開幕

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開幕

01  これは、一人の人殺しの悲哀に満ちた復讐の物語である。  これは、一人の殺人鬼の運命に抗う感動の物語である。    これは、一人の人殺しの生きた証となる物語である。  これは、一人の殺人鬼の殺した証となる物語である。  これは、一人の人殺しが救いに向かってひた走る青春の物語である。  これは、一人の殺人鬼が女の子を深い闇から救い出す英雄の物語である。    そしてこれは、そんな二人が出会い生きる物語である。 02  二〇一三年春。  日本を震撼させるニュースが報道された。  「連続無差別一家殺人事件」と大々的に報道されたそのニュースは、当時の私にとって、ただどこかの誰かがどこかの誰かに殺されたものとしてではなく、「私の家族が理不尽に命を奪われた事件」だった。    お父さんも。  お母さんも。  お姉ちゃんも。  弟も。  みんな殺された。    被害者はそれだけじゃなかった。近所の家でも同じような惨劇は起きていた。  私の家族を奪った殺人犯はたった六日間で合計で四十人もの命を奪っていたらしい。  事件現場は全て一家が暮らす家の中だった。  一人残らず皆殺し。被害にあった九つの一家の中で、生き残ったのは当時八歳の少女、私一人だけ。  警察に保護された時のことはあんまりよく覚えていないのだが、聞いた話によると、警官が私の家に駆けつけた時、私はみんなが無惨に殺されていたリビングに座り込んでお母さんの手を握っていたらしい。 03  私の家は「三番目に選ばれた一家」だった。  その日の朝はいつもより家の中がピリピリしていたように思う。  今となっては当たり前だとわかるのだが、私たちが暮らす街で殺人が立て続けに起きていた。  全国ニュースで報道されるほどの事件だったので、街の至る所に警察がいて見回りを強化していた。  もちろん学校は臨時休校となり、両親も会社を休み家にいてくれた。  八歳になったばかりの当時の私にとって、学校が休みになったことと普段仕事で忙しい両親が家にいてくれることは、どこか喜ばしいことだった。  その時点で二つの家庭を、人数にして十一人もの人間を殺している殺人犯のことは、現実離れしていてあまり興味を持てなかったように思う。中学2年生のお姉ちゃんと一つ下の弟も似たようなものだった。  朝から、みんなでご飯を食べたりゲームの取り合いをしたり、突然の休みを満喫していた。  そして私にとって大きな分岐点となる瞬間が訪れる。  私はすぐ近所の友だちの琴乃あかね(通称琴ちゃん)の家に遊びに出かけたのだ。もちろん一悶着あった。  しかし、琴ちゃんの家は私の家から見える場所にあったことと、たった数十メートルの距離ではあるがお父さんが送り迎えをすることで許してもらえたのだ。  私からしてみれば、たったこれだけの距離にお父さんがついてくることに多少なりの面倒臭さは感じていたが、結果的に友だちと遊べるのならいいかと、その程度にしか考えていなかった。  「気をつけてね。帰るときは電話をちゃんとすること。あかねちゃんの家から出ずに遊ぶこと、いい?」  「わかってるって。じゃ、行ってきます。あ、お母さん、今日の夜ご飯カレーがいい!ハンバーグが入ってるやつ!」  「はいはい、作って待ってるから。お願いだから気をつけてね。お父さんもよろしくね」  お母さんは心配しすぎだと、お父さんと私は肩を竦めて見合った。  玄関を出て、真っ直ぐ琴ちゃんの家を目指す二人。  時間にして、約二十秒。  目的地に着くとすぐに琴ちゃんの家の玄関が開き、琴ちゃんがお出迎えをしてくれた。どうやら私たちが歩いてくる様子を見ていたらしい。  お父さんは琴ちゃんに軽い挨拶をしてすぐに帰っていった。  「じゃあな、また後で迎えにくるから」  「うん、わかった!」  私が家族と過ごした最後の瞬間がこの時終わった。   04  人生において、たったの一つも後悔を抱えていない人はどれくらいいるのだろうか。  人生において、たったの一度も他人を恨めしく思ったことがない人はどれくらいいるのだろうか。    例えば、自分の人生において明確な分岐点が過去にあったとして、今更何をどうしたところで現実は変えようが無いのだけれど、その明確に存在した分岐点に戻れたとしたらどうだろうか。  現実の私が何かに失敗していたとして、その根幹にある原因がその分岐の選択にあるのだとしたら、果たして私は現実とは違う選択をすることができるのだろうか。  もしかしたら、その分岐点にたった時点で失敗することが確定していることも往々にしてあるのだろう。  二者択一クイズの選択肢のどちらも不正解。そんな理不尽はこの世の中いくらでも存在する。  では、失敗してしまった私は、失念してしまった私は、行き詰まってしまった私は、行き止まってしまった私は、見放されてしまった私は、見落としてしまった私は、たった一人生き残ってしまった私はどうするべきだったのだろう。  どちらを選んでも、何を選んでも、悉く終わりに向かう物語に果たしてどれだけの人が共感してくれるのだろうか。  その共感が何を生み出すでも、何かを否定して肯定するでもなく、ただただ漠然とした正当性の中で私を満たしてくれたとしても、私が失ったものは戻ってきてくれはしないのだ。  人生において、たったの一度も後悔したことがない人に聞きたい。  私の後悔はする必要がなかったものなのでしょうか。    人生において、たったの一度も他人を恨めしく思ったことがない人に教えてほしい。  私の大切なものを壊した上で、そして私を狂気に染まった両目で捉えた上で、明確な悪意を持って笑って見せたその「人間の形をした何か」を恨まないために私は何をすればよかったのでしょうか。  何が正しくて、何が間違っているのかなんて、そんな難しいこと知りたくもない。  誰が悪くて、誰の運が悪くて、私の運は良かったなんて知ったことではない。    私にとって確かなのは、大切な家族が殺されたこと。  私にとって必要なのは、その犯人に復讐する機会と手段のみ。  私の人生を勝手に語る大人たちはみんなして、私を守ろうとする。  もう守るべきものなんて何もないのに。  もう守って欲しかったものは全て壊れてしまっているのに。  毎日毎日、私のことを写真に収めようとする大人たちは、私の過去を物語にして世の中に広げている。  そんなことをしても、私の全てを壊した元凶は逃げ続けているのに。  そんなことをしても、私の帰りを待ってくれている家族はどこにもいないのに。 05  電話をかけたが、繋がらなかった。  時刻は夕方六時を少し過ぎた頃だった。  電話をもう一度かけたが、繋がらなかった。  空は少しずつ夜を迎えようとしていた。  電話をかけようとして、怖くなった。  琴ちゃんの家から見える私の家が、全く違う家に見えた。  電話は繋がらなかった。  琴ちゃんのお父さんが心配して、私を送ろうとしてくれた。  靴を履こうとする手が震えていた。  嫌な想像を追い払うために、震える手で目を塞いだ。  私の家の玄関に向かって走った。  琴ちゃんのお父さんが何か言っていたけど、聞こえなかった。  玄関の鍵は開いていた。  「おかえり」の声は聞こえなかった。  慌てて靴を脱ぎ捨てて、リビングへ向かった。  「脱いだ靴は揃えなさい」とお母さんは顔を出さなかった。  リビングに入った。  みんな殺されていた。  お父さんも。お母さんも。お姉ちゃんも。弟も。  お父さんも。お母さんも。お姉ちゃんも。弟も。  お父さんも。お母さんも。お姉ちゃんも。弟も。  お父さんも。お母さんも。お姉ちゃんも。弟も。  お父さんも。お母さんも。お姉ちゃんも。弟も。  お父さんも。お母さんも。お姉ちゃんも。弟も。  お父さんも。お母さんも。お姉ちゃんも。弟も。  いつも仕事が忙しい分、休みの日にはとことん遊びに付き合ってくれるお父さん。  怒ると怖いけど、よく私たちに「大好き」と抱きついてきたお母さん。  中学生になって、あんまり話してくれなくなったけど、いつもなんだかんだ面倒を見てくれる優しいお姉ちゃん。  生意気で喧嘩ばかりだったけど、本当は甘えん坊な可愛い弟。  さっきまで普通に生きていたはずの私の家族は、四人とも身体中から血を流して積まれていた。  顔も、首も、肩も、腕も、胸も、腹も、背中も、腰も、脚も。  赤くないところが見当たらないほどの血を流して死んでいた。  なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。なんで。     「あ?なんだお前」  積み重なったそれの前で立ちすくむ私の背後から、気だるそうな男の声がした。  私は振り返れない。  泣くことも、叫ぶこともできない。  目の前のそれが、私の行動を支配する。    「この家のガキか?」  男は、ゆっくり近づいてきて私の顔を覗き込んだ。   自然と、私の視線と男の視線はぶつかった。  男は当たり前のように、お母さんが作ったカレーを食べながら私の前に立った。  「お前もカレー食うか?なかなかうめぇぞ」  男はニヤニヤしながら私に問いかける。  私は身体中が震え出していることに気づいた。    「ま、いいや。ご馳走さん。美味かったって伝えといてくれよ。もう聞こえてねぇかもしれねぇけど。娘の声なら届くかもしれねぇな。くはは。お前は殺さないでいてやるよ。この状況を目の当たりにして、お前がどういう人生を歩むのか興味が湧いた。いいことあるといいなぁ。これから俺はもうちょい殺すつもりだが、お前だけは殺さない。周りの大人や学校の友だち、警察やらなんやらに守ってもらえや。今日ここで俺に会って生き残ったことを背負って、生きていきな」  男は流暢に、楽しそうに、愛しそうに、嬉しそうに、そして狂ったように笑った。  私はその笑い声を聞き続けた。  身動きもとれないまま。  涙も流さず、声も出さず。    そして男がいなくなった後も、その笑い声は私を歪に包んだまま離れてはくれなかった。
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