蛇の娘

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空は気持ちよいほど晴天だ。風に吹かれて、紫陽花の花も揺れている。夢の花。 私の暮らす家は古い日本家屋で、天井裏にはハクビシンが棲んでいるのか、時折ガタガタ物音がする。迷惑と云えば迷惑なのだけど、祖母が神棚を設けて、家を守る神様だと信じているから、そっとしておくしかない。 庭のある軒の下には家守がへばりついている。庭には蛇口とホースがあって、池の周りの木々や草花に水を散水するのは、家で体が弱く、まだ働いていない私の役目だ。 鬱蒼と生い茂る木々は、庭を木陰だらけにして色々な虫や動物の棲み処にしている。この間は蛇なんて見かけた。池の中を優雅にスーッと泳いで草叢の中に消えていった。 久しぶりに着物を着ようと古箪笥を開けると、着物を包んだたとう紙の上に誰の物かもわからない小さな般若の根付が入っていた。祖母の物だろうか。目の処に硝子の欠片が入っていて般若の目の部分で、欠片がキラキラ光る仕組みになっている。 この家の娘は、蛇に呪われている、というビラが近所や通りに撒かれたのは、もうこれで何度目だろうか。結婚したら祟られて家の者が亡くなるぞ、と事細やかに厭らしい嫌がらせの内容が電柱に貼られたり、近所の家の玄関に貼られたりした。 やった犯人は分かっている。数年前に出奔した父だ。父親は、まだ私が幼かった頃に、蒸発してしまった。大手のサラリーマンとして、稼ぎもよく真面目な父だったが、家を出る数日前は何日も会社を休んで、気が狂ったかのように布団の中でぶるぶる震えていたり、味噌汁にネクタイを入れて食べるそぶりをしたり、裸で庭を走り回ったり、どうみても異常な素振りが見えた。 父親はあれを見たんだね。 そう云った祖母は驚きもせず、異常になった父を横目に母とひそひそ話をして私を押し入れの中に隠した。おかしくなった父親が包丁を取り出して娘を刺すかもしれないから、と、そういうことを心配しての事だった。 小さい頃の私の背中には、痣があった。紐を何度もこすりつけた様に蛇行した痣が、幾重にも無造作に重なっていてまるで蛇のようで、気味が悪かった。父親はそのことを知っていたが、時折眉根をひそめてそれを風呂場で見かけるだけで、当初は異常ではなかった。 しかし、時が経つにつれ、娘は夜になると長くて白い蛇になって隣で寝ていた父親の首を絞めたという。最初は父親も自分が悪い夢でも見ているのだろうと思っただろう。しかし、出奔する前の月の晩、お風呂で巨大な青大将のような巨大な蛇を見かけて、ついに気がおかしくなってしまった。 この家は代々、蛇を殺して食べていた頃があって、それ以来、娘が生まれるとたまに、夜になると蛇の化生となって人を驚かせたり、家族や、つがいの男を喰い殺してしまったりする娘が生まれるらしい。祖母と母が驚かないのは自分たちもそういう過去があったからだろう。二人のひそひそ声は、おかしくなった父親のために座敷牢を用意しようか、とか縛ってどこかに隠そうとかそういう恐ろしい内容で、襖からちらっと話し合いをしている二人を見ると、目が赤くらんらんと蛇の様に光っているのだった。 私の背中の痣はもう小さいが、ああなった父親を思い出すと、いまだ結婚できずに家の中で暮らしているのはいい事と思った。そういえば、最近蔵の中から家系図を見つけて、代々我が家は娘ばっかり生まれていたのだなあと密かに思った。 蛇に呪われた家系なんて…と、服を脱いで背中に手をやると、小さく、薄くなっていく痣が鏡越しに見えて、父親が懐かしくなった。そして結婚するなら爬虫類系が平気な人にした方がいいのかな、とぼんやり思うのであった。 外は梅雨の合間の晴れ時で、あちこち太陽の木漏れ日の零れる庭に、風に舞って草木は揺れていた。
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