ある夜の出来事

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ある夜の出来事

 その日、その夜、私は部屋でぼうっとして、ただ雨音を聞いていた。とりたててすることがなかったわけではない。持ち前の優しさが災いし、酷い目に遭ってしまったため、何もする気が起こらなかったのだ。  もういっそ酒でも飲もうかと思ったが、今度は持ち前の真面目さが邪魔をした。結局、真面目で優しくてもいいことなどなにもないのだろうか。そう考えていた。  その時、急にドンドンと戸を叩く音がした。乱暴な音だ。どうせ、ろくでもない人間が、ろくでもない用事でやってきたに違いない。居留守でもしようかと思ったが、やはり持ち前の真面目さがそれを拒んだ。  戸の覗き穴から見ると、意外にもそこにいるのは立派な身なりをした男だった。  こんな男があんな乱暴な叩き方をしたのかと思った。とはいえ、これなら扉を開けても問題ないだろう。 「どうか助けてください。取り立て人に追われているんです」  なるほど、仕草とみてくれが妙に合わないのは、何かを担保に大金を借りたからと思える。そして、それが返せなくなったに違いない。  追い返そうとも思ったが、ここでも持ち前の優しさが顔を見せた。全く、神様も余計なものをくれやがる。  「仕方ない。家に入れてあげます。ただし、夜が明けたら出て行ってもらいますよ」  そう言って男を招き入れた。それから数分も経たぬうちに、またノックの音がした。今度はコンコンという優しい音。  扉を開けると、そこには妙な雰囲気の紳士が立っている。もしかして、こいつが取り立て人とやらかな。 「どうしたのです。今日はやけに来客の多い日ですね」  私の言うことは無視し、紳士は写真を見せて言った。 「じつは今この男を探している。ここらに来なかっただろうか」 「いえ、誰も来ませんでしたよ」  なんでか、こういう時には真面目さだの優しさだのは出てこないようだった。 「ふむ、しかしお前はさっき、来客が多いと言っていたではないか、少し調べさせてもらおう」  私がしまったと思った頃にはもう、男は家の中に入り、そして一瞬で戻ってきた。右手は、匿った男の首根っこを掴んでいる。 「なんです。これは、どういうことです」  私はその紳士の人間離れした動きに驚いた。紳士は言った。 「突拍子もない話だが、実は私は悪魔なのだ。私はこの男の望む全てを与え、代わりに魂をいただくようにしたのだ。しかしこの男は私に魂を渡さずに逃げ回っていたのだ。もっとも、それも今日で終わりだが」  言い終わると、悪魔は私の頭に手を乗せた。 「どうも私はおしゃべりでいけない。このような話、お前のような一般人には無縁のことだ。記憶は消させてもらう。まあ、詫びとして、酒でも置いていってやるから」  私が聞いたのはそこまでだった。私は深い眠りにつくかのように気を失ってしまった。    どうやら、しばらく気を失っていたらしい。頭がぼんやりとする。何かあった気がするが、何も思い出せない。 「どういうことだろう。酒を飲んだわけでもあるまいし」  顔を上げると、酒とグラスが目に入った。 「いや、やっぱり酒を飲んでいたようだ。しかし飲み過ぎは良くないな。こうまですっぽりと記憶が抜けるとは」  私はこれで酒を飲むのは最後にしようと思い、1人で乾杯をした。
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