狐の社

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学校から帰ってくると、学生鞄を部屋に放り投げて、石野雛は草叢を掻き分けて家の裏へ廻る。そこには生垣があって、やにわに生垣を両指で押し広げると、其処の隙間からは裏通りが見えた。 小さな古い、舗装されていない埃っぽい通り道で、竹藪がずっと先まで続いている。先にはなにがあるのか雛は知らない。学校から帰ってきて四時半、きっかりに、この通りを通る若い青年がいる。うっすらと狐目の、背の高い和装姿の青年だ。来た。今日も四時半に此処の通り道を歩いている。 雛は先日、たまたま家の裏でなにげなく籠に入れる昆虫を探していたのだが、裏路地の方から人の通る足音がして、生垣を僅かに眼だけ見えるように掻き分けて覗いてみたら、その美麗な青年が裏路地を歩いていて、その先の曲がりくねった先に消えて行ってしまったのを見かけた。ここら辺の人なのだろうか?見たこともないような整った顔立ちと竹模様の着流しを着ていて、気になって何度も生垣の間から彼を見かけるうちに、いつの間にか、雛はその年上の謎の男に恋をしてしまった。 そのうちに、おしゃまな雛は、後をつけて見ようと思い、こっそりその時刻に、家を回って先取りして裏路地の草叢に隠れて見た。青年はいつものように草履ですたすた歩いていき、その先の小径へ消えてしまう。その後ろ姿を、雛は追いかけた。 雛の家からしばらく歩くと、裏路地はどんどん深い竹藪に囲まれていって、道は細くなり陽の差さない暗がりへと続いている。こんな処に何の用なのだろうか。どきどきと胸を高まらせて、小さくなる後ろ姿を見失わないように必死に尾行していたが、ついに行き止まりの処で美青年を見失った。おかしいな、ずっと一本道のはずだのに、どこへ消えたのだろう。 そして、突き当りの袋小路には小さな狐の社が建っていて、雛は驚いてしまった。あの切れ長の目の青年は、狐の化身なのだろうか。足元にチカリと光るものがあった。小さな狐のお面の根付だ。お面の下には丸い蛍石が光っていてその下に赤い縮緬の尾のような房がついていた。彼が落としたのかもしれない。 不思議な美形の青年だった。煙の様に消えてしまったのではなければ、あの竹藪の袋小路には社以外何もないのだから。 夕方になった。居間で寝転がりながら綺麗な根付を眺めていると、母親の背中が台所に見える。トントンと大根のようなものを刻んでいる音を耳にした。雛は何気なく聞いてみた。 「ねえ、お母さん、家の裏の道なんだけどね。あそこをずっと歩いていくと小さなお狐様の社があったけど、あのあたりってなんか家とかあったっけ?行き止まりでさ…」 「あそこの通り道は一本道だけれど、袋小路で行き止まりだと思った?実は社の裏に山の上の方まで続くか細い獣道があって、そこに大きな病院があるのよ。飯山医院って言ってね、神経病の人が集まっているのよ」 「精神病院?」 「そうよ、ああいう静かな処にそういう病院は建てられるのよ」 「なんでお母さんそんなこと知っているの?」 「そりゃあ、この家で生まれて長い事経つからね、昔はお前のようにおてんば娘だったから。小さい頃からあちこち泥まみれで散策したこともあったものよ。それより、あんなひとけのない処あんまり行っちゃ駄目よ。人攫いが出るかもしれないからね」 人攫いか…あんな綺麗な人攫いだったら、攫われたってかまわないな…。 あんな綺麗な人が病持ちなのだろうか?毎日あのあたりを散歩して病院で暮らしている、綺麗な着物姿の男の人が想像できなくて、雛は目をつむった。もしかしたら、医院長さんとか病気の人の息子さんかもしれない。見舞客なのかも…今度、見かけたら話しかけてみようか。その途端、煙に包まれて狐の姿になったりして。それか、もしかしたら病院の周囲を徘徊する幽霊なのかもしれない。だとしたら、このままこの先も覗き見しているのはよくない。 雛は竹藪の日溜まりの中でゆらゆらと揺れる美青年のかんばせを思い出して、強く強く狐の面の小さな根付を握り締める。 狐の精なのだ、彼はきっと。もう、生垣から彼を見るのはよそう。これでいいのだ。こんな終わり方で。雛はそう思うと、そっと目を閉じた。
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