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校庭の隅にある桜の木の下で白木百合の顔を見つめる。美しさだけではない奥ゆかしさが不意に浮かび上がる。
ポツリポツリと降り始めた雨が、乾いた校庭に一瞬砂埃を立てた。点だった雨粒が線になり、雨音がシーーと鳴り始め、勢いがどんどん増して行く。
僕の頬を伝う涙、彼女の頬に落ちる雨粒。雨は良い、涙を隠してくれるから。それに雨音は、シクシクと込み上げてくる泣き声だって消してくれる。
サァーーと言う雨音が、ザァーーと言う耳障りな音に変わった瞬間、白木百合が微笑んだような気がした。肩を竦めた彼女が踵を返して背中を向ける。僕はその後ろ姿を目で追う。線となった雨の中を彼女は軽やかに駆けていった。
「ありがとう健ちゃん、この一年楽しかった」、と言い残して。
僕は逆方向へゆっくりと歩き始めた。涙は暫く止まりそうにない。雨は良い、頬を伝う涙を隠してくれるから。それに雨音は込み上げてくる泣き声だって消してくれる。僕はもう暫く雨に打たれようと思った。
二年生に進級して四ヵ月後、白木百合はニューヨークへ引っ越した。父親の転勤の為だそうだ。
失ってから気付く事は沢山ある。晴れている時は太陽の有難さに気付かないのに、雨が降ると太陽が恋しくなる。彼女は僕にとって太陽だった。太陽が消え、雨が降り出した途端、心に大きな穴が空いた。人から愛されると言う事がどれ程尊いか気付いていなかった僕は、あの時、白木百合を心から愛した。もう手遅れだと言うのに。
降りだした雨の音は気障りだが、時間が経てば気にはならない。僕の心にはあの日の雨音がまだくっきりと残っている。だけどそのうち気にならなくなるだろう。喜びも、悲しみも、慣れてしまえば何て事は無いのだ。
あの日、雨が止んだ瞬間、僕の涙が乾いた。雲の隙間から太陽の光りが差し込むと虹が現れた。止まない雨などきっと無い。僕の心に降っている雨もいつか止む事だろう。いつか雨は止み、光が差し込み、虹が出る筈だ。そんな日が来る事を願って、僕は生きていく。彼女と過ごした眩しい思い出を整理しながら。
「ケンイチ!おはようー!」
美樹の声が背後から聞こえた。
「おはよう!」
僕は答える。美樹の満面の笑みが僕の心に染み込む。白木百合のような美しい笑顔ではない。スタイルも女らしさも何もかも彼女には及ばない。だけど、美樹の存在全てが、僕に心地よさを運んでくる。
僕は髪型を元に戻した。服装に拘るのも止めて、ウエートトレーニングもやっていない。
「ケンイチはそのほうが似合うよ」
Tシャツ姿の美樹が言う。その胸の膨らみが何故だか気になった。
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