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傘女
『その幽霊ってね、土砂降りの夜に一人で、赤い傘をさして立っているんだって』
学校はいつだって、いろいろな噂話で溢れている。誰かと誰かが付き合っているだとか、有名人を街中で見かけただとか。友達と他愛のない雑談をするのにも、“話題”というものは必要なもので。なのでこうして、授業の間の休憩時間でも、みんながいろいろなところで収集した情報を披露しあったりして。
明るい話題も。暗い話題も。
割合でいえば、だいたい8:2。
その2割というのは、いわゆる“アブナイこと”をしている生徒だとか、そんな感じ。ただ、極まれに怪談話というのも含まれている。
「昨日、ニュースでやってたんだけど、雨の日に意識不明になった学生が見つかったらしくて……それも、その幽霊の仕業だって噂らしいよ……」
高校生にもなって、幽霊だとか、おばけだとか――馬鹿馬鹿しいかもしれないけれど、インターネットで見かける怪談話もなかなか侮れない。幽霊も呪いも、そんなの存在しないはずなのに、どこかリアリティに溢れていて、あたかも本当にあったかのように語られていて。
それも暇つぶしというか、娯楽の一つになっているのは確かで。あまりの出来の良さに人気が出て、映画になっているものだってある。それだと、もうどんな怪談なのか知りすぎていて、逆に怖くなくなっているのだけれど。
「気に入った子供を傘の中に招くらしいんだけど、その傘の中に入ったら最後、憑り殺されちゃうらしいよぉ」
「なによそれー」
「そんな人が近づいてきたら、幽霊じゃなくたって逃げるってぇ」
その日に友達のハルが話した怪談も、どこかで見つけてきたものらしくて。最近のニュースと上手く絡めようとしたみたいだけれど、あっさりとし過ぎていて怖くもなんともない。
それでも、雷に打たれただけなんじゃないの、だなんて水を差すようなことは言わない。『怖いねー』と適当に流していたのだけれど。
大雨の中に、目立つ傘を広げて立っているだけ。
確かに、自分とその幽霊しかいなかったら怖いんだろうけどさぁ。
といっても、結局は雑な作り話の範疇を出ないもので。次の授業のチャイムがなる頃には、まったく気にしなくなっていた。
「いただきますっ」
いつも通りの平日の夜。お母さんと、四つ下の弟と、お祖母ちゃんと一緒に食卓を囲む。お父さんは出張でいないので、これが普段の食事風景だった。
学校ではこんなことがあったんだ、と話すのが定番だけれど……私の場合、特にこれといった話題が無いのは、家でも学校でも一緒。なので普段は、当たり障りのないことしか言わない――はずだった。
『本日は2時間! 心霊スペシャル――』
夏が近くなってきたからかな。ちょうど、テレビで心霊番組をやっていたこともあって、学校で聞いた怪談話のことを何気なく話してみた。
「そういえば、ハルが教えてくれた怖い話があってさ――」
――――。
「最近のニュースも、赤い傘をさした女の幽霊の仕業だっていうんだよ? そんなわけないじゃんってさ――」
「スイちゃん……!」
その途端、半分認知症の入っていたお祖母ちゃんが、血相を変えてその話を遮ったのだ。食事もまだ途中だというのに、バタバタと仏間へと走っていき、なにやら持ってきたかと思えば、それはそれは大きめの金刺繍の入った紺色のお守りだった。
いったいどうしたのかと困惑している私に、そのお守りを握らせようとするお祖母ちゃん。その手は震えており、どうやら肌見放さず身に着けておけ、と言っているようだった。
そうして数日経った頃のこと、金曜日という一週間の末。六限目の授業が終わって、『やっと自由だ』と背伸びの一つでもして。ホームルームが終わるまで、今か今かと気が急いって。自分でも珍しいぐらいの勢いで、終了のチャイムと同時に教室を飛び出した。
部活動のためにそれぞれの部室へ移動する生徒たちを横目に、まっすぐに校門を目指して早足で向かっていく。もともと帰宅部だった私だが、今日は発売予定の本を買いに行くという目的があった。
家の最寄りの駅から10分ほどで、学校近くの駅に着く。今日私が行きたいのは、そのまた2駅向こうにある、市の中心となっている駅だった。とても広くて、電車は数分おきに何本も出ていくし、新幹線だって停まる。(ここ重要)
駅前の複合施設は、田舎育ちの私としては、さながらアミューズメントパークのようで。家電だって、スイーツだって、そして発売日当日に並ぶ本だって、なんでも揃っている。
――――。
「あっ、あれスイじゃない?」
だから――こういった場所では、友達を鉢合うことだってもちろんある。
「珍しいね、スイがこっちまで来るなんて」
「うん、買い物する用事があったから。ハルもアオバもサツキも、三人で買い物?」
話し好きなハルと、その幼なじみのアオバと、アオバと仲良しのサツキ。
学校でいつも雑談している面子が揃っていた。
「まー、半分はそんな感じかな」
「さっき映画館がサービスデーで安くなってるって見て、ハルが新作の映画を観ようって言い出したところなの」
「ついでだから、スイも一緒に観ようよー!」
これだけ大きい施設なら、もちろん映画館だってある。
どうやら3人は、上のフロアに向かう途中だったらしい。
私としても、特に断る理由もなかった。
少しは気になっていた作品だったし、たまたま安いのだったら丁度いいタイミングだと思う。他に映画館といっても、学校から自転車で20分ぐらいにある小さなものしかないし。
別の日にまたここまで来るのも面倒だからと、一緒に映画を観ることに決めた。
「ちょっと待って、親に連絡入れとかないと……」
私だけ家が離れているから、こういうところは少し羨ましい。
「…………」
鞄からスマホを取り出したときに、学生鞄のチャックに付けていたお守りのことが頭をよぎった。友達と遊んでいるときに、こんな大きなお守りをぶら下げていたら、いろいろと聞かれちゃうかも。
お祖母ちゃんから渡されたことを説明するのも面倒臭いし……。中に入れておけばいいか、と結んでいた紐を解いて、鞄の外ポケットに放り込んだ。
「面白かったねぇ」
「うん! 前から気になってた作品だったし、観れてラッキーだったかな!」
「やっぱ、リョウ君がカッコよかったよね――」
「わかる――!」
ワイワイと観終わったばかりの映画について、フードコートで満足するまで語り合う。ポテトとドリンクを頼んで、いつの間にか数時間も過ごしていた。
――――。
「やっば、いつの間にか夜じゃん」
「それじゃあ、私達はこっちだから。じゃーねー」
「じゃあね!」
…………。
帰り道は、一人きり。
8つ先の駅を行き先にした電車に乗り込み、ゆっくりと流れていく景色をぼんやりと眺める。数駅しか離れていないというのに、あっという間に街の光が少なくなって。田んぼが広がるにつれ、暗闇が広がり始める。
外からの光を取り込むことのない真っ暗な窓ガラスは、虚ろな目をした私の表情をくっきりと映し出していた。まるで、みんな太陽の沈みと共に活動を止めてしまったかのよう。ここから見ただけでは、民家の窓からの明かりすら殆ど無くなっていくのが、私には不思議でならなかった。
私は――自分の住んでいる町のことがあまり好きじゃない。駅だってオンボロで、このご時世にまだ無人駅だし。駅の周辺にあるのは個人のお店ばかりで、暗くなり始めたら殆ど開いていない。
カラオケ店もファミレスも、数えるほどしか無くて、みんなして寝静まっているみたい。私はまだまだ遊びたいのに、そんなことは許されないと言われているようで嫌だった。
早く高校を卒業して、大学に進学して。
もっと都会なところで、一人暮らしをするんだ。
『次は――外持――外持――』
帰りの電車から降りたときには、時刻は21時を回っていた。普段よりもずっと遅いれど、家には映画を観る前に連絡しているし、これぐらいの時間なら怒られることはないはず。
お昼にはそれなりに人通りのあるアーケード街も、今ではまるで廃村のように寝静まっていた。たまに早朝から家を出るときは、鳥の鳴き声ぐらいは聞こえるのだけれど、この時間帯ともなると、あるのは完全な静寂だけ。
何度も通ってきた場所だし、ちょっと道を外れたところ土地勘もある。不審者すら出ようのない人通りのなさは、十分に理解している。だけれど、私は自然と早足になっていた。
店舗と店舗の隙間の裏路地、シャッターの隙間。
照明が落とされ、真っ暗になったショーウィンドウ。
得体の知れない何かが、覗いていそうで。
自分の足音だけが、小さく、断続的に響く。
駅から続く薄暗いアーケード街が、緩やかに弧を描きながら伸びていた。
点々と照らす街灯の心許なさが、私の不安を駆り立てる。
「大丈夫、大丈夫――」
いったい何が大丈夫だというのだろう。理由も分からないままに、自分を鼓舞するような言葉を口にしていた。この時ばかりは、私に変な話をしたハルたちを恨んだ。絶対、来週になったら学校で文句を言ってやるんだから。
お母さんもお母さんだ。あんな話をしなくたっていいじゃない。
『50年ぐらい前はね、このあたりでも人攫いがよくあったんだって。若い女の子は夜とか雨で見通しの悪い日は外に出るなって言われてたみたいで。お祖母ちゃんもあんたのことが心配なのよ』
こんなこと、別にあの幽霊話とは関係ない。
それに、今は雨も降っていないし……。
――ピチャンッ。――ピチャンッ。
「――っ!?」
足音は止まり、自分の息を呑む声。
そして、断続的に続く、微かな水音。
慌てて周囲を見回すと、それらしいものは少し離れたところにあった水溜まりが一つだけ。閉店前に掃除したときの水が、残り続けていたのだろうか。別段、おかしいところはどこにもない。そう、なにも――
ピシャッ――バシャバシャバシャッ――!
音は突然に勢いを増して。水溜まりからは飛沫が上がる。
まるで――大雨が降っているときのように。
「あ、雨……?」
――ううん、降ってない。
癖で手を前に差し出してみても、何かが手のひらに落ちてくることはない。別に傘をさしているわけでも、雨宿りをしているわけでもないのだから、こんなことをしても意味ないのに、馬鹿だなと自嘲する。
「やだなぁ……。ただの怪談にビクビクして……馬鹿みたい……」
この水音だって、原因を突き止めてしまえばなんのことはない。『幽霊の 正体見たり 枯れ尾花』という句だってあるのだから。
どこかの排水管から水が散っているだとか、大型トラックがどこかで走っていて、その地響きが伝わってきただとか、そんな大した理由なんてないはず。
…………。
そっと近づいて上から覗き込んでみるも、バシャバシャと水飛沫は変わらず上がっていた。どこかから水が散っているような様子はない。もちろん、雨なんて、降っていない。
自分が気づかない程度の振動が来ているんだろう。『これだけ激しく飛沫が立っているのに?』という、疑問を押し込めるようにして、立ち去ろうとした――その時だった。
「――――」
音が、変わった。
雨粒が跳ねるような音が止まり、代わりにボトトトッと何かに遮られているような音に変わったのだ。これは何の音だっただろう。いや、私は答えを知っている。
よく聞く音だった。それは、特徴的な音色だった。
雨の日に、傘をさしたときの音だ。
私はこの音が好きじゃない。こんな音のする日は、決まって豪雨で。空は当然のように分厚い雲に覆われていて。昼なのに夜になったかのように空気が重く沈む。もちろん、今は夜なんだけれど、それでも雨なんか降っていないはず。
そうして、水溜まりを再び覗き込むも、その水面は静かなものへと変わっていた。
ただ――その水面は、月明かりを映すことなく、真っ暗闇だったけど。
「そうだ、お守り……!」
はっと思い出し、鞄の外ポケットの中をまさぐる。――が、中は空っぽ。
あれ、おかしいな……確かに入れたはずなのに……!
もしかして、どこかで落とした? ううん、そんなはずはない。何かの拍子に出てしまうとは考えにくい。でも、現実としてそこに無いのだから、落としてしまったのだろう。
どうせなら、と不安を紛らわせるために取り出そうとしたお守りなのに、かえって不安が募り始める。これではまるで――
よくないことが、起こっているようで。
「――――っ」
ふと、顔を上げた。
電気の消えたお店の、真っ暗なショウウィンドウ。
反射して見えた光景に、私は声にならない悲鳴を上げた。
「ひっ――――」
赤い傘をさした女の人が、自分のすぐ後ろに立っていた。
心臓が跳ね。息が詰まり。全身が総毛立つ。
自分の身体も、赤い傘の中に入っていた。
慌てて振り返る私に、ぐわぁと覆いかぶさる黒い影。
「――――」
悲鳴も、ボタボタという雨傘の立てる音にかき消され――
私の最期に見た光景は。
暗く深い水溜まりと同じの。
光明のない真っ暗闇だった。
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