運命の日

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この唸りたくなるような暑さは、日に日に今年一番の猛暑日だと更新されていく気温のせいだけだろうか。 夏休みがとうとう一週間後にまで迫り、どことなく高まる生徒達の熱気を感じずにはいられない。 窓際の席に座る鞠井望(まりい のぞみ)は、堪らずカーテンに手を伸ばした。 黒板を白く汚すチョークの音が、それを読み上げる教師の声が、降り注ぐような蝉の声に負けている。 「あぁ......さいっあく」 ミラーになっているスマホカバーを覗くと、特徴的な猫目の下が、アイライナーで僅かに黒く滲んでいた。 これだから夏は嫌いだと、汗で額に張り付く前髪を指で梳く。 ♢♢♢ 「じゃあ......成川、六行目から読み上げてくれ」 「はい」 目の前で椅子が引かれると、授業終わりの号令を連想し思わず立ち上がりそうになった。 どれだけ気を抜いていたのだろうと呆れながらも、 望はムカつくほど涼し気な後姿を見上げた。 一つ前の席のこの男は、成川真人(なりかわ まさと)。 生徒会副会長で、学年首席。望と同じ二年生でありながら、学校全体で見てもほとんどの三年生より頭が良いだろう。 高スペックでかなりモテるだろうが、望はどうにも、成川に対し苦手意識を持っていた。 銀色のハーフリム眼鏡に囲まれた切れ長の目は、いつも冷ややかで容赦のない印象だった。 そして灰色がかった落ち着きのある茶髪。一切着崩しの無い制服。同級生よりも大人びた声。 どこを切り取っても隙が無い。 彼と目が合う度、自分の一挙一動を幼稚だと馬鹿にされているような気がしてならない。望はその冷たい視線が恥ずかしかった。 「おい、鞠井?十五行目から」 「......え。なあに先生?ごめんごめん、聞いてなかったです」 いつから振られていたのか、教師の視線にふと気が付いた時には既に変な空気が流れていた。 望がおじさんウケのいい可愛いらしい笑顔で両手を合わせると、チラホラと笑い声が聞こえる。 ーーガガガ。再び前の椅子が揺れた。 「十五行目。マリー、教科書くらい開いておけ」 教師よりも先に答えてくれたのは、成川だった。 有無を言わさず押し付けられた古典の教科書はぴしりとページが開かれた状態で、新品のようにヨレが無い。 あろうことか、こちらが受け取る前に手を離してしまうのだから、望は教科書が閉じてしまわないよう慌てて指を挟み入れ手を添えざるを得ない。 「あ、ちょっとー。......雑にどーもお」 成川は、望をマリーと呼ぶ。鞠井ではなくマリーと。イントネーションで分かる。 確かに小学校までのあだ名はマリーであったが、あのクールな顔と声で呼ばれるには些かメルヘンで、どうも耳が慣れない。 「はい、次ね。ページ一つ捲って一行目」 着席しても振り返る素振りのない背中を、仕方なくボールペンの頭で小突く。 「......ん。ありがとー」 嫌味のひとつでも言ってきそうな冷たい瞳。 だが成川は、器用そうな長い指で教科書をひょいと持ち上げると直ぐに前を向いた。 本人にその気はないのだろうが、言葉なく叱られたような気分になる。 どうしてクジはこの男の真後ろを選んでしまったのか。
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