしろよ」
なんとなくそう話し掛ける。それは自分の前世と重ねた発言だが、この小さな生き物は理解してないだろう。
ただみゃあと返事されると、仔猫も人の言葉がわかっているような気もした。
何せ、今日は暖かい。
燻青の彼は、いつの間にか塀の下で眠っていた。
目を開けると目の前に漆黒が居て、こちらを観察している。
タダノブが驚いたので、同じく腕の中で眠っていた白い仔猫も目を覚ました。
その黒い爪の男は仔猫の頭を撫でようとして、思い切り威嚇される。
タダノブの腕の中から逃げた仔猫はダッシュで路地裏に行ってしまった。
瑠璃はそんな黒を笑う。がっかりという顔のクロスケの頭を撫でてやった。
塀の上に居た三毛猫の姿も無い。タダノブとクロスケは連れ立ってアパートへ帰った。
「今日の夕飯は何がいい?」
「そうだね…野菜炒めが食べたいな」
「回鍋肉じゃだめか?」
「じゃあそれでいい」
そんないつも通りの会話が出来るのは、なんだか嬉しいものだ。
「ナア君の寝顔って、猫みたいだね」
不意にそんな事を言われ、さっき見ていたのは寝顔だったのかと察した。
「ガクシャだってカラスっぽい時有るよ」
そうかな?と前世がカラスの男は首を傾げる。
そうお互いの秘名で呼び合うのは、まだ少し気恥ずかしく思っていた。
夜に、試しににゃあと鳴いてみる。
するとクロスケは可笑しそうに笑った。
その彼もかあと鳴いたので、タダノブも滑稽だと笑う。
でも、実際にそうやって会話をしていたのだろう。
仔猫だった時の記憶は、身体を重ねると鮮明に蘇ったりするのだった。
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