リトルホワイトライズ

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 どうにか僕はこれまでに好きだった絵を仕事にしてどうにか生活を安定させることができた。とは言えかなり厳しい。同年代の人と比べたら収入なんてかなり少ない。それでもなんとか生活できるレベルになった。  散々これまでは親に文句を言われ、やっとの事で僕の仕事に関しても理解されたのだった。それは素直にうれしい事でもある。必死になっていた事を世間や親に認められて生活ができる。それで十分だった。  しかし、生活が低レベルとは言え安定すると、親たちは次の心配をする。それは結婚。子供は僕だけでもう三十も近いのに結婚してないと心配するのだろう。これまではそれ以上に絵画の事を許してなかったのでそっちに集中してうるさくはなかった。 「良い人くらい居ないの」  一応僕の絵が小さいながらも賞を取れて、そのお祝いの電話が母から有った時についでの様に言われた。 「そんな暇はない」  僕の返答はこうだ。当然まだ駆け出しの画家で生活なんてギリギリでもっと売れるために絵のほうを頑張らないとならない。それでも親は次の心配をしていた。 「もうそんな歳で、いとこや同級生には子供が居るんだよ。ちゃんと自分の人生を考えなさい」  画家を目指すようになってから「人生」をどれだけ考えただろうか。散々言われたからでもある。夢を諦めて普通の生活をしたほうが良いのなんてわかってる。それでも諦めきれなかったんだ。  相変わらず文句ばかりの親との電話を切ると、僕はため息をついた。部屋は狭くて描きかけの風景が並んでいる。どれもそんな高価にはならない。  年齢的には結婚は普通だが、収入や夢の途中だからそれままだ不適当なんだ。そんな事を思いながらも、心の端っこでは「親孝行もしないと」なんて思って、どうにか安心させる方法を考えていた。  世間ではかなり便利なサービスがある。レンタル業なんてその最たるものでも有るのかもしれない。資産といえる車なんて古くから有る。現在では親や恋人だって普通に借りられる。  親に一安心させるくらいはこれで良いのかもしれない。レンタル恋人を会わせて安心させ、そのうち別れた事にすれば問題ないだろう。騙すわけじゃない。安心させるためのウソなんだ。  手続きは簡単でネットを使えばホンの数分で僕には期間限定の恋人ができてしまって、実家での親への挨拶の予定が確定した。 「お相手の条件は有りますか?」  当日の打ち合わせの為の電話があってそんな事を聞かれたが「年齢が近ければ良い」とだけ伝え、その時は絵画展の締め切りが近かったので最小限の連絡にしておいた。  自分のプロフィールや親と挨拶なので一通りの事は伝えてある。けれど、僕は借りた人の事を全く確認もしなかった。  これが間違いだったのかもしれない。  実家へ向かう途中の駅でその人と合流したのだが、まあ、驚いた。レンタル会社は歳の近い人を選んでくれたのだろうが、その人を見つけた時には見たことがある、どころではなかった。  文句を言う暇も、権利すらなく電車で合流したので勝手に実家は近づく。恋人を紹介というイベントに親は舞い上がって最寄りの駅に迎えにきていた。 「こんにちは」  華やかな笑顔でレンタル恋人が僕の母親に挨拶すると、 「良い人じゃない。こんな人がいるならさっさと紹介しなさいよ」  とニコニコとしていた。  そんな事を言われても僕はまだこの人と十数分前に契約をしたばかりなんだ。  取り合えず母親は楽しそうに良くしゃべりながら僕たちを連れ、車を運転すると実家へ。当然移動中も母親のマシンガントークは続いたが、レンタル恋人の彼女はそれに楽しそうに答えて、会話を充実させていた。  実家では父親も待ち遠しかったのか、到着と同時に玄関から飛び出していた。 「美人だな。母さんよりも」  若干言葉を間違った父親は母親からの攻撃をまともに受けていた。そんな父親にもきちんと挨拶をして、彼女はお土産を渡している。お土産はオプションサービスをお勧めされて任せた結果。まあ、必要だろう。  取り合えずこの状況が進むのは危険でしかない。 「ちょっと、タバコ買い忘れた。近所を案内するついでに買ってくるよ」  僕にしてはかなり良い考えが思いついたもんだ。普通にタバコを買うくらいなら僕だけで彼女は親たちに捕まるだろう。しかし、実家の近所の案内も付けた。それは有ってもいい事だろう。 「私も彼の生まれ育ったところを見たいので、良いですか?」  きちんとしている。彼女からの願いでもあったので親たちは文句もない様子だった。なんとまあ、上手いことだ。  家の前から僕たちが並んで歩くのを親たちはずっと見送っている。両方が仲睦まじい光景でもある。普通ならば。でも、全然普通ではない。  角を曲がって自販機のほうへ向かうと、そこで僕はため息をつきながら心を落ち着けるために、タバコに火をつけた。 「なんだ。タバコ持ってんじゃん」 「当たり前だ。話をする時間を作りたかっただけだからな」 「なーるほど、一本頂戴」  さっきまでのおしとやかな彼女は居なくなっていた。これが本当の彼女。そして懐かしい彼女だ。 「困った事になったと思ってるんでしょ?」  軽くタバコふかしている彼女が簡単に語っている。その表情は今までの良い子でしかない人とは違うように、ちょっといたずらっ子な印象が取れる。 「当たり前だろ」 「まさかのレンタル彼女が元恋人なんてね」 「ひと月だけの付き合いだったけどな」  僕たちは知り合い、その程度の関係ではなかった。高校の文化祭の為に知り合い話は簡単に進んで付き合うようになった存在。 「別に喧嘩別れじゃなかったでしょ? あたしも演劇部に集中して、君も絵画のほうから手が放せなかっただけの事」  確かに彼女の言う通りで、恋人付き合いにはなったけれど、デートなんてものは一度きり、キスすらもしてない。  当時美術部の僕は彼女の演劇部の応援で舞台設備の手伝いをして知り合い、それから直ぐに付き合うようになったが、僕は絵にそして彼女は演劇のほうに夢中で恋人との時間なんて作れなかった。それが原因なのかなんとなく別れていた。 「別れた理由なんてこの際関係ない。現状困ったことになったのは事実なんだから」 「ふーん、あたしからしたらなんで君が困っているのかが分からない。あたしは君のことを知ってるからちゃんと恋人を演じられるよ」 「だけど、なあ」  続く言葉は思いつかなかった。彼女はくわえタバコでにこっとして僕のことを眺めていた。僕はそれに見惚れてしまっていた。そんな姿がスッと移動する。自販機までたどり着いたのだった。 「さーて、どれを奢ってもらおうかな?」 「奢られるのは決定なのかよ」 「へへーん! あたしは君の弱みを知ってるんだ。この事を君のご両親に報告したら」 「わかったよ」  恐ろしいことだ。僕は彼女の脅しに負けて自販機に向かうとレモンティーのボタンを押した。それは昔の彼女の好物。こんな事も覚えていた。  僕が選んだけれど、彼女は素直に「サンキュー」と良いレモンティーを取ってニコニコとしていた。この笑顔は恐ろしい。 「まだ演劇は続けてるのか?」 「うん。夢だったからね。テレビドラマにも一応名前が出たことが有るんだよ」 「ほう。それは素晴らしい」 「ほとんどセリフも無いけどね。セリフがあったら直ぐに殺される役だったり。因みに最近は舞台のほうで活躍させてもらってます」  自販機の前に座って話し始める。なんだかあの頃よりも随分気軽に話せるような気がしていた。 「もしかして、有名人?」 「残念ながら、まだようやくご飯が食べられるようになったくらいです。最近まで親のすねを齧ってた。この仕事だって演技を練習すると言うのは言い訳でバイトだもん」 「まあ、あのくらいの演技力が有れば売れるんじゃないの」  彼女が僕の親たちに挨拶したのは見事だった。一応昔の事ではあるが、彼女の普段を知っている僕としては全く違う人間に思えた。彼女は普段から明るい元気な女の子。それなのにしっかり者でキリッとした印象が有ったから。 「それは、うれしい。でも、今でも十分に楽しいよ。自分の好きなことを仕事にできて、裕福にはなれないけど暮らせてる。これ以上望めないでしょ?」 「まあ、そうだな。俺もだ」 「やっぱりね」  隣の彼女がタバコを消して一口レモンティーを飲んでいた。微かな甘酸っぱい香りがする。あの頃の香りだ。 「やっぱりって?」 「君もそうなんでしょ? 雅号はあの頃と一緒なんだ」  どうやら彼女は僕の絵画のことを知っているらしい。それが分かった時になんでかわからないが、とても照れ臭くなって彼女の顔が見れなくなってしまった。  言葉がなくなっても僕たちは並んで座っていた。なんだか昔を思い出させる。段々と懐かしい記憶が蘇っていた。別にたいした事ではない。普段の彼女だったり、あの頃のちょっとした会話を思い出したりしただけ。  記憶をリフレインするのを続けると、また新しい古い記憶が蘇る。彼女との別れのことまで思い出した。それはとても淡く切ない記憶。 「昔の事憶えてる?」  彼女も同じ頃のことを考えていたように。 「ちょっと忘れた」  あえて僕は嘘をついていた。なんとなく答えたくなかったから。 「別れの言葉。ロマンチックだったのになー」  やはり僕たちの記憶の引き出しはリンクしていた。 「それは。忘れないか?」 「ダメなの?」 「ダメじゃ、ないかな」  言葉が途切れてしまう。 「君も覚えてるんでしょ?」 「忘れてたつもりなのに、思い出した」 「聞いてくれたら返事するよ」  そう彼女にと別れの時には約束をしたんだ。返事はその時まで保留にしながら。だけど、聞きたくない気もする。 「言いたくない」  今は頑として譲らない。けれど、こんなのは許されないんだろうな。 「お互いの夢が叶ったらその時は結婚してくれない?」  なんて恐ろしい人なんだろう。僕の若気の至りを笑い話にでもしたいのだろうか。もう十分に僕はダメージを受けていた。 「やっぱ、忘れたほうが良くないかな?」 「忘れません。もう一度君から聞きたいな。夢は叶ったんだから」  その時の彼女は華やかな笑顔だった。あの頃の、そして現在の僕の好きな笑顔だ。 「夢は叶った。結婚は、考えてくれる?」  まだあの頃のほうがすらりと話せていた。こんなにもどうしようもない僕がいる。とても照れてしまっている。  横で立ち上がった彼女はレモンティーを飲み干すと、カランっとごみ箱に空き缶を捨てた。その行動の意味が分からなくて僕は彼女をただ見上げている。  いたずらっ子の笑顔と一緒に彼女がジャンプをして数歩僕から離れると、くるりと振り返った。「あはははっ」とても楽しそうに笑っていた。  本当に彼女は恐ろしい。僕で遊んでいるのだろうか。でも、それでも、僕は怒る気にはなれない。彼女がこんな人だと知っている。そして良いところだとも思っていたから。 「ぜーんぶ、君のご両親にはなしちゃおー!」  笑うだけでは済まなかった。彼女はそう言うと走り始めて、時折楽しそうにスキップをしている。僕が追いかけても捕まらないくらいに軽快に走る。  実家なんて走れば直ぐだった。親たちはあれから待っていたかのように庭で暇そうにしていた。そこで彼女のことを見つけると晴れやかな顔になって、彼女と僕の到着を待っている。  親たちの前まで彼女が辿り着いてやっと僕も追いついたが、息が切れてしまって僕は思うように言葉がでない。けれど、彼女は一度深呼吸をすると「伝える事が有ります」と語った。 「今日は嘘をついてました。実は私は彼の恋人では有りませんでした。派遣されたレンタル彼女です。親を安心させたいからと依頼されてだましてました。すいません」  本当に恐ろしい人だ。全て話してしまった。そんなのだから、親たちはポカンとしている。 「けれど、彼とは昔本当に恋人でした。そして、さっきプロポーズをされました」 「ちょっと、待てって」  まだ僕のことをあざ笑うのかと、やっと言葉を取り戻した僕が彼女のことを止めようと肩に手を置いた。しかし、その時に彼女はいたずらっ子ではないとても美しい微笑みを返していた。僕はそれでまた言葉無くしてしまった。 「あたしは彼からの思いを受けたいと思います」  急転直下。僕にだけの言葉ではない親たちだってそうだった。笑っているのは彼女だけ。 「嘘なのか」  言う事なんてこれくらいしか無いけれど次には喜びが待っていた。 おわり
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