雨音の下、繖をさす

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雨。 お影で雨の日は彼女のことばかり考えるようになってしまった。バスを待つにはいい小ネタだ。  私の傘に入りませんか。 そう言った彼女の声は、イヤホンをしていたにもかかわらず凛としているのがわかった。それでいてどこか悲しげ。何度か校内で彼女を見かけたが、他の女子から遠巻きにされているとか、そんな風には見受けられなかった。 今日はまったく雨に打たれてしまった、と思いながらハンカチでリュックや肩を拭く。怪しいとは思っていたが、学校からここまでの一瞬に降られてしまうとは。不意に、ぴしゃん、ぴしょん、と足音が近付いて来た。 ひたり。 顔を上げた。 「私の傘に入りませんか」 軒下から落ちた水音のような声が静かに響く。 「……うん。傘を忘れたんだ。いいのかな」 「はい」 「ハンカチ使う?」 「じゃあ、少し」 「ちょっと濡れてるけど」 彼女の折り畳み傘はどう見たって一人用で、二人で入ればそれこそ肩が濡れてしまうだろう。でも彼女がこの雨の中傘をささずに歩くよりはいい。まったくの他人とはいえ、女子が雨に打たれるのを見るのはいい気分がするものではない。 「傘、僕が持とうか。身長的にも」 僕の身長は高くはないが、彼女がさすのでは少し大変だろう。 「ありがとうございます。でも、私に持たせてください」 どうやら強い拘りがあるらしかった。 「リュックと髪、どっちを濡らしたくないですか」 「え?」 「リュックを守るのと髪を守るのでは傘のさし方が違うんです。でも髪を守るさし方だとリュックが少し濡れてしまうので」 「君は?君は、どっちがいいの」 「私はいいので、どちらがいいですか」 「うーん、じゃあリュックかな」 そう言うと彼女は眉を少し動かした。 「違う方がよかった?」 「あ、いえ、もう濡れてますし、帰りなので。もうどうでもいいです、髪は」  もし次があったなら、次は髪を守るようにしてあげようと思わせるような雰囲気だった。 「先輩はどちらまで」 「催花(さいか)駅までだけど、あの駅に行く人、この高校じゃほぼいなかったと思うから、君が行ける所まででいいよ」 「私も催花に行くのでそこまでですね」 彼女が傘を広げて、一足先に雨の下へ出る。差し出された傘に入った。いわゆる相合傘なんて初めてだったため少し緊張したが、彼女は随分と慣れているようだ。雨の降る向きに合わせて傘の向きを調整したりリュックを守ったりととても細やかだ。でも、自分の肩が濡れるのはお構いない。 「同級生の子は入れないの」 「催花に行く人はほぼいないので。それに変な人と思われそうで、それで」 ならばなぜ僕はいいのか。一時限りの関わりだからだろうか。 「いつからこうしてるの?」 失礼な質問だったかもしれない、と言ってから思った。まるで尋問だ。 「今年からです。理由は個人的なことですけど」 理由は教えてくれないらしい。 「学校から催花までは割と距離があるけど、いつも歩くのは疲れない?」 「特別疲れた時以外は歩きです。歩くのは嫌いじゃないですし、電車を降りたら家にはすぐ着くので、大丈夫です」 「そうなんだ」 会話はまちまちだ。彼女の方からも特別会話をしようという気は感じられない。真っすぐ前だけを向いている。しとしとと鳴る雨が心着良い。彼女の傘は冷たい雨のようで、どこか心を潤す雨露のようだった。 「ありがとう、お陰で濡れずに済んだよ」 「このハンカチ、洗ってお返しします」 「大丈夫、電車を降りたら少し走るから、きっとまたハンカチを使うことになる」 はは、と一人で愛相笑いをする。 「でも君は肩を拭かなくていい?左肩びしょびしょだけど」 「いつものことです、もう慣れました。私は三番線なので、これで失礼します」 ちょうどよくアナウンスが電車の到着を知らせた。彼女はまた、迷いのない足どりで去って行こうとする。今日はありがとう、と改めて言おうとして、はっと思い出した。 「よかったらなんだけど名前は?」 振り返った彼女の黒い瞳が僕を射抜くように見る。 「おもしろくもない名前です」 そしてそのままホームへと駆けて行った。足取りも声も動作も迷いなく直っ直ぐなのに、その全てが迷いだらけに見える。僕から見える彼女は真っ直ぐで、迷いだらけだ。
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