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「南部様。申し訳ございませんが、今回もお願いできませんでしょうか」
「ええ、またですか、高橋さん。今年に入ってもう三回目じゃないですか」
電話越しの呆れ声に申し訳なく思いながらも、私は諦めきれずに食い下がる。この業界も今は氷河期時代。都市の人口密集に対して招かれざるお客様も増加の一途を辿っている。
「なんとか、なんとか佐々木様にはご退去頂きたいのです」
「そんなに面倒くさい住人なら、最初から部屋に入れなければ良いのに」
「私は南部様のような強い心臓を持ってはいないので……佐々木様のご尊顔を拝しては、そう軽々しくご退去をお願いすることは出来ませんでした……」
言葉に交じった棘で相手を不快にさせてしまう可能性もあるというのに、私ときたら全く始末に負えない粗忽者。しかし南部様も私とのやりとりに慣れたもので、この程度の失言には目を瞑ってくださる慈悲をお持ちだ。彼女は一つ息を置き、それから「三十万」と仰って言葉を続けた。
「高橋さんが追い出せない手強い相手なら、そのくらい払ってくれますよね?」
「それは勿論。南部様の言い値で払わせて頂きます」
社会人としてはこれも失言。しかし南部様が私に請求なさる金額は、これから退去なされるはずのお客様に居座られてしまった場合の家賃を思えばお安いものだ。本人は「常連さんへのサービス」なんて冗談なのか本気なのか分からないことを口にされるが、普段私以外の「常連さん」を見ることはない為、ひとえに南部様の人徳のなせる業だと思っている。私の答えを満足したらしく、南部様は十数分と待たず私の元へとやってきてくださった。
そして、翌日。
「なんだ、大家か。家賃なら今月末に払うって言ってるだろ」
そう仰られる佐々木様は、この部屋を借りられてから五年間、お家賃を払ってくださったことがない。これはもう大家である私の我慢も限界だと、今回は南部様のお力をお貸しい頂いた次第である。
「佐々木様。今までのお家賃はもう頂きません」
「なんだ、取り立てを諦めたのか? それなら、もう三十年ほど住まわせてもらおうかな」
げらげらと何が可笑しいのかご自身の発言に笑っておられる佐々木様に、私は最終通告を口にする。
「いえ、佐々木様には、即刻このお部屋を大挙して頂きたく思います」
私の言葉に凄まれる佐々木様。しかしもう、彼に選択権はない。
ドンッ、と、部屋の奥から鈍い打撃音が聞こえてきた。佐々木様は日頃の行いからか「また隣の奴か」と吐き捨て、部屋の中へと入って扉から手を離す。その瞬間、私は外側から鍵をかける。驚いた佐々木様が、私を怒鳴りつける。
「おい、何してる大家! ……ちっ、ドンドンドンドン五月蝿ぇよ! 壁を殴るんじゃねぇ!」
佐々木様がどれほどそのご尊顔で凄まれようとも、相手の方は壁を打ち鳴らす音を止めはしなかった。そもそも、佐々木様の両隣のお部屋には、誰もおられないのだから。
「あ……? 何だこの水……うっ、生臭い……ひっ、血!?」
普段は自分の周りの方々へのご迷惑へ鈍感な佐々木様も、流石にこの臭いには感づいたようだ。ドンドンと鳴く壁から滲み染み出す朱莉尾の体液が、徐々に佐々木様の足場を狭めていく。そのうちに、生臭いシミの中から、ドロリと蕩けた指先が浮かんでくるのだ。
「ひっ……!? な、なんてお前達が……!? おい、大家! 開けろ! 開けてくれ!」
佐々木様の前に現れた方々が何者であるか、私も詳しくは存じ上げない。ただ、彼等彼女等は「生前」佐々木様と縁のある方々だったようだ。腐りかけの骨肉が、佐々木様に絡みつき、彼は「ぎゃううううっ」と蛙の潰れたような悲鳴をあげ続けていた。
悲鳴を聞き続けて、数時間。私がそっと扉を開けると、佐々木様は何やら訳の分からない言葉を叫びながらガラガラと階段を下りていきました。
「これで良いですか?」
「ええ、ありがとうございます」
ヒョコリと佐々木様の部屋から現れたのは、昨夜のうちに屋根裏部屋から佐々木様の御部屋へ滑り込んだ南部様。南部様の背後には、肉体は滅びようとも先程とは打って変わって晴れやかな表情をされた故人の方々が並んでいる。
そう、彼等彼女等は南部様が呼び寄せてくださった亡霊様方で、霊媒体質の南部様はご自身が発現させるこの現象を「レンタル事故物件」と呼び、お小遣い稼ぎをしておられるのだ。
「皆さん、ありがとう。これはほんの御駄賃です。どうぞ成仏してくださいね」
南部様が十数枚の紙幣と共に手を合わせると、亡霊様方は光となって消えていく。私は南部様と約束させて頂いた三十万の残りを手渡しつつ、けれども心の何処かで考えていたことをいつもどおりの失言として発してみる。
「私から頼んだことではありますが、生きた人間を襲って、故人の方々は大丈夫なのでしょうか」
「神様仏様に怒られて地獄行きになるかもって? 大丈夫ですよ、それなら。地獄も天国も生きている人間の為の物語です」
意味深なことを口になされる南部様は、先天的に白く濁った瞳をこちらに向けてニッコリと微笑まれました。
「地獄の沙汰は金次第だし、それに。死人に口なしと言うじゃないですか」
ゴポンッ、と、耳障りな音を聞いて振り返ると、なんということか。佐々木様が階段を踏み外されて頭から地面に落ちていた。一応救急車を呼ぶことにするが、残念ながら最早首の骨が折れていることだろう。レンタル事故物件が本当の事故物件になってしまったなんて、自分の思考にくすりと可笑しさを感じながら南部様に感謝をこめて頭を下げる。
「何を置いても、今回もありがとうございます。またご縁がありましたら、どうか私めにお力をお貸ししてくださいませ」
さて、佐々木様の御部屋の後片付けを終えたら、また新しい住人の方がいらっしゃるだろう。今度のお客様とは末永く平穏な関係を続けていければ良いなと思いながら、私と南部様は遠くから聞こえる救急車の音色に耳をすませるのだった。
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