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「お前彼女いんの?」
クラスメイトにそう言われた時、どきりとした。
「いやいないよ」
「そうなん?なんかお前が女子と相合傘してるの見たって奴がいたんだけど、じゃあ勘違いかな」
「傘をさしてると顔は見えづらいしね。それに僕と同じような背格好の男子はたくさんいる」
嘘はついていない。彼女はいないし、僕と同じような見た目の高校生は数多い。ただ、彼の言う女子と相合傘していたお前というのは、紛れもなく僕だ。今もこうして、例の女子がさす傘の中に僕はいる。彼女とは雨の度にこうして一つの傘を分け合うことになった。それは名前もわからぬ彼女のことが気になっているからだ。と言ってもそれは、周囲が色めき立つような意味での気になるではない。ただ純粋に、誰彼構わず相合傘をしたがるその理由が気になっている。個人的なことだ、と言うその理由を果たして教えてもらえるかはわからないが。それでも、一歩踏み込んでみたくなった。
「傘をさすことはあるの?」
「わざわざささない理由がなければ。……いつだって、そんな理由はないのかもれませんが」
珍しくその理由について覗かせた。続きを促すように彼女の横顔を見つめる。と、
びしゃ。
「う、わ」
足元の水溜まりに気付かず、足を突っ込んでしまった。靴下がじんわりと気持ち悪く湿る。彼女はと言うと、水溜まりを華麗に避けていた。ついでに僕が足を突っ込んだ時の水しぶきも避けていたので全くの無傷だ。しかも僕を若干雨の中にとり残して一、二歩先でくすくす笑っている。笑っているところなど初めて見た。傘の中へ戻って言う。
「……いい性格してるね」
「よそ見をしている方が悪いんじゃないですか」
雨音の中、彼女の小さな笑い声がころころと転がる。ふうと落ち着かせて、こちらを見た。
「お詫びに、理由を教えましょうか」
彼女の声は、まだ少しだけ楽しそうだ。でも、教えてもらえるのなら願ってもないチャンスだ。頷く。彼女は今にも傘の骨の先から落ちようとする雫を見上げて語り始めた。
「私、親友がいたんです。いや、別に過去形にしなくてもいいですね。小一からの付き合いなので親友になって十年経つ頃でしょうか。高校になって初めて離ればなれになりました」
「その子はどこの高校へ?」
「県一の進学校です」
そして僕らは、県二の高校。
「君の成績は?偏見だけど悪そうには見えない。この高校でもいい方なんじゃないの?」
「ええいい方です。中学ではなれなかった総合三位以上にもなれました」
「中学の時も悪くなかったんだ」
「良くて四位止まりでしたけどね」
それでも十分あの高校に入れそうなものだ。雨のような会話が続く。
「でも君は選ばなかった」
「はい。入ろうと思えば入れたでしょう。でもその後も付いていけるかと問われれば?順位が下になるなんて、私のプライドが許しませんでした。でももちろんそれだけではありません。いえ、それがぱっと浮かんだ理由でしたが。この先は後から付け足した理由です。彼女といつまでも同じ道を歩むことはできない。寄り沿ってきた二つの道は、遅かれ早かれ離れることになります。だったら、慣れておくことも必要ではないか、と」
彼女の声はもうしっとりと湿っていた。梅雨入り間近の雨が僕らの傘を優しくノックする。六月になり、衣替えをして薄着の僕たちにはやや寒い。彼女の生足が紫がかって見えた。
「今だに慣れることができません。もう六月だと言うのに。私にできたのは高校の間一緒に行動できる人であって友達ではない。一緒に帰りたいと思う人はいない。あの子にはもう友達ができたでしょうか?誰かと一緒に帰っているでしょうか?私たちはお互いの予定も合わずなかなか会えない。私たちはまだ、親友でしょうか」
すん、と鼻をすする音。
「私たち、いつも雨の日は相合傘して帰ってたんです」
彼女が無理に声を明るくする。
「毎回私の傘で。酷い時なんて雨が降ってても傘を持って来ない時さえあったんですよ。でも、私が何かで早退したりした時に他の人の傘に入って帰られるのは嫌だったので、常に折りたたみ傘は持たせるようにしましたが」
本当に親友のことが好きなのだろう。温かくて眩しいものを見るように目を細める。
「雨の時にはいつだって親友と同じ傘に入っていた。それなのに、高校最初の雨の時に気が付いたんです。あの子はここにいない。別な道を歩いてるんだって。笑い声も話し声もなくて、聞こえるのは雨音ばかり。私が片方肩を濡らす必要はない。リュックを守るか髪を守るかで言い争って、無駄に濡れる必要もない。濡れないって、こうにも心を冷たくするものなのか、と」
寂しい。その声が雨に融ける。雨粒が彼女のローファーの爪先に当たった。
「一人の傘に耐えられない。冷たい雨音に耐えられない。だったら、傘なんてささずに濡れる方がいい。誰でもいいから、私の傘に入ってほしい。片方の肩を濡らさせてほしい」
駅が近付いて来た。彼女の話を聞ける時間がそろそろ終わってしまう。
「理由なんてそれだけです」
彼女も駅を見て言う。これでいいですよね、と言わんばかりに溜息をついた。自分の心の奥にあるものを他人に話すのは疲れるものだ。雨音の中に、僕の乗る電車が間もなく到着する旨を知らせるアナウンスが響く。
「教えてくれてありがとう」
ごめん、と言おうかとも思ったが、それは違う気がした。それから勇気を出して口にする。
「また、一緒に帰ってもいいかな」
彼女は傘の雨粒を払いながら言う。
「別に構いませんけど。先輩、電車遅れますよ」
「うん、ありがとう。じゃあまた」
彼女は返事をせずに去って行く。僕もホームに行かなければ。彼女の後ろには傘から落ちた水滴がてんてんてんと続いていた。
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