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その日から僕は自分磨きに励んだ。
何のこだわりも無かった髪型を変え、ファッション誌を買って洋服の着こなしを学ぶ。何を着るにしたって逞しいほうが良いだろうと、ウエイトトレーニングもした。女心を知る為にと恋愛のハウツー本も読んだ。ベッドの中で女性を喜ばせるテクニックを知る為にエロ雑誌だって買った。だけど高校一年最後の日、僕は白木百合にフラれる。校庭の隅にある桜の木の下で。
「やっぱり駄目だよね、僕、ダサいもんね、髪型を変えたって、洋服を着替えたって。キスも下手だし、何をやっても格好つかないし。白木さんとはどうやっても釣り合わないよね。僕なりに頑張ってはみたんだ。だけどやっぱり駄目かぁ。白木さんにはもっとお似合いの人が居るもんね、格好良くて、大人でさ……」
僕の口は際限なく動いた。口を止めてしまったら押し留めていた何かが溢れ出してしまいそうな気がしたからだ。別れましょう、と申し訳無さそうに言った白木百合に対する気遣いもあったと思う。
すると、白木百合がいつまでも止まらない僕の言葉を遮った。睫が濡れている気がした。
「違うよ、そういう事じゃないよ。健ちゃんはさぁ、青野さんの事が好きなんだよね。健ちゃんは、青野さんと接して居る時はいつも裸なのに、私と居る時はいつも鎧を着ている。キスしている時も、裸で抱き合っている時だって、いつも鎧を着て、私を心の中に入れてくれない。だからね、私、諦めたんだよ」
ドキッとした。自分で気付いている所を見抜かれた上に、気付いていなかった所まで気付かされた。僕はやっぱり美樹の事が好きなんだ。
だけど僕は白木百合の事を好きになろうとしている。そこに嘘はない。それに彼女にフラれてしまったら学校中の笑い者になってしまう。そんなの嫌だ。
「そんな事、無いよ。僕は白木さんの事、好きだし、愛している……」
そこまで言って違和感を感じた。本当にそうなのか、と心の中でもう一人の自分が囁く。
白木百合は洟を啜り、涙声で言葉を繋いだ。
「健ちゃんは一度もデートに誘ってくれなかったでしょ。それにキスだって求めてくれなかった。私の望みは何でも叶えてくれるけど、私は健ちゃんの望みを聞かせて貰えなかった。恋愛って求め合うものでしょ。それなのに求めているのは私だけ。疲れちゃったの、私、健ちゃんの事好きだよ。格好がどうとかそんなの関係ないの。歩道の上に居たカタツムリを紫陽花の葉に乗せてあげるところとか、消えていない煙草の吸殻を踏み消して拾いあげてゴミ箱に捨てるところとか、それに入学式の日、友達が誰も居なくてポツンと一人だった私に微笑みかけてくれたのは健ちゃんなんだよ。日本に来たばかりで不安だった私が、あの優しい笑顔にどれだけ癒された事か……」
僕は大きな勘違いをしていたようだ。白木百合は見た目だけではなく、心の中も真っ白な人だった。彼女に嫌われないように、彼女と釣り合える様に、と接してきた僕は、知らず知らずのうちに彼女との間に壁を作っていたらしい。
美樹の前では素のままでいられるのに、白木百合の前に立つと気構えてしまう。彼女の心をもっと見つめる事が出来たら、好きになろうとしなくても、好きになった筈なのに。
黙って俯いていると、彼女が言った。
「ひとつ教えてあげるね。健ちゃんは自分で思っているよりもずっと素敵な男の子なんだよ。だからさ、どうしなきゃ、とか、どう思われたい、とかじゃなくて、どう思っているのか、どうしたいのかを突き詰めた方が良いと思うよ」
彼女の声は少し湿っていたけれど顔はにこやかだった。僕にとってはそれが救いだった。
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